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カテゴリ:中城村
(伊舎堂農村公園) 沖縄本島中部で東海岸に隣接する「中城村」に、世界遺産「中城城跡」の南側丘稜から中城湾まで細長く広がる「伊舎堂(いしゃどう)集落」があります。「伊舎堂公民館」北側の国道329号線沿いに「伊舎堂農村公園」の森があり、敷地内に「花の伊舎堂歌碑」が建立されています。この琉歌は「じっそう節」と呼ばれ、かつて綿の栽培で栄えた「伊舎堂集落」を舞台に生まれた恋歌です。この地は明治の末頃まで綿の栽培が盛んで、集落には働き手の若い女性が数多くいました。 (伊舎堂農村公園の入口) (花の伊舎堂の歌碑) 「じっそう節」の歌詞にある「花の伊舎堂」とは「綿の花」と「美しい女性」たちが沢山いる所という意味を掛けています。青年男女の娯楽の場であった「毛遊び(モーアシビ)」は、特に「伊舎堂」は若く美しい女性が多い事から、彼女らを目当てに多くの若い男性が近隣の集落から集まったと言われています。 『思ゆらば里前 島とめていもれ 島や中城 花の伊舎堂』 (私のことを愛する心があるなら 私の古里は中城の伊舎堂だから どうぞ訪ねて来て下さい) (伊舎堂のリンクンガー) (ウブガー/産井戸) 伊舎堂公民館の北側に「伊舎堂のリンクンガー」と呼ばれる共同井戸があります。かつてカー(井戸)の周辺にレンコンを植えて、士族が村周りをした時に食べさせたと言われています。戦前まではアーチ型をしていましたが、戦後に現在の形になりました。更に「伊舎堂農村公園」の北側の丘稜に石積みで囲まれた「ウブガー(産井戸)」があり、ムラガー(村井戸)とも呼ばれています。この丘稜北方の小高い山は「サクヌヤマ」と呼ばれ「伊舎堂」の人々が現在地に移ってくる以前に、一時的に住んでいた場所だと言われています。 (エードゥンチグヮ/親殿内小) (エードゥンチグヮ/祠内部) (エードゥンチグヮの井戸) 「伊舎堂公民館」の敷地内に「エードゥンチグヮ(親殿内小)」の祠があり「伊舎堂の殿」とも呼ばれています。祠内には2つの霊石が祀られています。また、祠の南東側には井戸がありウコール(香炉)が祀られています。琉球王府時代、親方(うぇーかた)と地頭職にある親雲上(ぺーくみー/ぺーちん)の邸宅である殿内(どぅんち)がこの地にあり、現在は集落の守護神である祠と水の神が祀られる井戸が拝所として住民に祈られています。 (伊舎堂前の三本ガジュマル) (伊舎堂前のガジュマルの石碑) (伊舎堂前の三本ガジュマルの拝所) 「伊舎堂集落」は約400年前は「中城城跡」の近くにありましたが、時代の流れと共に現在の地に移動してきました。伝承によると、この三本のガジュマルは最初に移動してきた安里家(屋号:伊舎堂安里)、比嘉家(屋号:アラカキ)、比嘉家(屋号:カナグスク)の三組の夫婦が記念に一本づつ植樹したと伝えられています。現在の木は戦後植え変えたもので三代目だという事です。この地には「三本榕」と刻まれた石碑と、護佐丸バス「伊舎堂」バス停に3つの霊石が祀られる拝所があります。 (伊舎堂安里家) 「中城グスク」の城主であった「護佐丸」の兄である「伊壽留(イズルン)按司」の子孫である安里家に火の神をはじめ伊壽留按司の元租(ガンス)や御神と呼ばれる上代元租(イーデーガンス)が祀られています。「伊舎堂集落」では昔から安里家が村落祭祀の中心的役割を担ってきました。屋敷内には旗頭も保管されており、戦前までクンガチクニチ(旧暦9月9日)には、安里家から旗頭が出発し子供達がドラやカネを叩き道々を鳴らし練り歩いたと伝わっています。 (お宮/村火の神) (お宮拝殿の霊石) (お宮の手水鉢) 「伊舎堂安里家」の東側に「お宮(村火の神)」があり「デーグスク(台グスク)」火の神へのウトゥーシ(遥拝)の場所だと言われています。お宮拝殿の霊石は「デーグスク」からウンチケー(お招き)して来て1936年10月7日に建立されました。この場所は神聖な土地として、戦前まで木々の伐採は厳しく禁じられていました。拝殿にはウコール(香炉)が祀られており、現在も集落の住民に祈られています。また、敷地内には古い石造の手水鉢が残されており歴史の深さを感じる事が出来ます。 (伊壽留按司之御墓) (伊壽留按司之御墓の石柱) (伊舎堂のカー) 「護佐丸」の兄である「伊壽留按司」の墓は「中城城跡」の入口の高台東端にあり、琉球石灰岩の岩盤の下を掘り込んで造られ、墓の前面は琉球石灰岩を相方積みに積んであります。「伊壽留按司」は城主になる事を望まず、中城間切に移り住み農業に励んで近隣では名の知れた豪農になり「伊舎堂安里(屋号)」の始祖となりました。「伊壽留按司之御墓」に隣接する場所に「伊舎堂のカー」があり「旧伊舎堂集落」の住民生活に欠かせない井戸として使用されていました。 (デーグスクの火の神) (火の神の西側にある拝所) (火の神の西側にある拝所) 「中城城跡」から東側に数百メートルの場所に「デーグスク(台グスク)」があり、その周辺一帯には「旧伊舎堂集落」が広がっていました。「護佐丸」以前に「中城」を統治していた按司(先中城按司が居住していたと伝わる古いグスクです。「デーグスク」の頂上の西側に「デーグスクの火の神」あり、現在も古い石垣が積まれています。「デーグスク」には御嶽があり「神名:ダイ森ノ御イベ」と「神名:ミツ物ノ御イベ」の2つの神が祀られ、かつては「大城ノロ」によって祭祀が行われていました。 (デーグスク頂上の拝所) (デーグスクの拝所) 現在、この古いグスクは一般的に「デーグスク」と称され「台城」という漢字が充てられていますが「琉球国旧記」(1731年)には「泰城」と記されています。この一帯は「中城村」で最も高い位置にあり、標高は170mを超え西海岸だけでなく遠く伊江島までも一望できる絶景が広がっています。因みに「デーグスク」東側丘稜の中腹に「護佐丸」の墓があり、今後は世界遺産の「中城城跡」と中城ハンタ道の「新垣グスク」に次ぐ「中城村」を代表するグスクとして国内外に知られ注目されてゆく事でしょう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022.03.06 22:53:43
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