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カテゴリ:国内旅行
国道278号を更に進むと、前方に「日浦岬」の姿が見えて来た。
そしてズーム写真には「日浦岬灯台」が映っていたのであった。 日浦トンネルの手前を左折した突き当りが「日浦岬」。 岬に向かって進んでいくと、階段があった。 そこを進むと、灯台に向かう道になっていた。 先に進みたかったが、橋には立ち入り禁止のチェーンが張られていたので 諦めたのであった。 階段を上がっていくと見えるのがこの「日浦岬灯台」であったが・・・。 【https://twitter.com/AeugMsz006/status/1007103376373440512/photo/1】より そして「日浦岬灯台」。 塗色構造:白塔形 灯 質:群明暗白赤光 明6秒暗2秒明2秒暗2秒 (赤光は分弧) Oc(2) W R 12s 光達距離:13.0海里 塔 高:9.5メートル 灯 高:23メートル 初 点 灯:昭和26年3月 【http://ryujinkai84.blog.fc2.com/blog-entry-447.html】より 「一男死亡の地」碑。 一男さんがこの地で不慮の死を遂げたのであろうか? 柱状節理の岩場には青い海水が入り込み白波に。 そして振り返ると「恵山」の姿と、地熱発電調査の水蒸気がこの時も。 ズームして。 「日浦漁港」には小さな漁船が。 日浦はイカ類がよく釣れることで知られているのでイカ釣り船であろう。 海の安全祈願の地蔵様か? これから向かって行く戸井漁港の先に浮かぶ「武井(むい)ノ島」が見えた。 右の島には鳥居があり「弁財天」が祀られていると。 江戸時代 漂流船がこのあたりに漂着し 乗っていた人が全員無事という「伝説」👈リンク も あるという。 このため 「神の島」とも呼ばれるらしい。 日浦トンネルが出来る前は、ここに道が出来ていたのであろうか? 自然の状態の柱状節理を目の前で見ることが出来たのであった。 両側が崖になっており、それがどちらも柱状節理、まさに圧巻。 「柱状節理」は主に火成岩に見られる現象で,露頭に見られる規則性のある割れ目をいう。 火成岩に節理ができるのは、熱いマグマが約700~1000℃で固まって岩石になり、 その後、常温に冷える過程で体積がわずかに収縮するためであると。 角柱の断面は六角形のことが多いが、必ずしもそうではなく、四角形、五角形、七角形、 八角形のものもあると。一般的には、時間をかけて冷えるほど太くなるのだと。 崖下には、崩れた柱状節理がごろごろしていた。 ということは、こんなのが崩れてくる危険は常にあるということ、 我々もむやみに両側の崖に近寄らないで中央を歩いたのであった。 「日浦岬」を後にして、更に国道278号を進むと、「武井ノ島」の姿もじわじわと 変化して行った。 そして旅友Sさんの希望で、国道から斜め右に分岐して狭い坂を上る。 「戸井町立鎌歌(かまうた)小学校」と書かれた門柱があった。 旅友Sさんの話によると、俳優・火野正平さんが相棒・チャリオ(自転車)に乗って 日本全国を巡るNHK「日本縦断 こころ旅」。935日目の10月2日の放送はこの先の 函館市戸井町からであったと。 横浜在住の版画家・佐々木孝さんの手紙を元に「こころの風景」と題して旅したのだと。 佐々木さんの思い出は函館市の「鎌歌」。故郷を思う佐々木さんは、その地名が忘れ去られて しまう前に、廃校になった母校の小学校跡や鎌のように曲がった入江がある海の風景を 訪ねてほしいと火野正平さんへ依頼をしたのだと。 撮影の日はあいにくの悪天候で、火野正平さんは悪戦苦闘したが、たどり着いた 元小学校の門には今も「鎌歌」の文字があったと。 「鎌歌小学校」跡地にあった建物。 そして国道278号に戻る坂の途中から「日浦岬」方面を見る。 前方に見えたのが「戸井トンネル」。 「武井の島展望台」👈リンク 下の岩場。 道路の脇には海鳥が日向ぼっこ中。 嘴、脚の色から「セグロカモメ」であろうか。 そして戸井町内を通過し更に進み亀田半島の最南端にある「汐首岬」近くを通過。 国道278号の別称「恵山内浦ライン 戸井町」と書かれた支柱を車窓から。 その先にあったのが「北海道~本州 最短の地 17.5km」案内板。 その先には下北半島の姿が見えた。 車を駐めたかったが駐車場がなくカーブもあり諦めたのであった。 北海道~本州 最短 17.5km。 一方現在青函トンネルが通っている近くにある北海道最南端の松前町白神岬 と津軽半島の 竜飛崎までは19.2kmあるのだと。 かつて青函トンネルルートの候補としてあがっていたようですが、深さと海流といった 問題があったため断念し、現在の青函トンネルが出来上がったのだと。 更に進むと右手にあったのが「旧戸井線コンクリートアーチ橋」。 民家前の空き地に車を駐める 北海道函館市汐首町。 「はこだて施設ご案内」。 ズームで。 「戸井線」は昭和11年に着工を開始し、昭和18年に中断された未完成の鉄道路線。 日中戦争時代、戸井町に軍事要塞を作る際に資材運搬また兵員輸送を目的として、 五稜郭から戸井町までの29.2kmを結ぶ線路として建設されていたものであったと。 1937(昭和12)年、北海道建設事務所の所管で五稜郭側から工事着手、1942(昭和17)年に 瀬田来まで路盤工事は完成し、湯の川まではレールも敷設されたが、資材不足により中止。 1944(昭和19)年「鉄道敷設法」戦時特例が公布、この特例では戦力増強など緊急に鉄道が 必要な場合は敷設が認められたが、実際に行われたものはなく、戸井線の工事も再開することは なかったのだと。 【http://www.hk-curators.jp/archives/684】より 戦時中だったこともあり、資源節約の為に鉄筋を使用せずコンクリートで出来ていると。 しかし、その後太平洋戦争が勃発し資源不足に陥り工事は中断された。 その後も工事は再開されることなく、未完成のまま現在に至っているのだと。 工事中断以降、補修されることもなく長年放置されているという現状もあり老朽化が 進んでいるのだとか。 元は軍事物資輸送用で1937年に着工。 五稜郭~戸井駅までの29.2kmを結ぶ予定だったが、大東亜戦争の戦況悪化による資材不足で、 戸井までの約2.8kmを残して建設が中断したのだと。 歴史を感じたのであった。 しかし80年以上前の技術で作って海岸沿いの塩害もある中で、メンテナンスしていないのに この状態は凄い!!と感じたのであった。 道路を渡り、空き地から振り返ると、「汐首岬灯台」の上部が僅かに顔を出していたので ズームで。 旧戸井町 マンホール蓋。 イメージキャラクター・トーパスちゃんはタコで、シュノーケルをし、手(足)には指がある。 トーパスちゃんを中心に海の仲間たちが多数(ヒラメのような魚、イカ、ウニ、カニ、 コンブのような海藻など。魚と海藻以外は擬人化した顔が描かれている)。 上下に扇面型の文字枠があって上部には「戸井町」、下部には「おすい」の文字が入っていた。 そして国道278号を進んでいくと、左手前方はるかに「函館山」の姿が見えて来たので 車を駐める。 ズームで。 更に。 函館山山頂の鉄塔の姿もズームで。 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020.12.11 09:27:54
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