誰もが人を殺す可能性がある?
今度は福島県で、遺体バラバラ殺人事件が起こりました 事情徴収をされている、高校生は「殺すのは誰でもよかった」と供述しているらしい 中学卒業して高校に入ってから無口になったと言う話も出ている その時点で、何かしら、虐めに似た様な事があったんじゃないのか?と思ってしまう しかし、こうした事件が起こると決まりきった様にでてくる言葉は「命の尊さ」この言葉を聞くと、「本当かよ!」と突っ込みを入れたくなってしまう 結論から言うと「人間は全て対等に見る事は出来ない」この言葉に反論する人がいるかもしれないが、現実、自分と意見が違う人間には嫌悪感を抱くものだ その時点で、「対等」として扱うのは不可能 それは「命」の扱いも対等じゃなくなると言う事になるのではないのか?と思ってしまう 人を蔑視するという目を誰もが持っているのに いざ、人が死んだとなると 「命は大切」と洗脳する様に反復される そこに嘘くささを感じてしょうがない 「命は尊い」の言葉の裏に「自分の家族は犠牲にならないように」という、自分本位な策略が見えてしまう いっそ、「命は尊い」のではなく、人間についた「付加価値」と言うのが尊いんだと認めてしまえばいいのに とつくづく考えてしまう 実際に、社会の中では、働いている人の命ですら軽視いている節がある気配を受ける 社会の中枢である権力者は、公害問題、薬害問題、過労死の問題にしても、表面上、名前が出てこない「一般人」「市民」と言う人達に対しては、とても冷たい マスコミが騒いで渋々重い腰を上げだす それは、権力者と市民のやり取りだけでなく 市民間のあいだでも、ある日突然出て来たりする事だと思ってしまう だから、どうすればいいのか?と解いたところで、聖職者と言われる人の間でも虐めはあるし 坊さん同士の間にもいじめはある 他人を何とも思っていない人なんて、本当の所いくらでもいる そんな事からも 命が満遍なく平等に尊い とか命を尊ぶと言うのは、所詮無理な話であり、それが、通用するのは、個々の人間が持っている一定の範囲でしかならないものだと常々考えてしまうし、BOOWYのモラルと言う歌じゃないけれど、それを外れた人が死んだ所で「ザマーミロ」としか思っていない人も事実だと思ってしまうマスコミも、ジャーナリストも、精神分析医も犯罪心理学者も、生活する上で、いいネタになった、金が儲かる と感じた人は本当の所何れ位いるんだろうか? ある意味、社会に踊らされた少年が起こしたエンターティメント のごとくだ あと、人を殺すと言う事についても、未成年が事件を起こすと「何故?」「どうして」と言う話ばかり それで、「最近の人はおかしい」と嘆く こんな事何時の時代でもあったんじゃないのか?と思ってしまう ただ、今と昔じゃ情報量が違うからそう感じるだけだろう と思っている 昔は、大阪だって、汽車に乗って何日か、かかっていたわけで そんな中、津山33人死傷事件のように大きな事件ならいざ知らず、高々、1人2人殺された位で時間をかけ取材だなんて、別の話題を書いた方がよほど人件費等かからなくて言いはず そんなわけで、山間の町や村で、ちょっと話題になって終わっていただろうに想像してしまう そう言う事から、昔からこれ位の事は、あったはずで、今がおかしいわけじゃないのではないのか?と思ってしまう しかも、未成年者が人を殺すと 特異な事件として大騒ぎし、その人を人以外のものの様に扱う様子を見て 不思議に感じてしまう とかく人を殺していいのか?悪いのか?そんな事は、物心ついた頃から、何度も聞いて解っている事だ けれど、人間は頭で解っていても、感情が抑えられないと言う事もあってしかるべく事と思ってしまう 人を殺さなくても、健康の為に「煙草をやめる」「酒をやめる」そうした事をやめたくてもやめられない人がいる 衝動を抑えられない人がいる そう言う事が抑えられない人が、人を殺したいと言う衝動を抑えられなかった人に対して はたして、特異な人と蔑視して言えるんだろうか?と思ってしまう こんな事を書くと、人を殺すのと、趣向を止めるのでは違うと言うのだろうけれど、精神的に、感情を抑えられないと言う点では一緒ではないのか?と思ってしまう そして、それが、ただ、理解出来ないだけなのではないのか?と考えるし、もし同じ立場になったとしたら、酒や煙草をやめれない人は、同じ事をするのではないのか?と考えてしまう 実際にアメリカで行われた監獄実験は、それを通説に思わせる出来事ではなかったのか?と思い 誰もが、そうした攻撃性を持ち、起こしうる事だと思ってしまう 「何故」と言う問いかけは その人間を特別とし、人が持っている本来の醜態を隠す為に使われている様に感じてしまう es 〔エス〕(DVD) ◆20%OFF!それでも、人は、一人では弱いので、一人だけの意見であると、それが間違っていると感じ弱気になったりもする 一人の時は人を殺す勇気がない人ばかりだ (だから社会は一応成り立っていけている)けれど、そこに、例え、間違った概念であっても、集団となり話を共有出来る人が増えれば増えるほど、自分は正しいと言う思い込みと優越感が起こり 人は簡単に人を殺せてしまう現状があると思ってしまう 正義感(それが正しいか正しくないかは別として)は時として、人を抹殺する凶器になりうると言う事と誰もが、持っていると言う事を認めるべきじゃないのか?と感じたりする しかし、人は腹黒い 結局は自分が良い目で見られたいと言う欲望がそこにある だから、認める人は出てこない