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JINさんの陽蜂農遠日記

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2019.09.09
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カテゴリ:国内旅行
​​​中区新港1丁目地域の散策を続ける。
​​​​ーー​​​​​
が(その2)の散策ルート。


そして『ホテル・ナビオス横浜(横浜国際船員センター)』前に。
ホテルには大きな口が開けられていて汽車のレールはその口の中に吸い込まれるように
続いていた。口の向こうには『赤レンガ倉庫』が小さく見えた。
以前はこのレールは倉庫まで続いていたのかもしれないなどという想いに耽りながら進む。
一般財団法人日本船員厚生協会が運営する船員・海事関係者のための福利厚生施設であるが、
一般の人も利用可能であるとのこと。
ウィキペディアによると
「ホテルの下部には吹き抜けがあり、遊歩道として汽車道が整備されている。
この吹き抜けは「絵画の額」をモチーフとしており、運河パーク側からは横浜赤レンガ倉庫など
「古き良き横浜」の景色が、反対の新港中央広場側からは横浜ランドマークタワーなど
「新しい横浜」の景色が絵画のように見える設計となっているのだと。
2000年に「第1回横浜・人・まち・デザイン賞」と「第45回神奈川県建築コンクール優秀賞」を
受賞している。」と。



『ナビオス横浜』前の芝生広場・運河パークのモニュメント。



ナビオス横浜のすぐ脇にある『アンカー(錨)のモニュメント』。



イカリのそばに解説板が。それによると、
「この錨は(株)アイ・エイチ・アイ・アムテックで1971年に建造され、中近東から日本へ
原油を運搬した大型原油輸送船「高岡丸」(前長316m、幅50m、深さ25.5m、
載貨重量21万5850トン)に備え付けられていたものと同型のものです。」
重量は18.27K/T、長さ4.8m、幅2.9m。
我々日本人は、1トンは1,000キログラムであると教わって来たが、欧米では異なったトンが
存在したのです。
即ち、日本人の考えるトンは正式にはメトリック・トンと呼ばれるもので、
次ぎの通りとなります。

M/T = M/Ton = Metric Ton = K/T = K/Ton = Kilo Ton = 1,000kgs.
= 1,000 kilo grams = about 2,204.62 lbs (lbs = pound)。
よって18.17K/Tは18.17TONのこと。



『万国橋交差点』。時間は6:55。



交差点から『ナビオス横浜』を振り返る。



そして『新港中央交差点』にある楕円形の歩道橋『サークルウォーク』。
国際大通りと万国橋通りの交差点に架けられた楕円形の歩道橋。



1999年(平成11年)の竣工。橋長は一周、約225m。



歩道橋に上がり交差点を見下ろす。
今年の5月に行われた「2019世界トライアスロンシリーズ横浜大会」でバイク、ランで
ここがコースになっていた事を思い出したのであった。



歩道用の床板が内側のトラス桁橋げたから張り出し、外側に取り付けられた形に
なっていたのであった。



構造的にもデザイン的にも非常にユニークな歩道橋。
平成11年度の土木学会田中賞を受賞したと。
歩きながら、周囲の風景を楽しむには、トラスの鉄骨が邪魔にならない設計。



そして『サークルウォーク』から観覧車を見る。時間は6:59。



そして『サークルウォーク』の先に『神奈川県警察本部』のビルが見えた。



『サークルウォーク』を降りると左手にあったのが
『国際協力機構(JICA)横浜国際センター』。
窓には『Next Stage“Africa』の文字が。
TICAD(ティカッド:アフリカ開発会議)は今年で第7回を迎え、2019年8月28日~30日に横浜で
開催されル予定。これに合わせて、JICA横浜では8月2日(金)~12月1日(日)まで
『Next Stage“Africa” アフリカの現在と未来【TICAD7】』を開催しているようであった。



ここを真っ直ぐ進むと『新港埠頭8号バース』。
しかし工事中であり関係者以外立ち入り禁止と。
前方の建物は2019年11月にオープン予定の『インターコンチネンタル横浜Pier 8』。



『客船ターミナル入口』交差点から『サークルウォーク』を振り返る。
後方に『アパホテル&リゾート横浜ベイタワー』とその右手に
横浜市内最大規模・最高層(総戸数1,176戸、地上58階建)の『ザ・タワー横浜北仲』。



『BAYSIDE GEIHINKAN VERANDA』。
2016年3月にオープンしたベイサイド迎賓館ベランダ はみなとみらいでの結婚式場。



道路脇にはブラシノキの赤い花が。
ビン洗いのブラシに、なるほどそっくり。



そして立入禁止で入れなかった『新港埠頭8号バース』を見る。
埠頭の先端には『50 トン起重機(ハンマーヘッドクレーン)』の遺構が残っていた。
新港埠頭は明治32年(1899年)から海面埋立工事が行われ、その後、1917(大正6)年に
陸上施設整備を含む埠頭整備が完了した。
この結果、埋立面積約230,500 m2、岸壁延長約2,060m、鉄道上屋11 棟、木造上屋3棟、
レンガ造倉庫2棟、50 トン起重機(ハンマーヘッドクレーン)1機、その他鉄道、道路、
上下水道、発電所等が完備され、わが国初の近代的埠頭として、横浜港の中心的役割を
担うこととなる。
そして手前にあったのが『ララ物資の記念碑』。



50 トン起重機(ハンマーヘッドクレーン)の遺構をズームで。
大正初期イギリスから導入し設置した日本に3基のみ現存するクレーンの一つであり、
関東大震災にも耐えた歴史的に貴重な電動式クレーンである。
他に現存するクレーンは三菱長崎造船所の200トン吊り(大正元年(1912)竣工)、
佐世保電工株式会社の250トン吊り(大正2年(1913)竣工)で、世界でも17基しか
現存していないと言われていると。



『ララ物資の記念碑』。
1946(昭和21)年、戦災により何もかもが足りなかった時、横浜新港ふ頭に、ララ物資を
積んだ米国船が到着。積み込まれた食品や衣類などの物資は横浜市内の倉庫、
通称「ララ倉庫」にいったん移され、そこから政府へ引き渡された後、全国の施設等
約1700ヶ所余りに配られたのだと。
ララ倉庫と呼ばれていたのは、旧三井物産横浜支店倉庫。
1910(明治43)年竣工のレンガ造りの倉庫で、横浜に現存する最も古い倉庫建築だった。
2014(平成26)年取り壊しが決まり、貴重な歴史建築として保存運動がさかんに行われたが、
2015(平成27)年解体されてしまったと。
『ララ物資の記念碑』には香淳皇后 御歌が2句。
「ララの品 つまれたる見て とつ国の あつき心に 涙こぼしつ」
あた>かき とつ国人の心つくし ゆめなわすれそ 時はへぬとも 



左側のパネルに「ララ」についての詳しい説明があった。
「第2次世界大戦終戦直後の混乱期、日本は衣食住すべてに不自由していた。
こうした中、全米の各宗教団体を中心とする海外事業運営篤志団アメリカ協議会は、
特に日本をはじめアジア諸国の救済事業を行うために『アジア救援公認団体』を設置し、
ミルク類、穀物、缶詰類、油類等の食料をはじめ、衣類、医薬品、石鹸、裁縫材料などの
消費物質のほか、乳牛や山羊などを送り、多くの日本人を救った。
この物資の送り出しにあたっては、当時の在米邦人組織の方々の多大なご尽力もあったと
伝えられる。
この救済物資は、『アジア救援公認団体』の英語名“Licensed Agencies for Relief in Asia”の
頭文字から『ララ』物資と呼ばれ、昭和21年11月30日に『ララ』物資を積んだ
第1船ハワード・スタンズベリー号が、ここ横浜新港埠頭に着岸し、以後昭和27年6月まで
送られ続けた。記念碑の香淳皇后御歌は、昭和24年10月19日に昭和天皇と香淳皇后が
横浜の『ララ』倉庫に行幸啓になられた時に詠まれたものである。」。
この碑は2001(平成13)年、地元横浜の有志によって建てられたものだと。



『横浜国際平和会議場(パシフィコ横浜)』を振り返る。



『第三管区海上保安本部 横浜海上防災基地』。



雨水マンホールの蓋。港湾局が管理する雨水用。
「PORT OF YOKOHAMA」の文字と横浜開港の年「1859」の文字。
横浜らしい赤灯台と船と2羽の鳥がデザインされていた。



今いる場所は​○​ここ。



『横浜港駅プラットホーム跡』。



生糸の輸出全盛時代に、新港埠頭と当時の横浜駅(現在の桜木町駅)を結ぶ横浜臨港線として、
明治43年8月15日に開通し、明治44年9月1日に横浜港荷扱所として開業したのが横浜港駅。
大正9年7月23日付で正式に横浜港駅(よこはまみなとえき)となったプラットホームが
横浜赤レンガ倉庫横に、旧横浜港駅プラットホームとして現存しているのだ。



線路は赤レンガ倉庫に向かって。



『旧横浜港駅プラットホーム(旅客昇降場)』
「「横浜港駅」は明治44年(1911)、横浜税関構内の荷扱所としてつくられ、
大正9年(1920)7月23日「横浜港駅」となり、東京駅から初の汽船連絡列車が乗り入れました。
列車はその後「岸壁列車」などと呼ばれて親しまれました。
関東大震災の復興期、昭和3年(1928)当時の花形外航ターミナルにそって旧「横浜港駅」の
プラットホームが設けられ華やかな海外航路時代の最盛期をむかえました。
「赤れんがパーク」の休憩所として保存再利用にあたり、悼んでいた上屋は新材料で
復元しています。」



そしてこちらが『海上保安資料館横浜館』。
平成13年12月22日に発生した九州南西海域工作船事件の際に自爆・沈没し後に
引き上げられた北朝鮮の工作船が展示されているのがこの建物の中。
以前2009年にここは訪ね、『​ブログ​』👈リンク にアップ済み。



そして目の前には『横浜ベイブリッジ』の勇姿が。
長さ860m(中央支間長460m)の斜張橋(吊り橋)である。
東京港方面と横浜港を結ぶ港湾物流の一端を担うことにより、都市部の渋滞を緩和する重要な
輸送路である。
しかし、『横浜ベイブリッジ』の下を通過できない大型外国クルーズ客船が続々と登場している。
ベイブリッジの海面からの高さ(クリアランス)は約55mで、パナマックスの最大高57.91m
下回っており、くぐれなければ横浜港「大さん橋」を活用できず、クルーズ客船の誘致合戦で
後れをとって、外国船寄港数は九州地方の港を下回っているのだと。
通過する事例でも、クイーン・エリザベスは、あらかじめ汐待ちして(干潮時間帯を狙って)
ギリギリのクリアランスで通過したのだと。



黒く見えるのが、『横浜大桟橋』。
『横浜大桟橋』に寄港するためには『横浜ベイブリッジ』を通過しなければならないのだ。



『横浜マリンタワー』をズームで。



『赤レンガ倉庫』が前方右手に。
奥から1号館、2号館。



海上保安庁の埠頭には海上保安庁の船が停泊中。



『あきつしま PLH32』は2013年に建造されたヘリコプター2機搭載型巡視船。



全長    :約150.0メートル
幅      :約17.0メートル
総トン数  :約6,500トン
主要装備 :40ミリ機関砲×2門
        20ミリ機関砲×2門
        遠隔監視採証装置
        ヘリコプター×2機(スーパーピューマ225)
配属先  :横浜海上保安部



赤レンガ倉庫の隣にのこる三角形の遺跡「旧税関事務所遺構」。
朽ちた煉瓦が生い茂る植物の緑と溶け合うような佇まいは、独特の歴史的雰囲気を
創り出していた。
そしてその先には『みなとみらい21』。



『赤レンガ倉庫1号館』。



左手に『PIER AKA-RENGA(ピア赤レンガのりば)シーバスターミナル』。



『PIER AKA-RENGA(ピア赤レンガのりば)シーバスターミナル』案内板。



赤レンガ倉庫1号館&2号館を海側より望む。



『かもめハープ』。



この作品は、一般社団法人横浜青年会議所の創立50周年(2001年)記念事業として
公募されたデザインの中から選ばれた最優秀作品。
かもめが横浜ベイブリッジの前を飛び去った瞬間にこのデザインを思いついた作品と。
横浜ベイブリッジのワイヤーからハープを発想し、「かもめが横浜の音色を奏で、優しく
育んでいる姿」をイメージしたのだと。



                              ・・・​もどる​・・・

                  ・・・​つづく​・・・





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Last updated  2019.09.09 13:51:55
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