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JINさんの陽蜂農遠日記

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2020.12.16
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カテゴリ:国内旅行
復元された「箱館奉行所」を正面から。
設計は、伊予(愛媛県)大洲藩士で緒方洪庵の適塾などで学んだ武田斐三郎、工事を
請け負ったのは、函館在住商人の佐藤半兵衛 ・山田寿兵衛・杉浦嘉七、越後の松川弁之助、
江戸の中川伝蔵、備前の石工喜三郎である。 五稜郭は従来の日本式築造ではなく、
ヨーロッパなどみ見られる城塞都市モデルとしている、日本では数少ない様式築造である。
初期の五稜郭の設計図と現在の五稜郭を比較するとその構造は異なっていて、工期と予算の
関係から初期の設計よりも大分縮小 されたようである。元治1年(1864)年一応完成し、
函館奉行小出秀実(こいでひでざね)が五稜郭に移った。五稜郭の外には 役人達の住居が
建てられ、人家も少なかった五稜郭周辺が急速に開けていった。



「箱館奉行所
箱館奉行所は幕末の開港地箱館に置かれた江戸慕府の役所です。
箱館戦争後、解体されましたが、発掘調査や古写真、絵図面、文献資料などを詳細に分析し、
可能な限り当時と同じ材料、工法を用い、4年の歳月をかけて2 0 1 0年に復元されました。」



「正面から見た奉行所の作りと名称」。


    【http://blog.livedoor.jp/dorako_rushiusu/archives/51527067.html】より

「パンフレット」。



「奉行所館内 ご案内」。
奉行所「​内部​」👈リンク には入らなかったのでリンクを参照願います。


   
「箱館奉行所 古写真
箱館奉行所は、幕末の箱館開港によリ設置された江戸幕府の役所で、奉行所の防御施設として
築造されたのが五稜郭です。
安政4年( 1857 )に着工して7年後の元治元年( 1864 )に完成し、蝦夷地の政治的中心となり
ました。
明治維新の際には戊辰戦争最後の戦いである箱館戦争の舞台となり、明治4年( 1871 )に奉行所
庁舎は解体されました。
それから140年の時を経て、平成22年( 2010)に箱館奉行所が復元されました。」



「玄関・式台之間」。



「玄関・式台之間」とその上の「千鳥破風」を振り返る。



「千鳥破風」と「太鼓櫓」。
最も高く突き出ているのが5階部分の「太鼓櫓」。
約 16.5メートルの高さで、時を告げたり、港を監視するための役割があったと。
千鳥破風屋の鬼瓦には、葵文の家紋が付き、箕甲(みのこ)の軒丸瓦にも葵文が付いていた。



「太鼓櫓」の銅葺きの「宝形屋根」(上側)と同じく銅葺きの「腰屋根」(下側)。



「五稜郭タワー」をズームで振り返る。



五稜郭タワーで展示されているミニチュアである。


   【https://ganref.jp/m/hanamomo/portfolios/photo_detail/516967】より

「箱館奉行所北側遺構平面表示(部屋割り区画)



「箱館奉行所北側遺」を正面から。



箱館奉行所は、公務を執る役所部分と奥向とよはれる奉行の役宅部分に分かれていて、
その総面積は約3,000m2となっています。このうらの約3分の1の範囲(約1,000m2)は
建物を復元し、残りの約2,000m2分は地面に部屋割を区画した遺構平面表示により
奉行所建物の範囲を表示しました.
いすれも発掘調査によって発見された柱の礎石などの建物遺構の真上に復元しています.
役所部分は、玄関・大広間などの儀式の部屋、裁判などを行う部屋、奉行とその部下の仕事部屋、
炊事部屋などが、奥向には奉行とその家族が住むための部屋などがありました。
また、奉行所を囲む板塀や木柵、井戸などの遺構の位置も表示しています。



「箱館奉行所 部屋割図」。



「箱館奉行所」の北側を見る。
赤松の老木の後ろに五稜郭の土塁が見えた。



再び「五稜郭タワー」を振り返る。



右側に「板蔵」、正面に「公事人腰掛跡」。



仮牢跡
仮牢跡は、罪人を一時的に拘置しておく牢屋で、記録によると、男仮牢と女仮牢に
分かれていました。
また、男仮牢の北側には、用場小用所(トイレ) と腰掛がありました。」
公事人腰掛跡
裁判や訴訟のために来訪した者の控え場所となる建物です。
発掘調査の結果、文献資料の記述どおりの規模の建物跡が発見されました。」
板蔵
奉行所の裁きに関する記録や物品などを保管していた建物と考えられます。」



「仮牢跡」。



「箱館奉行所」の裏門方面を見る。



再び「箱館奉行所」と「五稜郭タワー」。



左側にあった「土蔵(兵糧庫)」そして「土塁」を見る。



真っ赤に紅葉して。



「総堀」越しの「五稜郭タワー」。



「箱館奉行所」を振り返る。



「二の橋」に向かって帰路に。



「一の橋」から「五稜郭 半月堡」方向を振り返る。



函館市汚水カラーマンホール蓋。
函館市の文化財であり観光資源でもある「五稜郭」と「旧函館区公会堂」を
モチーフに描かれた蓋。



そして「北海道丸ごと食べ放題  ふでむら 函館五稜郭店」で腹ごしらえ。



「メニュー」。



「いくら丼」を注文。



美味しかった!!



そしてブログを書きながら、大いに「箱館戦争」について学んだのであった。

                              ・・・​もどる​・・・

                  ・・・​つづく​・・・





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Last updated  2020.12.16 01:14:55
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