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tei gekka

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神社仏閣・京都⇒ 右京区 :法金剛院
  上京区 :光源院・相国寺
         西京区 :善峯寺
(日本)     下京区 :松明殿稲荷神社・渉成園・
              真宗本廟・不動堂明王院・
              道祖神社・本光寺・興正寺
  俊成社・平等寺・佛光寺・
              匂天神
         中京区 :染殿院・錦天満宮・善長寺
              安養寺・永福寺・西光寺・
              誠心院・誓願寺・本能寺・
              下御霊神社・行願寺・頂法
              寺・神泉苑・幾世稲荷神社
              高松神明神社
         南区  :伏見稲荷大社御旅所・六孫
              王神社・矢取地蔵尊・鎌達
              稲荷神社
         東区  :得浄明院・松風天満宮
         東山区 :勝林寺・来迎院・泉涌寺・
              建仁寺・今熊野観音寺・雲
              龍院・万寿寺・豊国神社・
              方広寺・新熊野神社・芬陀
              院・光明院・恵美須神社・
              禅居庵・六波羅蜜寺・六道
              珍皇寺・若宮八幡宮社・両
              足院・毘沙門堂・瀧尾神社
              法住寺・養源院・仲源寺・
              八坂神社・東福寺三門・即
              宗院・建仁寺開山堂・退耕
              庵・善慧院・同聚院・五社
              成就宮・蓮華王院・智積院
              新日吉神宮

         伏見区 :石峰寺・御香宮・城南宮・
              北向山不動院・源空寺・本
              教寺・大光寺・墨染寺・欣
              浄寺・大黒寺・金札宮・宝
              塔寺・藤森神社・瑞光寺・
              嘉祥寺・産場稲荷社・長建
              寺・西岸寺・龍雲寺・伏見
              稲荷大社・伏見稲荷神宝神
              社・東丸神社・本成寺・勝
              念寺・乃木神社・伏見稲荷
              本教間力教会・八霊社・大
              日本大道教・法教総神
              苑
         宇治市 :万福寺・恵心院・興聖寺・
              三室戸寺・放生院常光寺・
              宇治神社・宇治上神社・旦
              椋神社

         木津川市 : 法泉寺・西宮神社・相楽神
              社・蟹満寺 

京田辺市 : 棚倉孫神社・酬恩庵・薪神
               社  

         城陽市 :中天満神社・市辺天満神社  
         
         長岡京市:長岡天満宮・乙訓寺・光明
              寺
         八幡市 :石田神社(上津屋)・石清
              水八幡宮頓宮・高良神社・
              石清水社・石清水八幡宮・
              単伝庵
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              社・四天王寺
          
         
 
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              浪速寺
         東住吉区:山阪神社
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有田郡 :施無畏寺

 伊都郡 :宝善院・熊谷寺・恵光院・
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長田区 :長田神社
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 静岡⇒伊豆の国市:願成就院・
          三島市 :三嶋大社
駿東郡 :貴船神社

    

(大韓民国)
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 南区  :東寺・元離宮二条城・観智
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2017.07.30
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カテゴリ:史跡・遺跡めぐり
国道24号線を走っていると巨大な古墳の横を通過します。佐紀盾列古墳群(Saki-tatanemi-kohun-gun)の1つ「宇和奈辺古墳(Uwanabe-kohun)」です。 
4世紀後半~5世紀にかけて、まるで権力を競うようにして平城山丘陵の南麓一帯に造られました。何とその数、大小合わせて約20基。そのうち、200mを越える物は7基あります。この古墳群は大きく東群と西群に分かれていて、今回は造られた時代が新しい方の東群を巡ります。


下矢印この佐紀盾列古墳群は、ほとんどが前方後円墳の形をしていて、一周グルリと周濠で囲まれている。
その中でも、1番大きな物がこの「宇和奈辺古墳」である。それでも、日本で13番目、墳長260m。中規模になるのだそうだ。
これだけ大きいのに、誰が埋葬されているのかわからないという。「うわなべ」とは、「後妻」の意味なのだそうだ。意味ありげです。
ここからでは気付かないが、空の上から見ると、国道24号線によって少し堀の部分が削られてしまっている。


下矢印遊歩道が古墳に沿って続いている。道なりに歩いて行くと、向こうに「小奈辺古墳(Konabe-kohun)」が見えてきた。丁度、この2基はほぼ平行に並んでいるのだ。


下矢印「宇和奈辺古墳」の南側を歩いていると、大きな木に挟まれた小さな祠を見つけた。一端、遊歩道から下りて、住宅街から見上げてみた(住宅の方が古墳よりこれだけの段差の下に広がっている。)。丁度、古墳の南側に面した真ん中辺りにあり、遥拝所のような感じ(違うかもしれないけど)。
 

下矢印もう一度、遊歩道に戻り、「宇和奈辺古墳」を見ると、遠くに若草山が見えた。


下矢印間に自衛隊幹部候補生学校があり、ミサイルや飛行機が展示されているのが、柵越しに見える。
さて、「小奈辺古墳」に来たが、残念ながら古墳って地上で見ても全く違いがわからない。大きくて立派なほど、サッパリわからない。ちなみに、「宇和奈辺古墳」より少し古く、少し小型の前方後円墳(日本で34番目の大きさ)。こちらも誰の墓かわからないとのこと。「こなべ」とは、「正妻」という意味。うわ、これまた、意味深。


下矢印そのまま、遊歩道沿いを北に向かう。隣接してあるこの「ヒシアゲ古墳」は、立て札が示す通り宮内庁の管理下にある。
平城坂上陵(Narasaka-no-e-no-misasagi)とされ、第16代・仁徳(Nintoku)天皇の皇后である「磐之媛命陵(Iwa-no-hime-no-mikoto-misasagi)」と治定。


下矢印ここから見ると、先ほどの古墳のような幅のある周濠ではないが、睡蓮の葉がたゆたう水堀になっている。
実は、この南面の部分だけが二重周濠になっていて、この奥にグルリと廻る周濠がある。こちらも200mを越える前方後円墳で、日本で24番目の大きさを誇る。
夫の仁徳天皇が磐之媛の不在中に浮気をしたため怒り狂い、難波高津宮には戻らず、この南山城に住まいそのままそこで亡くなったという。そのためか、夫婦なのに陵墓が堺と奈良でかなり離れている。死して尚、一緒に居たくなかったのだろうか。
 

下矢印水上池の畔に立つ歌碑。
 “ 女郎花 佐紀澤に生 ふる花かつみ かつても しらぬ戀もす るかも ”


下矢印石畳の遊歩道が所々に続く。大量の羽虫が巨大な虫柱を作って、私の周りを取り巻いてくる。本当にここは県庁所在地である奈良市なのかと疑いたくなるよ。


下矢印羽虫を振り切り、やっと開けた場所に出た。向こうに見えるこんもりとした森が、今見てきた「磐之媛命陵」だ。
「ケーンケーン」。お!!雉が鳴いた。
 


下矢印今度は、南に下る。途中、「葛木神社(Katuragi-jinjya)」というこじんまりとした神社に立ち寄った。一の鳥居は南を向いているが、参道がL字形に折れている。
 

下矢印手水舎。


下矢印一の鳥居の真正面にあるのは、「大日如来堂」。


下矢印東に向かって、二の鳥居と拝殿がある。
ご祭神:葛城一言主大神。
元は、仁徳天皇が磐之媛命の偲んで建立されたという。この鳥居は、水上池を挟んで丁度「小奈辺古墳」に向いている。現在、宮内庁が治定している「磐之媛命陵」とは、少し位置がずれるのだ。
 

下矢印狛犬。
 

拝殿の真正面に本殿があり、下矢印その右隣りには「厳島神社」。
ご祭神:市杵島姫命(Itikisima-hime-no-mikoto)。




下矢印南にそのまま下っていくと、またまた古墳にぶち当たる。この「市庭古墳(Itiniwa-kohun)」も宮内庁の管理下にあり、「楊梅陵(Yamamomo-no-misasagi)」とされ、第51代の天皇である「平城天皇陵(Heizei-tenno-ryo)」に治定。
以前の発掘調査の結果、「小奈辺古墳」より少し古い、5世紀前半の周濠を伴う前方後円墳だったことがわかった。しかも、「宇和奈辺古墳」に次ぐ大きさだったという。現在、後円墳部分しか残っていない。
というのも、710年に「平城京」がこの地に遷都されてきたからだ。通常、都が遷都されてきた場合、元々あった建築物は破壊されてしまう。何と、死者を埋葬していた墓である古墳も例外ではなかったことになる。この場所は、丁度「大極殿」の真北に位置する外せない場所だったのだ。(「海龍王寺」が残ったのは、ほんとに奇跡に近いのかもしれない。)


下矢印ここにきて、おや?と思ったのが、第51代の天皇の墓とされていることだ。平城天皇は、「平安京」を遷都した第50代・桓武(Kanmu)天皇の息子である。「平城京」が遷都された時、陵墓は既にこの地のあったのだ。おかしいではないか。私は、「平城」の諡号が付いているので、てっきり奈良時代の人物だと思い込んでいた。

調べてみると、都が出来る時にはこの古墳は、もう誰が埋葬されているかわからなかったようなのだ。平城天皇は、在位わずか3年で弟である第52代・嵯峨(Saga)天皇に譲り、自らは旧都「平城京」に移り住んだ。にもかかわらず、嵯峨天皇の政治にちょっかいを出し、もう一度都を「平城京」にと画策したのだそうだ。そのことからも、この古墳を再利用し平城天皇を葬ったのかもしれない(そんな事あるかな?あるいは、他の場所に葬られたか?)。
 

下矢印「平城宮跡(Heijyokyu-seki)」(世界遺産)に9年の歳月をかけて復元された「第一次大極殿」。
天皇の住まいである内裏の柱位置には、刈り込まれたツゲが植えられている。



          (2016年9月下旬現在)





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Last updated  2017.07.30 11:17:48
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