昨年の12月に、高1の次女ミンミが参加した
広島子ども派遣団の報告集「平和大使」より
抜粋させてもらいます。
「1981年、ローマ法王が平和記念公園を訪れ、
平和アピールを発表しました。
『戦争は人間の仕業です。
戦争は人間の生命を奪います。
戦争は死そのものです。
過去を振り返ることは、
将来に対する責任をになうことです。
ヒロシマを考えることは、
核戦争を拒否することです。
ヒロシマを考えることは、
平和に対しての責任を取ることです。
ローマ法王 ヨハネパウロ2世』
平和記念資料館の入り口に、
碑として刻まれています。
今田さんと一緒に、
声を出して読み、
心に刻みました。」
また、ミンミの報告の作文です。
「平和を願う人」
「広島に着いて路面電車を降りて
すぐ目に入ったのは原爆ドームでした。
むき出しになった鉄骨と崩れた建物が
核兵器の威力を感じさせました。
でも、本当の意味でそう感じたのは、
この3日間の経験を経てからでした。
広島平和記念館で分厚いコンクリートに
爆風によって吹き飛ばされたガラス片が
ささった跡をみて、今田さんが、
「もし、このコンクリートが自分の身体だったらどう思う?」
とおっしゃった時、ただ(すごいな。)としか
思ってなかった自分に気づかされました。
実際の原爆ドームを目の当たりにしたのにも関わらず、
1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分にあったことを
他人事のように思っていたのです。
それから、私は自分自身に
「もし自分だったらどう感じるだろう。」と
問いかけるようにしました。
すると、さっき見たコンクリートの傷跡から
身震いをしてしまうような恐ろしさを感じました。
想像しただけでもこんなに辛いのに
どんなにか痛かったことでしょうか、
私は実際に広島に来るまで
勘違いをしていたことが4つありました。
1つ目は約14万人の被爆者は一瞬にして
亡くなったのだと思っていたことです。
でも実際には7万人でした。
死亡者の多数が放射線による急性障害だったそうです。
また当時の建物はほとんどが木造で
爆風や熱線によって崩壊した建物の下敷きになって亡くなった人や
火事で逃げ遅れて亡くなった人も多くいました。
2つ目は建物内は放射能の被害にあわないと思っていたことです。
放射線はコンクリートや水、薄い金属でも遮断は出来ないそうです。
だから体に傷はなくても放射線は体内の細胞を壊し、
白血病やガンの発生率が高くなり、
被爆者の身体を今もなお侵し続けています。
3つ目は、亡くなった人だけが辛かったのだと思っていたことです。
原爆は人や物に大きな被害を与えるだけでなく、
心や生活までも壊しました。
生き残った人も被爆者であるがために
様々な差別を受けてきたのです。
結婚するときに被爆者だからといって
反対された人もいたそうです。
だから被爆者であることを
誰にも打ち明けられなかった人は数多くいるでしょう。
それはどんなに辛いことなのでしょうか。
私は死んでしまいたくなるような苦しみだったに
違いないと思います。
4つ目は平和が当たり前だと思っていたことです。
今、平和といえる穏やかな毎日を私は過ごしています。
でも、確かに今日も核兵器を持っている国があります。
戦争は遠いむかしのどこかのだれかの話ではなく、
私達に関わることなのです。
今でも紛争やテロが起こっています。
だからこそ私達は平和を願い
その思いを伝えていくべきだと思います。
誰も人を殺すことは望んではいません。
私は広島で戦争の恐ろしさと愚かさを学び、
人の痛みを知りました。
また、心の底から平和を願う人達に出会いました。
そして、その願いを受け継いできました。
だから、今度は私達がこの願いを
たくさんの人に伝えていきたいです。
この3日間でこんなにも強く平和を願っている人達に
出会えたことは私の一生の財産です。
そしてその願いが叶うことが私の願いです。」
我が娘ながら、結構感受性が強く、
割といい文章を書いてると思います。
親バカかな?
まあ、句読点(、)が少なく読みにくいから、
私は適当に改行してしまいました。
長いとブログが読みにくいというのもあるけど。
私にはここまで書けないなあ。
私も大学生の頃、広島に行って、
自分一人で原爆痕を回り、写真を撮って歩いたけど、
解説したり、生き証人で話してくれる人は居なかったら、
独りよがりになってました。
こんな風に思春期に広島に行って、
いろんな体験をさせてもらったミンミが羨ましいです。
入間市の教職員組合の主任手当返上から拠出された費用で、
広島に21年間続けて、子供たちを広島に派遣してくれてるのです。
自己負担は埼玉県入間市から広島2泊3日の旅行で、1万円だけです。
是非、中1のカズにも行かせたいけど、
カズは意識も低いし、なんたってサッカーの部活が忙しい・・・
兄弟姉妹で広島派遣団に参加してる子供たちも多いのですよね。
それだけ親が熱心ということもあるだろうし、
その他の家庭は、なかなか行かせないということなのかな?
もったいないことです・・・
こういう機会は滅多にないのにね。
大学1年のマッキーも以前、行きたいとも言ってたけど、
クリスマスシーズンなので、予定があったり、
受験だったりと行けませんでした。
まあ、高校の修学旅行で、沖縄に行き、
平和学習はしてきたからまだいいかな?
沖縄の集団自決した洞窟で、
生き残った方の話を聞いたのに、
「霊に取り付かれそう!」などと
オチャラけて、あまり感じない生徒に
頭に来たと言ってましたね。
マッキーの作文が高校のHPに載ったと後で聞いたけど、
読んでなかった・・・残念です。
まあ、そういう意識の高い子だから、
それほど行く必要はなかったかも・・・
ミンミが行きたいと言い出したときは、
ちょっとビックリしたけど、
ミンミもこういうことに興味あるんだと嬉しかった。
大宮中央高校という通信制で、
修学旅行がないから、
これがその代わりになるのでは?とも期待したけど、
高校生はミンミ一人、後は中3の男子一人、
小学6年の女子3人に、小学5年の男子一人の6人でした。
ミンミは最年長で団長になってしまい、
嫌がってたけど、なんとか役目は果たせたかな?
リーダーになるのは苦手なんですよね。
それでも、部屋で騒ぐ子供たちを注意してたら、
「先生みたい!」と小学生に言われたらしい・・・
まあ、年が離れてるから仕方ないよね・・・
中1のカズで慣れてるとは思うけど・・・
いろんなことを感じてきたと思うけど、
それを忘れずに生きていって欲しいな。
感受性が強く、傷つきやすいミンミだけど、
その分いいこともあるんだよと言いたい。
戦争反対、原爆反対のキモチを持ち続けてね。
これからの時代、危ない方向に進みそうだから、
傍観してたら、キナ臭い世の中にまたなってしまう・・・
ハチドリのひとしずくではないけれど、
何か少しでも出来ないかな?
とりあえず、来年度の派遣団の子供たちに託す
折鶴を折ることは出来るかな?
ミンミも昨年度の子供たちから、
折鶴を託され、「原爆の子の像」に捧げてきました。
この平和の祈りが通じるといいのですが・・・