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パワースポット@神の島「Okinawa」

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2020.12.21
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カテゴリ:うるま市

(伊波ヌール墓)

沖縄本島うるま市石川伊波に「伊波ヌール墓」があります。ヌールとは沖縄のノロの事で琉球神道における女性の祭司、又は神官を指します。地域の祭祀を取りしきり御嶽の祭祀を司る重要な役割を果たしていました。琉球王国の祭政一致による宗教支配の手段として、古琉球由来の信仰を元に任命されて王国各地に配置されました。「伊波ヌール墓」は歴代の伊波ノロの遺骨が納められた聖域として崇められています。


(伊波ヌール墓の標識)

「伊波ヌール墓」が位置する石川伊波地区は当初1990年に石川バイパス工事の開発地区に予定されていましたが、伊波ヌール墓や周辺の貴重な文化財を保護する案が浮上したのです。伊波ヌール墓のある山の地質は千枚岩と堆積した琉球石灰岩であり、トンネルを通す地質条件に適していませんでした。しかし、うるま市のみならず沖縄県の歴史的価値の高い文化遺産を残す目的で、急遽バイパスは「伊波ヌール墓」の真下を通関する「石川トンネル」の整備に変更されたのです。


(伊波ヌール墓へ降りる石段)

琉球王国時代に伊波、嘉手苅、山城、石川の各集落の年中祭祀を正式に司っていた歴代のノロ(伊波ヌール)の遺骨が墓に納められています。沖縄の「ノロ」や「ユタ」は神がかりなどの状態で神霊や死霊など超自然的存在と直接に接触や交流し、この課程で霊的能力を得て託宣、卜占、病気治療などを行う呪術や宗教的職能者を指します。「ノロ」は主にニライカナイの神々やその地域の守護神と交信するのに対し「ユタ」はいわゆる霊、神霊、死霊と交信します。


(伊波ヌール墓がある崖下)

「伊波ヌール墓」は崖下の鍾乳洞を利用した掘り込み式です。墓室内にはサンゴ石灰岩製蔵骨器11基と陶製蔵骨器4基の計15基が安置されています。ほとんどの蔵骨器に2体分の遺骨が納められています。現在でもウマチー(収穫祭)や清明祭の時に参拝の人たちが訪れるなど地域的信仰の対象となっています。1994年には貴重な文化財として市の指定を受け、地元住民の重要なウガンジュ(拝所)として大切に保護継承され続けています。


(伊波ヌールガーに生える大木)

(伊波ヌールガー)

「伊波ヌールガー」と呼ばれる井泉が「伊波ヌール墓」の南西にあります。伊波ヌールが祭祀を行う際に利用した水源で、聖なる神水として崇められた聖域でした。「伊波ヌールガー」にはウコール(香炉)が設けられ、井泉の脇から大木が力強く育っています。この大木は「伊波ヌールガー」周辺で極めて目立つシンボルとなっており、聖なる神水で成長した木の枝が天に向かって伸びている神秘的な光景となっています。


(伊波按司の墓/伊覇按司之墓)

(伊波中門祖宗之墓)

「伊覇按司之墓」は伊波グスクを築いた按司の墓で、旧具志川と旧石川を結ぶ国道329号(石川バイパス)が通る石川山城地区にあります。伊波グスクから南に1キロほど離れた場所にある墓は天然の要害を利用して築かれ、野面積みの石垣が現在も残っています。伊波仲門門中(なかじょうムンチュー)が管理しており、同門中の始祖(伊波按司)が祀られています。向かって左側には「伊波中門祖宗之墓」が隣接しており、現在も子孫等の多くの参拝者が訪れて拝んでいます。


(数明親雲上の墓の入り口)

(数明親雲上の墓)

「伊波集落」の中央に「数明親雲上(スミョウペーチン)の墓」があります。数明親雲上は伊波集落の生まれで第二尚氏第4代「尚清王(在位1527〜1555年)」に神歌主取として仕えていました。尚清王が久高島からの帰途に嵐に見舞われた際、船の舳先に立ち神歌(おもろ)を謡い風波を鎮め無事に帰港したと伝わります。この墓は伊波原に所在する古墓で地元では「屋嘉墓」とも呼ばれています。


(尚泰久王墳墓跡)

第一尚氏第6代「尚泰久王(在位1454〜1460年)」の墓跡と伝えられています。伝承によると、第一尚氏第7代「尚徳王(在位1461〜1469年)」の亡き後、第二尚氏の「尚円王(在位1470〜1476年)」に政権が代わった際、首里の天山陵に祀られていた尚泰久王の遺骨が密かに移葬されたと言われています。それを隠すためか、この墓は「クンチャー墓(乞食墓)」と呼ばれていたそうです。


(ウミナイ墓)

「ウミナイ墓」は「尚泰久王墳墓跡」の右側に隣接し、尚泰久王の母親もしくは乳母が祀られた墓だと伝えられています。1982年に発掘調査が行われ、墓の中に石灰岩製の石厨子が3基あり、中央に位置する大型の石棺からは風化の進んだ人骨、鳩目銭2枚、猪の第3臼歯が発見されました。毎年、清明祭には伊波仲門門中、大屋門中、尚泰久王に縁のある人々が多く訪れ拝まれています。


(伊波ウブガー/東側入り口)

(伊波ウブガー/西側入り口)

「伊波ヌール墓」の南側に「伊波ウブガー(産川)」があり、東西を繋ぐ地下トンネル内に現存しています。伊波集落で最も古い井泉とされる「伊波ウブガー」は生活用水、産湯、正月の若水、病気の際のミジナディ、死者の清め水、霊水として使用されていました。石川バイパス整備の際に地下横断路を作り、場所、位置、形を変えず昔のままの姿で残っています。「伊波ヌール墓」もバイパス整備で「石川トンネル」を掘る事で守られたように、歴史ある先人からの遺跡文化財を大切に守り継承する素晴らしい郷土愛が「伊波集落」には強く根付いているのです。






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最終更新日  2023.10.28 12:39:59
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