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JINさんの陽蜂農遠日記

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2017.10.19
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カテゴリ:国内旅行

国道51号線を利用し鹿島神宮に向かう途中に、右手前方に茨城県立カシマサッカースタジアムが

見えたので立ち寄る。

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日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟する鹿島アントラーズが

ホームスタジアムとして使用中。

施設規模は、建築面積30,499m2、延べ床面積85,019m2を有し、

主要構造部が鉄骨鉄筋コンクリート造+鉄骨造の地上6階建てで、

建物の最高高さは49.5 m。2収容人数は約41,000人とのこと。 

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クラブハウスの中に入るとライトアップされたカシマサッカースタジアムの写真が。 

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巨大な鹿島アントラーズチームエンブレム。 

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階段を上がり競技場内部へ向かう。 

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しかし、全てのゲートは閉まっており、緑の芝生は見ることが出来なかった。 

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そして鹿島神宮へ到着。

ここは若い頃、仕事で当時の住金鹿島に来た折り2回ほど既に訪ねた事のある神社。 

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鹿島神宮は、茨城県鹿嶋市宮中にある神社。式内社、常陸国一宮。旧社格は官幣大社で、

全国にある鹿島神社の総本社。千葉県香取市の香取神宮、茨城県神栖市の息栖神社とともに

東国三社の一社。また、宮中の四方拝で遥拝される一社と。 

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鹿島神宮の主な祭典と行事。 

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鹿島神宮境内案内図。 

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参道を進むと左手に手水舎。 

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楼門には工事用足場が掛けられていた。

楼門は社殿の入口に建ち、寛永11年(1634)に造られたもの。その大工に鎌倉時代以来の

工匠の家柄坂上氏の一人、坂上吉正であった。形もよく、社殿の一環として重要なもので

あるばかりでなく、建築工匠史上の重要な資料となるものであると。

三間一戸楼門、入母屋造、銅板葺の重要文化財。

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鹿島神宮 拝殿。

御祭神は武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)。その昔、諏訪の神様と力比べをして

武甕槌大神が勝ち、国家統一を果たしたと言われているため、鹿島神宮は武の神様が

祀られているとして有名。

鹿島神宮の特徴として欠かすことができないのが、多くの神社仏閣が東向きなのに対して、

鹿島神宮の本殿は北向きに建てられていること。その訳は、武神の霊力を当時未開発の地で

あった東北地方に及ぼすため。そしてその後、大和朝廷は北へと勢力を伸ばしていった。

このようなことから、鹿島神宮は日本建国の出発地点とも言われているのだと。 

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祈祷殿。 

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御朱印を頂きました。 

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奥宮への入口。

奥宮は以前訪ねた事があったので今回はパス。 

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稲荷大明神。 

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神宮橋(じんぐうばし)は、茨城県潮来市と鹿嶋市を結ぶ950mの橋。 

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北浦は霞ヶ浦を構成する湖の1つ。

面積約36km2、海抜高度0m、最大水深7m。

潮来市の水原洲吠崎、鹿嶋市の爪木ノ鼻は北浦に伸びで出来た砂嘴。 

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潮来ICから東関東自動車道に乗る。 

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そして佐原香取で降りる。 

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次に香取神宮を訪ねる。この神社今回が初めて。

香取神宮は下総国(千葉県北部)の一宮で、全国約400社の香取神社の総本社。

茨城県の鹿島神宮・息栖神社と合わせて“東国三社”と呼ばれている。

日本書紀にも登場する武術の神様「経津主大神(ふつぬしのおおかみ)」を祀り、

勝運・交通・災難除けなどにご利益があると言われている。

近年では“関東屈指のパワースポット”としても注目され、遠方からもたくさんの方が

参拝に訪れる人気の神社。

参道の入口には、「歓迎」「香取神宮」と書かれた立派な燈籠が。

参道脇には食事処や土産屋など、いろいろな店があったが、かなりの店は、この時は

何故か閉まって寂しい参道であった。 

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参道を進むと程なく見えてきたのが大鳥居。

春は桜と大鳥居のコラボレーションも美しそう。

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大鳥居をくぐると5~6mほどもあると思われる幅広い参道が。

参道の両脇には大きな石燈籠が建ち並び、厳かな空気が広がっていた。

緑のモミジはあと1ヶ月も過ぎれば紅葉を始め美しい姿となるのであろう。 

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参道をまっすぐ数分進むと、朱塗りの総門そして楼門が登場。 

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総門。 

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手水舎。 

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楼門。

重要文化財・楼門は本殿同様元禄13年の幕府造営のもの。

三間一戸で、様式的には純和様で構築され丹塗りが施されていた。

屋根は入母屋造銅板葺ですが、当初はとち葺であったと。

楼上の額は沈黙の提督の名でしられる「東郷平八郎」の筆によるもの。

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楼門内安置の随身は俗に左大臣右大臣と呼ばれている。

一説には、正面に 向かって右は竹内宿祢、左は藤原鎌足とのこと。

左大臣(正面に向かって右)。

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右大臣(正面に向かって左) 

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楼門を抜け、見えてきたのは本殿・拝殿。

奥の本殿は5代将軍徳川綱吉によって造営され、経津主大神の和御魂(にぎみたま)を

祀っていると。 黒の拝殿は珍しかった。

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重要文化財である本殿(元禄13年(1700)建築)の正面に、権現造風に繋げて建てられている。

昭和11年(1936)から15年(1940)にかけて行われた、内務省神社局の直轄による大修築に

際し、造営されたもの。

木造平屋建で、拝殿正面には、千鳥破風と軒唐破風を付け、足元から頭貫下端までの軸部は

黒漆塗り、組物と蟇股は極彩色が施されていた。また、拝殿の内部は、床板と折上小組格天井の

格縁が黒漆塗り、幣殿内部の床板・化粧垂木も同じく黒漆塗りであるのに対し、神饌所内部は、

床・壁・天井とも素木(しらき)で仕上げられている。屋根はいずれも檜皮葺きで、

複雑な権現造と調和。

拝殿上部にも色鮮やかで見事な装飾が施されていた。 

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御神木

御神木とは神様が降りてくる時の目印になる大きな木を御神木と指定され

禍や厄災を招くものが、簡単に行き来できないように、結界として注連縄

が貼られ、禁足地となっているのだと。 

樹齢千年余りの杉の木。目通り(目の高さでの幹の直径)は、約7.4m。

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宝物殿。 

宝物館には、国宝の海獣葡萄鏡など様々な美術品が展示されているのだと。

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宝物殿横で御朱印を頂きました。 

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社務所。 

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神饌殿。 

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本殿の隣にあるのが、三本松。中央に真っ直ぐ、そして両脇に斜めに伸びている二本は、実は根元でつながった一株の松なんです!

 中央の松はなんと空洞

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香取神宮の末社に「匝瑳神社」

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本殿を裏から。 

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桜太刀自神社(さくらおおとじじんじゃ)。 

御祭神は、木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)。

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香取神宮旧拝殿。千葉県指定有形文化財。

元禄13年(1700)に楼門、本殿とともに造営。昭和13年に現拝殿造営に伴い移築。

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参道を戻っていくと二つの胸像が右手に。

よど号ハイジャック事件で乗客の身代わりとして人質になった山村新治郎(11代目)と、

その父(10代目)の像。

千葉県佐原市(現在の香取市)出身。江戸時代から米穀商を営む由緒ある名家に生まれ、

九代目新治郎のころから深く政界にかかわり合いを持ち、父の10代目新治郎は、

衆議院議員として予算委員長、議院運営委員長、自由民主党の国会対策委員長等の要職を歴任し、

第3次池田内閣において行政管理庁長官を務め、政界に重きをなしたと。

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山村の名前を一躍有名にしたのが、よど号ハイジャック事件である。

1970年、山村が運輸政務次官を務めていた時にハイジャックが発生。

当時の橋本登美三郎運輸大臣と共にソウルに向かい、交渉の末、乗客の身代わりとして

人質になり、よど号に搭乗して犯人らと共に北朝鮮に向かい、その後解放されて帰国した。

この英雄的行動により「男やましん」「身代わり新治郎」として山村新治郎の名が

広く知れ渡った。

乗客救助の功により内閣総理大臣顕彰を受賞したと。 

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Last updated  2017.10.19 10:10:31
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