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パワースポット@神の島「Okinawa」

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2021.02.22
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カテゴリ:うるま市

(平安座島)

「平安座島(へんざじま)」は沖縄本島中部のうるま市勝連半島の北東約4km位置にあり、海中道路で渡る離島四島(平安座島、宮城島、伊計島、浜比嘉島)の玄関口にあたります。周囲は約7kmで面積は5.32平方キロメートル、標高は最も高いところで115.6mの琉球石灰岩におおわれた台地状の島です。方言でも「へんざ」または「ひゃんざ」と呼ばれ、地名の由来は「干潮」を意味する沖縄の方言、または平家の落人が島に安徳天皇を祀ったという伝説に因んでいます。


(世開之碑)

海中道路を4キロほど進み平安座島に入るとまず海中道路開通を記念した「世開之碑」が建てられています。海中道路が建設される以前の沖縄本島と平安座島の交通手段は、干潮時に浅瀬を歩いて渡る「潮川渡い(スーカーワタイ)」か、満潮時に利用する渡船のどちらかでした。1956年には干潮時の手段として海上トラックが運行を開始しましたが遭難事故も発生したのです。海中道路を心から望んでいた島民は一人一人が石を運んで積み上げる人海戦術で建設を開始し、本格的な工事を経て1966年8月に全長210mのコンクリート製の海中道路が完成しました。


(海底にあった獅子)

平安座島漁港の向いの「ホテル平安/レストラン平安」脇にある「海底にあった獅子」と呼ばれるシーサーです。琉球石灰岩で造られた石獅子は平安座島周辺の海底で発見されました。いつの時代のシーサーなのか?なぜ海底にあったのか?など未だに謎が全く解明されていない石獅子で、現在は県道10号沿いの小屋でひっそりと佇んでいるのです。


(上段の井泉/イーヌカー)

(下段の井泉/シチャヌカー)

平安座集落の北側にある「ユタカガー」です。この井泉は水量が豊富で上下2階建ての非常に珍しい造りとなっていて、上下は石造りの水路で繋がっています。村ガー(共同井戸)として上の井泉(イーヌカー)は主に飲料水、下の井泉(シチャヌカー)は溜池で洗濯などの生活用水等に利用されていました。


(与佐次河/ユサジガー)

ユタカガーの隣に琉球赤瓦屋根が特徴の「与佐次河(ユサヂガー)」があります。この湧き水は"ユサンディガー"や"産井かー(ウブイカー)"とも呼ばれ、水飲み場や産水として利用され昔から神聖な場所となっています。旧暦1月3日に催される「ウビナディー」の行事では平安座島の各家の家族や親戚ウガンジュ(拝み場)となっており、子孫繁昌と無病息災を聖水に祈願します。


(与佐次河の歌碑)

日本でいう万葉集にあたる琉球最古の歌謡集である「おもろさうし」には、与佐次河(ユサヂガー)は神聖なる井泉として歴史的に崇拝されていた事が謳われています。石碑には「おもろさうし」の一首が記されています。

「ひやむざ よさきかわて もちよす きいちへて くにてもち おぎやかもいに みおやせ」


(国吉之河/クンシヌカー)

「国吉之河(クンシヌカー)」と呼ばれる井泉が平安座集落の北西部にあります。このクンシヌカーは「平安座一番地」と名付けられており、井泉に番地が付けられる理由はクンシヌカーが島の根幹を示す事を意味しています。この井泉は1736年〜1799年に石造されたとされ、門中の氏河(ウジガー)として近隣の生活用水として活用されていました。ちなみに門中とは一般的に、沖縄で始祖を同じくする父系の血縁集団の事を言います。


(クワディーサーの木)

平安座島にある彩橋(あやはし)小中学校(旧平安座小中学校)の敷地内にある樹齢約300年の「クワディーサの木」です。クワディーサの木がある場所は「シヌグ」の行事で拝むウガンジュの一つであるため「シヌグ毛」と呼ばれています。「シヌグ」ではノロ(神女)達が島のイリーグスクとアガリグスクを拝んだ後に訪れて、島民の繁栄や無病息災を祈願します。


(地頭火ヌ神)

平安座集落の中心部にある「地頭火ヌ神」です。旧暦3月3日から5日までの3日間、平安座島の最大行事である「サングヮチャー」が催されます。女性が潮水に手足を浸して穢れを落とす「浜下り」に加えて、豊漁と漁の安全を祈願する祭祀が同時に行われる平安座島ならではの伝統行事です。サングヮチャー初日にカミンチュ(神人)たちがノロ殿内(ヌンドゥルチ)の「地頭火ヌ神」の前で杯を交わしながら次のように歌い、今日から三月節句であることを告げます。

「くとぅし さんぐゎちや はちばちどぅ やゆる やいぬ さんぐゎちや ちゃわんうさ」

(今年の三月節句はほどほどに 来年の三月節句は華やかに過ごしましょう)


(ちょうの浜)

「サングヮチャー」2日目は平安座自治会館裏手の通り「ちょうの浜」で女性神人たちによる豊漁大漁を祈願する紙事「トゥダヌイユー」が執り行われます。高級魚であるタマンとマクブが、海人からノロ(神女)に奉納される伝統行事です。奉納の際には女性神人たちが太鼓、手拍子を歌に合わせて囃し立て、まな板に置かれた魚を銛で突き肩に担いで歌い踊ります。「ちょうの浜」は普段から島民の神聖な場として大切にされているのです。


(ナンザ/亀島)

アダンの木の奥に見えるのは「ナンザ」(南座岩)という離れ小島で、平安座島の島民からは"亀島"と呼ばれています。「ちょうの浜」でのトゥダヌイユーが終わると、平安座島の東の沖合500mほどのところにあるナンザの岩を目指して道ジュネーが始まります。形はタマンで色彩はマクブを模した巨大な魚の神輿を担ぎ、人々は仮装しながら島を練り歩き東の浜に移動します。そのまま干潮の時間に合わせてナンザ岩に渡り、岩の頂上で東の海にあるというニライカナイに向け供物を捧げ豊漁を祈願します。ニライカナイの神がいるとされる東の海に向かい「魚群を平安座に押し寄せてくれ」と大漁豊漁の祈願をするのです。


(濱之河/ハマヌガー)

平安座集落のノロ殿内と平安座自治会の間にある「濱之河」(ハマヌカー)です。この地はかつて美しい浜と海が目の前に広がっていた場所で、漁から帰る男衆を乙女達が出迎えて魚を捌いていた場所です。また、このカーでは野菜を洗ったり洗濯をしていたので、常に乙女達で賑わっていたと伝わります。


(不発弾で作られた警鐘)

平安座集落中心部のノロ殿内にある「警鐘」です。この長細い鐘は沖縄戦で残されたアメリカ軍の不発弾を再利用しています。信管と火薬を抜きペンキで色付けして櫓に吊るしています。一緒に鐘を鳴らすハンマーも備え付けられていて、今でも現役の警鐘として十分に使用可能です。ひとたび警鐘を鳴らせば平安座集落全体に鐘の音が響き渡る事でしょう。


(浜比嘉大橋)

浜比嘉島から見た平安座島です。平安座島の海運業は全盛期の琉球王国時代には100隻近くの山原(やんばる)船を擁し、沖縄本島内の国頭地方と中南部の泡瀬、与那原、糸満、泊の各港を結んで交易したほか、遠くは先島諸島や奄美諸島まで出航していました。平安座島ではヤンバル船は「マーラン船」と呼ばれ、平安座島は沖縄本島各地の船乗りの寄港地として繁栄しました。ヤンバル船に関して、次のような琉歌が残っています。

「船のつやうん つやうんなたくと まらん船だらんで 出ぢちて見れば 山原だう」

(船が着いたよ 着いたと鉦が鳴っていたので 馬艦船かと思って 出て見れば 山原船であった)     


(竜宮門)

平安座島は沖縄本島、宮城島、浜比嘉島を結ぶ重要な島であり、琉球王国からの伝統文化を大切に継承され続けています。平安座集落を歩いていると頻繁に島民とすれ違いますが、皆が笑顔で「こんにちは」と挨拶をしてくれます。静かでゆったりとした時間が流れていて、浜は潮の音がして山は井泉が湧く音が心地良く聞こえてきます。平安座島は間違いなく癒しの島であり、古き良き沖縄が残るパワースポットの島なのです。






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最終更新日  2023.10.28 19:20:31
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