カテゴリ:森田理論学習の進め方
最近の生活の発見誌には、「お悩み相談」というのがあります。
例えば「自分に自信が持てず、今後の進路で悩んでいます」 「職場の中で雑談ができず、つまらない人と思われているのではと苦痛を感じます」 どんな時にそのようなことを感じるのが、具体的に説明があります。 集談会でよく出るような悩みです。 これに対してベテラン会員の人の回答が続いています。 皆さんそれぞれに見事な回答をされています。 私のこの記事の読み方は少し変わっています。 私はすぐに回答は読みません。 まず悩み相談の内容について、分かる範囲で理解しようとします。 その上で、私の学習経験や森田的な体験をもとにして、私ならこの人にどういう共感や受容を持てるだろうかと考えます。それを文章にします。そこで終わる場合もあります。 さらに、こうしてみたらという提案が浮かんだ場合は、それも文章にしてみます。 これが、このブログの投稿原稿になることもあります。 次に、ベテランの人の回答を読みます。 すると、私の回答とベテランの人の回答は話の視点が大きく違うことに気づくことがあります。 それはそうです。その人とは、神経症の克服過程、学習の経験年数や深度、森田理論の活用方法が違うわけですから、当然そこから出る答えは違うはずです。 これでよいのだと思います。相談者にとってはいろんな回答を聞いて、一つでも琴線に触れるものがあればよいのです。紙上の体験交流のようなものになるのです。 ここで回答をすぐに読むと、ベテランの人がかかれた解答だけに「たしかにそうだな」と納得します。 それ以上には考えようとしません。素通りして、記憶には残りません。これはもったいないことです。 私はこのブログの話のきっかけ作りのため、本をよく読みます。 読みっぱなしということはほとんどしません。 ほとんどの本はネタ集めのために読んでいるのです。 森田的な琴線に触れるものを求めているのです。 本を読むときは、付箋を使います。気になる箇所には付箋をつけておきます。 読み終わると、付箋の箇所を中心にまた読み返します。 それからその部分を、ページ数とともに抜き書きしていきます。 その中から、投稿に使えそうな部分を多少時間をかけて、自分の考えを組み合わせて思索していくのです。そして投稿原稿を作成していくのです。この段階で投稿にいたらないものもたくさんあります。 でも森田的な視点から、一応は自分なりに考えてみたということが重要なのではないかと思っています。 とるに足らないようなことでも、それを6年も7年も続けていれば、仲間と森田理論の学習をしているときに、質問されれば、すぐにある程度自分の意見を述べることができるようになりました。 以前と比べると雲泥の差です。 自分が成長できていると実感できることはとてもうれしいことです。 皆様にも、この方法をお勧めしたいと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019.04.17 06:30:12
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