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カテゴリ:本部町
(上のウティラグンジン) 沖縄本島北部の「本部町」に「辺名地/へなじ集落」があり、集落の西側丘陵に「辺名地洞穴」があります。この洞穴は「ウティラグンジン/ウティラグンギン」と呼ばれ、昔から「辺名地」の人々が「ムラシーミー/村清明」の際に拝してきました。洞穴は2箇所あり「辺名地集落」に近い方が「上のウティラグンジン」で、海沿いの「大浜集落」に近い方は「下のウティラグンジン」と呼ばれています。「辺名地集落」の「ムラシーミー」は集落の草分け旧家である「松田門中」の「マンナルンチ/マンナドゥンチ」と「松田門中」の分家である「ヘナジヤー」さらに「崎本部集落」から移り住んだ「渡口門中」の3組に分かれて執り行われています。「ムラシーミー」は「シマ建て」と呼ばれる「辺名地集落」の草分け祖先を拝する祭祀であり、かつては村の全ての住民が参加して祭祀が営まれるのが原則であったと言われています。 (上のウティラグンジンの洞穴) (下のウティラグンジン) (下のウティラグンジンの洞穴) (下のウティラグンジンのウコール) 「辺名地集落」の西側にあるサトウキビ畑を通り抜けると「ウティラグンジン」の森が広がり、県道244号線(渡久地山入端線)沿いの小高い丘陵に「上のウティラグンジン」と「下のウティラグンジン」の洞穴があります。「辺名地集落」の神役はノロ(祝女)1人とネガミ(根神)3人の計4人の女性を中心に祭祀が執り行われて来ましたが、現在はネガミの1人(ヘナジヤー)が数名の支持者と共に単独で祈願を行なっています。この単独行動の理由は「辺名地」に居住していないユタの判断を信じていると言われており「マンナルンチ」と「ヘナジヤー」の2つの旧家の葛藤が深刻化しているそうです。「ムラシーミー」の際、本来は昔から「下のウティラグンジン」のみ拝されていましたが、集落の古老がまだ幼い頃に見知らぬユタの判断により「上のウティラグンジン」を開いて祀る指示が出されたそうです。現在は「上のウティラグンジン」を拝み、次に「下のウティラグンジン」を拝するの順序となっています。 (崖下の墓に向かう丘陵) (崖下の墓/風葬墓) (崖下の墓/正面の門石) (崖下の墓/向かって右側のウコール) (崖下の墓/内部の厨子甕) 「下のウティラグンジン」の東側にある崖の中腹に風葬墓があり「崖下の墓」と呼ばれています。「ムラシーミー」ではこの古墓も同時に拝されており「辺名地集落」の先祖に関する人物の墓であると考えられています。墓の前はやっと1人がお供物を捧げ拝む事しか出来ない所狭い空間で、その脇は急な深い崖となっています。この風葬墓は珊瑚塊を人の背丈程の高さに積み重ねた壁に囲まれています。墓の正面にはジョウイシ(門石)を囲むシミイシ(隅石)やジョウガブイ(門冠り)の構造が見られ、石造りのウコールが設置されています。また、正面に向かって右側にもウコールが設置されてあり、ジョウイシとして多数の石が積み上げられてあります。石積みの内部には4基の厨子甕が設置されており、床には散乱している人骨が確認出来ます。「ムラシーミー」の際には墓に餅、天ぷら、蒲鉾などの重箱をお供えし線香を炊き合掌し、その後はあの世のお金である「ウチカビ/打紙」を燃やして拝されています。 (マンナルンチ/マンナドゥンチの屋敷) (ナカヌウタキの森) (ナカヌウタキの入り口) 集落の祭祀を執り行うノロを出す「マンナルンチ」の屋敷は「ジョーバル」とも呼ばれ「辺名地公民館」の南側に位置しています。この旧家は集落の草分けの家で「ニーヤー/根屋」としても知られ「ウッチガミ/掟神」という女性神役および男性神役も1人この家から出ています。かつてノロは南西側に隣接する「健堅集落」の祭祀にも関与していましたが、現在は「辺名地集落」の祭祀のみ執り行っています。「マンナルンチ」の「ニーヤー」にあるお宮は旧暦7月19日から24日の「シヌグイ」で執り行われる「ウフウムイ」と「ウンナレート神酒興し」拝されています。「マンナルンチ」の屋敷から西側に約100メートルの場所に「ナカヌウタキ」と呼ばれる御嶽が小高い森の中にあります。この森は「シニグイバル」の名称でも知られており、現在は一帯が土地改良が施されて畑が広がっていますが、昔からの拝所はこの森に大切に残されています。 (ナカヌウタキの合祀拝所) (金満嶽の拝所) (土帝君の拝所) (ナカヌウタキのヒヌカン) 「ナカヌウタキ」に通じる階段を上ると森の中に広場があり3つの拝所が合祀されています。「金満嶽」と刻まれた石碑とウコール(香炉)が祀られた拝所は「辺名地集落」の「フルウガミ」と呼ばれる御嶽がかつてあった方向に向けて設置されています。また、土地神である「土帝君」の石碑とウコールは土地改良が行われた集落の西側に向いており、さらに3体の霊石が設置されたヒヌカンの拝所は集落の中心部に向いています。「ナカヌウタキ」は旧暦1月3日の「元日御願」で拝され米2升・酒3合・線香3束が供えられ、旧暦4月15日の「4月ウマチー」では麦2升・線香15束・マキが供えられます。また、旧暦5月9日の「ウフウガン/大御願」の際には酒1升・麦2升・線香・ミキを作る麦粉・マキを供えて拝されています。 (ヒナンジャーの拝井) (ヒナンジャーの拝井/入り口) (ヒナンジャーの拝井) (ヒナンジャーの中流) 「辺名地公民館」の南東側に「ヒナンジャー」と呼ばれる川が流れています。公民館に隣接する場所に「ミャークニー散策道」と刻まれた石碑があり、そこから丘陵の森を下った麓に「ヒナンジャー」があります。この川沿いの階段の先には拝井が残されており、水は枯れていますがウコールと考えられてる石板が設置されています。「ヒナンジャー」は「古御嶽」と呼ばれるかつて集落の御嶽があった場所に近く「辺名地集落」の先人が貴重な水の恩恵を受けた川であると考えられます。ちなみに「ヒナンジャー」は「大小堀川」の中流を指し、下流は「ウフグムイガー」と呼ばれています。散策道の名称である「ミャークニー」は「宮古根」と表記し「本部宮古根/ムトゥブナークニー」という沖縄民謡があります。「スクミチ/宿道」をテーマにした唄であると同時に「モーアシビー/毛遊び」を唄った沖縄民謡としても知られています。 『渡久地から登て 花の元 辺名地 遊び健堅に 恋し崎本部』 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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