先生もいろいろ
昨日は、かりんの美術の授業がある日でした。美術の先生、また妙なコメントをしたそうです。「美術のクラスで大事なことは、君たちが楽しんだかどうかではない。大切なのは、成績だけだ。たとえミケランジェロやダビンチのような才能が君たちにあろうと、私の知ったことではない。大切なのは、点数だけ。」そう言ったそうです。まるで、自分が点数付けの神様のような発言です。もちろん、かりんの口から聞いたことで、どんなコンテクストで言っているのかわからないのですが、やっぱりおかしいと思うんですよね。学ぶということは、楽しいことのはず。描こうとするものを、じっくり観察して、一筆一筆、丁寧に描いていく作業は、本来楽しいことのはず。そして、先生からどんな評価を受けようと、楽しく学んだことは、本人の身になるはず。誰もがミケランジェロやダビンチになれるわけはなくても、それぞれが持っている才能を、本人が自分の内側から引っ張り出せるように助けてあげるのが、教師の役割では。この美術の先生のおかげで、子供たちが軒並み美術嫌いになっているのを家庭で「この先生の言うことが全てではない」「成績よりも、学んだことそのものが大事」「他人の言うことや評価は変えられない。それに対して、自分が屈するのか、糧にするのか、それが大事」そうやって、フォローをしていると、こういうネガティブな影響を受けるために学校へやっているんじゃないわ!と腹立たしくなります。この先生と同じ大学の先輩で、美術系の仕事についているM君のお父さんが、一度、校長とこの先生と話をしてみると言っていたので、今はそれを待ちたいと思います。でも、こんな先生ばかりではないんです。理科の先生は、とてもクリエイティブな授業をする方で、以前話題に上がっていたように、宿題の読み物も、メールで送られてきて、宿題も、パワーポイントや動画で提出したりとユニークです。生徒の作品の一部は、ご自分のブログ・サイトにアップされたりして誰でも閲覧できるようになっています。今日は、かりんが学校へ行っている間、ゆっぴーと私で、この先生のブログを開いて、GMO(遺伝子組み換え食品)について2、3年生が作った動画を見ました。生徒作品の動画そのものの内容は濃いとは言えなくても、その裏側には様々なリサーチがあったのだろうと思いました。ユーモアあふれる楽しい作品がいくつもあって、大笑いしながら見ました。製作技術は、とても中学2-3年生とは思えないほど。たとえペーパーテストの成績が芳しくない生徒でも、こういう所で、クリエイティブな力を発揮できるというのもすばらしいことです。この先生は、学校で親に会っても、学校での子供の様子などを、とても肯定的に語ってくれるんです。もちろん、生徒たち本人にも肯定的なフィードバックをしてくれているんだろうと思います。かりんは、おかげで理科が大好きで、将来は理科の先生になって、この先生の助手になりたいなぁなんて言っています。「じゃあ、先生にそう言って、その代わり、一生この学校で先生してくれって頼んでね!」と私。今の3年生が卒業するまでは、この学校を辞めない、とこの先生は言っているそうなのですが、かりん(1年生)が卒業するまで、いてくれないと困る。いや、この先生がいるなら、ゆっぴーもこの学校に入ってほしいと思っているくらいです。・・・美術の先生は問題ですが・・・。教師という仕事は、ただ教科を教えるだけではなくて、人間を教える、育てる仕事だと思うんです。だからこそ、この理科の先生のような人には、ぜひ続けてほしいものだと思うんです。本当の所、こんなすばらしい先生だからこそ、この学校につなぎとめておくわけにはいかないのでしょうけれど・・・。