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カテゴリ:嘉手納町
![]() (ヤラジヌシー) 沖縄本島中部の西海岸に「嘉手納町/かでなちょう」があり、この町の面積の約82%がアメリカ空軍「嘉手納基地」に接収されている事で知られています。この「嘉手納町」の西側海沿いに「兼久/かねく集落」があります。この集落の「嘉手納マリーナ」と呼ばれる米軍保養施設に「シーサイドリストランテ」というレストランがあります。また、この施設の東側国道58号線沿いに「野国貝塚群」が残っており、南側には中国から甘薯を持ち帰り琉球にイモを伝えた「野国総管」が葬られた墓があります。「嘉手納マリーナ」の西側の海に「ヤラジヌシー」と呼ばれる孤島があり、地元の住民からは「ビジュルヌシー」と呼ばれています。この孤島は戦前まで住民が往来する事が出来た岩場の岬でしたが、米軍による強制的な砂利採掘により現在の姿となりました。当時はこの岩場に「兼久のビジュル」という拝所があり、戦前までは「メーヤールイグヮー/前屋良小のビジュル」の名称で知られていました。 ![]() (移設された兼久のビジュル) ![]() (兼久のビジュルの入り口) ![]() (兼久のビジュル) 沖縄戦後、米軍により破壊された「兼久のビジュル」は現在、北側のショッピングモール「ネーブルカデナ」に隣接する岩場に移設され祀られています。「嘉手納町」は「ハダカユー/裸世」と呼ばれる原始人が裸同然で生活していた旧石器時代や貝塚時代の頃から歴史があり「屋良・野国・嘉手納」の3部落が1番古いと伝わっています。これらの部落に昔から住んでいた人々を平民と呼び、一方で「兼久のビジュル」がある「兼久集落」は「ヤードゥイ/屋取集落」と呼ばれ、首里から移住した士族により集落が形成されました。「琉球処分」の過程で1879年(明治12)に琉球藩を廃して沖縄県を設置する「廃藩置県」が行われ、約500年間続いた琉球王国が崩壊しました。その後、首里に住んでいた士族は沖縄本島の各地に移住させられる「士族帰農」が進み「兼久集落」が誕生しました。 ![]() (兼久のビジュルの祠) ![]() (祠内部のビジュル) 士族育ちの移住者は農業が上手く行かず、自分で働いて食べていく事が非常に辛かったと言われています。首里の士族だった女性たちが周辺集落の田舎百姓である平民に頭を下げて、恵んで下さいと物乞いまでした苦しく厳しい話が伝わっています。首里から移住して新しい土地を開拓したため「兼久集落」には住民の心の拠り所である拝所や御嶽は存在していませんでした。そこで「兼久」の村人が恩納村「仲泊」の海岸からビジュル(霊石)を3体持ち帰り「ヤラジヌシー」の岩陰に祀りました。すると直ぐに「兼久集落」は子宝に恵まれ、それから集落ではこのビジュルを神として崇めて大切に拝するようになったそうです。「兼久集落」はこの土地に最初に移住した「亀島」という名前が多かったため「カメシマグヮーヤードゥイ/亀島小屋取」と呼ばれており、他には「福地・山入端・古謝」の3つの名前があったそうです。 ![]() (兼久の井戸) ![]() (兼久の井戸) ![]() (亀島の井戸) ![]() (亀島の井戸) 大正生まれの「兼久」の古老によると、戦前まで「ヤラジヌシー」の岩場には移住当時から大きな井戸があり、住民の生活用水として重宝されていたそうです。戦後、米軍がこの井戸を埋めてしまったため、井戸の魂を現在の「兼久のビジュル」に移設しました。戦前まで「兼久の井戸」は石が積まれており、潮の満ち引きの関係で大潮の時は井戸に沢山の水が溜まり、干潮の時は水量が少なくなったと言われています。しかし、不思議な事に井戸水は真水で塩は含まれていなく、水が含まれる地層の関係により水量が変化していたそうです。現在の「兼久のビジュル」にはもう1つの井戸も祀られており、首里から士族が移住して「亀島小屋取」と呼ばれるようになった頃に「亀島」という人物が掘った井戸であると伝わっています。こちらの井戸も戦後に米軍により埋められましたが、先人の井戸を粗末にしてはいけないと住民により移設されました。 ![]() (兼久のビジュルの拝所) ![]() (兼久のビジュルの拝所) ![]() (兼久のビジュルの洞穴) ![]() (仲泊海岸) 「兼久のビジュル」には「ヤラジヌシー」の魂を祀ったと考えられる大岩があり、岩の下にはウコール(香炉)が祀られています。恩納村の「仲泊海岸」から求めてきた「兼久のビジュル」の霊石は1955年(昭和30年)に現在の場所に移されました。この土地に祀られる「ビジュルヌタンメー/お爺さん・ビジュルヌウンメー/お婆さん・動物」で構成される3体の霊石は「兼久集落」における霊石信仰の対象として大切に崇められています。この御神体は旧暦の9月9日に御供物をして子供の健康と家内安全を祈願する慣わしとなっています。さらに、子宝を求めて夫婦が「子宝に恵まれますように」と「兼久集落」のみならず、周辺の地域からも一年を通して多数の参拝者が訪れています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.03.03 15:46:38
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