久々に読書感想長文
↓読みました。言い分…ですね。そうなるんですね。もちろん、ちょっとどうなの?と思う点が見つかりました。←要するにツッコミ(^_^;)(前略)右利き像は単一的でイメージしやすいものの、(中略)左利きは多面的かつ複雑であることが特徴です。確かに道具や環境が右仕様のみだと、左利きが仕方なく適応している部分はあると思いますが、右利きも単一ではありません。例えば、どこかに書いたかも…うちのダンナの場合、右利きですが紙類は左手で扱います。財布にお札を出し入れは左手なので、もしかしたら「左利き用財布」の方が使いやすいのかもしれませんが、現状が不便かもなんて本人は全く気付いていません。そういう右利きの人って、けっこういるんじゃないかと思います。また、少しでも目立つ左動作があると「左利き」分類にするのも複雑だと思わせる一因ではないか?と思います。ボール投げが左で箸が右な人は実は左利きで、ボール投げが右で箸が左な人も実は左利き?どちらか右分類でも良くないですか?(笑)第六章 「右利き社会」から「左利きにやさしい社会」づくりへ「やさしい」なんて遠慮しないで左右平等!と言ってしまっていいと思います。ところで、この章でとても気になったのは「左利き専用」と「ユニバーサルデザイン」。少し前の日記に書いたけど、「左利き専用」表現はやめましょうよ。左利きの肩書のある人専用じゃなくて、左手や左動作で扱いやすい構造の道具のことでしょう?「左手用」や「左用」ではだめでしょうか?それと「ユニバーサルデザイン」は左右平等とは別物です。だいぶ前から何回も書いているけど、「右手用のハサミが使いづらいと言う左利きの芸能人に、ハサミが握れない人でも使えるカスタネット型のユニバーサルデザインのハサミを手渡したテレビ番組」が、間違っているのは分かっていただけると思います。利き手を問わずに使えるものは「左右両用」とした方がいいのでは?(ハサミで刃の合わせを変えられるものは「左右両仕様」など)おわりに自分の「言い分」を言うと…(^_^;)右利きと左利きが「共感」は無理だと思います。私一人の中にも右利きの感覚と両使いの感覚と右乗り(自転車的に左利き)の感覚がそれぞれ相反して存在しているのに(具体的には、やはりどこかで書いていますが「不自由になった右手でも豆腐をつかめる箸を苦労の末作り上げた」方について、右乗りの私は尊敬&感動だけど、両使いの私は「左手で食べればいいだけじゃない?」と思った)全く別の人同士で、通じ合うとは思えません。だから、気持ちだの思いやりだのではなく物理的に左右両仕様を整備して平等につなげていくしかないと考えています。