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カテゴリ:国内旅行
先日、小出川沿いの彼岸花を見に行った折、車を走らせ茅ヶ崎の北の外れに ある神社に立ち寄りました。 ここは茅ヶ崎市芹沢にある神社、腰掛神社(こしかけじんじゃ)。 『新編相摸国風土記稿』に「腰掛明神社 村の鎮守なり」とあるのはこの神社のことで、 江戸時代から変わらず芹沢の鎮守として祀られてきたとのこと。 現在も芹沢北部の里山の中に古式然とした姿で鎮座。 日本武尊が東征の折に通りかかり暫くのあいだ休息せられた旧跡とも伝えられ、 境内にはこのとき日本武尊が腰を掛けたと伝えられる腰掛石も残されていたのです 境内の入口には六臂の青面金剛が彫られた元文五年(1740年)の庚申塔が鎮座。 日輪・月輪を両手の掌に奉げたデザインが素晴らしい。 日本武尊を髣髴させる青面金剛像。 境内には巨木も多く、眩いばかりの緑に覆われていいました。 こうした雰囲気の良い社叢は、都市部ではなかなか目にすることが出来なく なって来たのです。 『腰掛神社の樹叢(じゅそう) 境内には雑木が生い茂り、いつも野鳥がよりついています。 スギ、ケヤキ、シイノキ、イチョウなどの大木があり、ことに参道の杉は見事で、 この神社に独特の趣をそえています。近年、都市化の進んでいる茅ヶ崎では、 このような樹叢は少なくなっており、ここはとても貴重なところです。 』と立札に。 参道を進む。 左手に手水舎。 社殿が見えてきた。 左手に建物、舞楽殿?には、9月18日に行われた秋季例大祭時の多くの 寄付金の札が貼られていた。 祭神は《主》日本武尊、《合》大日霊貴命・金山彦命・白山彦命・宇迦之御魂命とのこと。 寛政元年(1799年)11月、社殿が再建された。 現存の本殿は大正7年(1918年)に修復したもの。 天保4年(1834年)4月、火災に遭い、関係古書類などを焼失したとのこと。 腰掛神社の狛犬(右)大正十四年。 腰掛神社の狛犬(左)大正十四年。 御輿舎。 社殿の奧の本殿。 腰掛神社の境内に、寒川大神の腰掛けられたという石が存している。 ところでこの地方の伝説として、寒川の大神はいずれの地方からか相模国へ来て、 この芹沢の地にしばらく逗留され、それから間もなく、北西3キロほどの宮原という地に 移ったと言われている。この宮原部落には、現在も寒川社という小社がある。 寒川大神はやがて宮原の地も去って、最後に現在寒川神社のあるところに移って来て 長く居住したということがむかしから伝えられているのである。 『腰掛玉石』と刻まれた石碑。 社伝には、景行天皇の朝、皇子日本武尊東征の際、此の地を過ぎた給ふ時、 石に腰を掛け暫時此の処に休息さられ、西の方大山を望み指示して大いに喜び給ふ。 後、村民永く其の霊跡を存せんとして社を建て尊を祀りし と云い伝えられていると。 高さ40cm、タテヨコ100cmほどの上が平たい石。 拝殿脇には2つ並んで境内社がありましたが、名前が書いてないので詳細は不明。 境内には鐘楼もあって、神仏習合の記憶を留めていました。
境内から入り口方面を見る。 境内はうっそうとした樹木で覆われていて、鳥居からのびる参道は昼でも 薄暗く感じられたのであった。
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Last updated
2016.10.03 00:27:17
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