カテゴリ:普段のこと
昨日はちょっと遠出。子供は留守番でしたけど。 春に逝った父が残した遺産のひとつに、 隣の県の片田舎に買った小さな土地がありました。 資産価値としては、ほんとに微々たる物。 今は買った当時の金額より評価額はすごく少ない。 何であんなところにあんなもの買ったんだろうと母がぶつぶつ言います。 私がもらう土地でもありません。 それでも、父が買った土地はどんなところだろうと、 だんな様に頼んで見に行きました。 実は子供の頃一度だけ連れて行かれたことがあって、 うっすらと覚えているのですが、 当然明確な記憶でもなく、子供でもあったので、 どこなのかなんてその記憶からはわからない。 なにしろ田舎なので、大体の場所しかわからなかった。 多分このあたりいったいのどこか。 もう少し調べるか、当の母と一緒じゃないとはっきりしたわからない。 それほどのど田舎でもなく、少しだけ開けていて、少し人は住んでいる。 ほとんどは、畑です。ときどき、農家が建っていて、 いったい最寄駅にはどのくらいで行けるのか。 そのあたりにスーバーも学校も見当たらない。 およそ普通に住むには不便そうなところです。 ところがそんなところなのに、 ところどころに分譲の建売が建っているのです。 近くまで行くと、そのあたりだけ、何件かの建売。本当にその部分だけ。 しかも、なにやらすさんでいる雰囲気。 家の周りとか、外観のメンテナンスとか、手直しとかも、してないのですね。 もしかして空き家なのかなと思うくらい。 でも、車がとまってたり、自転車がとまってたり、住んではいるらしい。 きっともう、住んでいる人は高齢になってしまっていて、 外観の修復なんてできないのかもしれません。 父が買った時からの年数を数えれば多分そんな感じ。 そんな分譲のほんの一区画を買ったのでしょう。 確かに、役に立つのか、意味があるのか、わからないようなところです。 母が嘆くのもわからないではない。 でも、父がその土地を買った当時は、 『日本沈没』なんて映画もはやっていました。 地震が来る、来ないと騒がれてもいたんです。 そして、私達が今住んでいるところはゼロメートル地帯なので、 いくら固定資産税の高い都市部とはいえ、 いつ水没するかわからない。 父にとってはそれが不安だったのでしょう。 東京といっても、下町はそんな場所。 特に田舎とか、地方に親族を持たない我が家にすれば、 そんな時逃げていく先がありませんから。 だから、あんな田舎の僻地ともいえるようなところに 土地を買ったのだと、思うのです。 僻地と呼ぶのはちょっと失礼ですね。 普通に住んでいるかたがたもいるのですから。 このあたりもうしわけありません。 でも、父にとっては、一種の保険。 しかし、幸いなことに結局その土地は使われることなく、父の生涯は終わった。 そんなところにほうほうの体で逃げて行かなくてすんで、 無駄な買い物に終わったことは、 実はいいことです。 母は、相変わらず、不満げですが。 でも、そういう場所に我が家を構えて住んでいる人もいるんですね。 東京に生まれて育ちながら、東京にあわない私なんかは 田舎に住みたいと思いながら、 ああいう不便なところに住んでいる人がいる現実には、 考えさせられてしまう、アマちゃんです。 でも、とりあえず、高台の絶対水没だけはしない、自然に囲まれた場所。 体さえ丈夫なら、住めば都かもしれない。 東京は便利だけど、殺伐として、いや。 田舎は自然があって空気もよさそうだけど、不便そう。 考えちゃうんだわ。 しかもね生まれたところ以外に嫁に行く度胸もなかったもんで。 小心者なんだわさ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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