高一のミンミが、入間市の
「第21次こどもヒロシマ派遣団」に参加して、
今日帰ってきました!
私は二日前の出発時は入間市駅まで送りに行ったけど、
今日は、主人と義母と買い物に行っていたので、
迎えには行きませんでしたが、
6名中5名の参加者の保護者は
迎えに来ていたそうです。
まあ、ミンミは高一で最年長なので、
大丈夫だったかな?
最年長なので、必然的に団長になったので、
小5、小6から中3までの5人の面倒が
大変だったようです。
部屋で騒ぐ小学生達を「うるさい!」と
怒ったら、「先生みたい」と言われてしまったそうです。
これから、作文を書くのですが、
ミンミに一言感想を聞いたら、
「とりあえず、『怖い』と感じた。」
と言っていました。
広島原爆痕の案内役のIさんに
「それが自分の体だったら?
と想像してみて」と問いかけられ、
ぞっとしてリアルに感じたそうです。
ミンミに行く前「お土産が何がいい?」と聞かれ、
「平和記念資料館で、
資料やCDなど買ってきて」と
頼んだのですが、
下の写真がその資料とCDです。
まだ全部は見ていませんが、
チラッと見ただけでも、
原爆の悲惨さ、残虐さが伝わってきます。
私自身、大学生の頃、
合唱コンクールの全国大会で広島に行った時、
みんなと別行動しながらも
原爆痕を巡り、写真を撮りました。
原爆ドームを見たときの衝撃は今でも忘れられません。
既に大都会に復興している広島の街中で、
そこだけ別世界のように廃墟と化している・・・
戦争中にタイムスリップしたような錯覚を覚えました。
ミンミにもそんな体験をしてもらいたかったのです。
ミンミ自身、リアルに感じたいと応募動機に書いて、
派遣団に参加を認められたのですよね。
実際に行って、やはり机上の空論?ではなく、
見聞きして、想像して、リアルに感じたようです。
怖いくらいだったようですが、
それが戦争の追体験なのですよね。
私も、高校の時付き合ってた先輩に
原爆の写真集「広島・長崎 原子爆弾の記録」
(編集・発行 子どもたちに世界に!被爆の記録を贈る会 1978年)
を「
10フィート運動への寄付のために」と、
勧められて買って、写真集を見たとき、
一度見たら十分というほどの強烈な印象で、
高校の図書館に寄付してしまいました。
私が個人で持ってるより、
同じ高校生に見て感じてもらいたかったのです・・・
今も持っていれば、
うちの子供達や生徒達にも見せられたかもしれないけど、
衝撃的な写真や絵、作文など
きついかもしれませんね。
今、ネットで調べて、正確な写真集の名前や、
10フィート運動も思い出しました。
でも、表紙の子どもの写真は今でもはっきりと覚えていて、
これだと確信が持てたほど、頭に刷り込まれていました・・・
今回、ミンミが買ってきてくれた
図録「原爆の絵」も、
絵だけではなく、その作者自身の言葉も載っていて、
英語による対訳も完備しているので、
外国人の人が読んでも理解できるかな?
図録の第1章「きのこ雲の下で」の中から
私が印象的な一枚だけ紹介します。
「衣服は引き裂け、皮膚はたれ下がる」
「土手の上を、ユーレイのように髪はばさばさ、
衣服は引き裂け、皮膚はたれ下がり、
今の世の人とは思えぬ姿で、
負傷者の群れが声も立てず
黙々と郊外へ逃げて行く。」
吉村吉助さんの絵と文です。
(被爆当時の年齢18才
絵を描いたときの年齢75才)
この図録「原爆の絵」を
マッキーのアメリカ留学の際に
持っていってもらいたいような気もするが、
それは原爆を落とした国への当てつけかな?
でも、分かってもらいたいとも思うけど・・・
また、他にも、広島名物のもみじ饅頭と、
電車オタク?の主人の為に、
山陽新幹線をかたどった箱に入った、
フルーツキャンディを買ってきました。
早速カズが外箱を駅に組み立て、
中箱の電車を載せていました。
主人は喜んだし、箱だけ取って置くそうです。
中身はみんなで食べようかな?
広島はミンミにとって、
忘れられない土地になるだろうなあ・・・
私が今でも忘れられないように・・・