何ゆえ人間は王様に血筋を求めるのか
中国や韓国の歴史ドラマをみていると王様になるには血筋が最重要だとわかるのですが西洋が民主主義に移行したのに対し戦前まで中国や朝鮮はずっとそのままでした。中国は初めは殷や周が宗室だったわけですが断絶しています。その後あまたの王室が創設されては消えていきました。五胡十六国の時代は特にひどく家来が主人をかってに廃して王様になっています。これだけ王朝がかわったにもかかわらず創始者が王様になるとその血筋から王様が選ばれることになります。いかに創始者が偉大でも子供が同様に偉大になるわけでもない。むしろ王室の中で純粋培養されるため人間的には創始者よりは弱体化するような気がします。猿などの単純な集団ではボス猿が衰えると実力で交代劇がおこりますが人間の場合はあたまがよいぶんいろんな事情でできあがったシステムを血筋で維持しようとします。これが不思議なんですがむしろ実力主義の王様選定などしようものなら戦争ばかりおこって大変だからなのかもしれません。それはともかく血筋を維持しようという一つの民族の努力は他の民族の台頭により排斥されます。中国ではいろんな民族が北方よりやってきたのでそのたびごとに前の王朝は廃され新たな王朝が建てられるということになります。朝鮮はどうかというと事情は同じようなもので新羅が朝鮮を統一したあと衰えると高麗が建国されますがやはり建国者の王建はどうも中国系らしく新羅はなくなってしまいます。また高麗が衰えて李成桂が李氏朝鮮王朝を始めますが李成桂も女真族らしく外の民族出身。高麗王朝はやはりなくなってしまいます。そして最後に日本が併合することにより李氏朝鮮の王族はまだ生存しているようですが李氏朝鮮王朝自体は消滅してしまいます。そして日本はどうかというと戦乱の時代や武士の時代があったものの大和朝廷自体は存続し続けます。これは他の民族による政権交代がなかったためかと思われます。けっこう人間はその民族の王家の血筋にこだわりがあって他民族ならともかく同民族の中では王家の血筋を廃しようとはあまりおもわないようです。社会的激変が激しかったヨーロッパ大陸はともかくイギリスなどは王家を維持していますので人間の血筋にたいするこだわりというのは人間特有のもののようです。あたりまえなことなんでしょうが人間が血筋に特別なこだわりをもつのは生物学的に多少不思議な気もします。愛媛大学法学会叢書 12中世君主制から近代国家理性へ/南充彦価格:5,565円(税込、送料別)