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カテゴリ:国内旅行
太山寺から瀬戸内海沿岸を走り今治城に到着。 今治城は慶長7年(1602年)、藤堂高虎によって築城開始され、 慶長9年(1604年)に完成。別称「吹揚城(吹上城)」。 山里櫓が目の前に。 山里櫓は二の丸西隅に立つ二重櫓で武具や古美術品が展示されていると。 今治城の構造は、三重の堀に海水を引き入れた特異な構造で、当時は海から堀へ直接船で 入ることができるなど海上交通の要所今治らしく海を最大限に活用した城となっている。 高松城、中津城とともに日本三大水城の一つに数えられているのだ。
内堀は全国的にみても広大な水堀で海水が流入する仕組みになっていると。 左に山里櫓、右に天守。 史実に基づかない模擬天守とのこと。 昭和55年(1980年)に5層6階の天守が鉄筋コンクリートで建てられたのだと。 今治城跡と刻まれた巨大な石碑。 北東の入り口の両側は堀池になっていた。橋を渡り入城。 橋の上からの御金櫓。 正面の石垣には巨大石が。 虎口には侵入者を阻む分厚い鉄御門(くろがねごもん)が。 ここは二の丸の表門。 巨大な枡形や付随する多聞櫓によって厳重に守られていた。 平成19年に、この鉄御門が再建されたのだと。
今治城 案内図。 内堀が広大な水堀になっていることが理解できるのであった。 銅像は今治城を建てた藤堂高虎。彼が初代城主。 藤堂高虎は築城の名手で今治城のほか宇和島城・篠山城・津城・伊賀上野城・膳所城なども 築城していると。 築城・開町400年を記念して、平成16年にこの藤堂高虎の銅像が建立された。 多聞櫓。 天守閣の横には神社が。 本丸跡にある吹揚稲荷神社 赤い鳥居が美しかった。 正面右から見た本丸。典型的な鉄筋コンクリート製の天守閣 。 中は博物館になっている。最上階に登ると瀬戸内海まで見えるのだ。 鉄御門を城内から。 勘兵衛石 勢威を示す鏡石。 今治城の築城奉行を務めた渡辺勘兵衛が名前の由来となっているのだと。 再び駐車場からの今治城。
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Last updated
2021.03.08 17:35:11
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