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JINさんの陽蜂農遠日記

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2022.04.13
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カテゴリ:茅ヶ崎市歴史散歩
そして旧東海道の北側にあったのが『高野山 真言宗 山王山 観音院 廣徳寺』。
本山は和歌山県の高野山・金剛峯寺(こんごうぶじ)。
山号の「山王山」は以前本堂裏に山王山(さんのうやま)という山があった事から、
院号は御本尊の千手観音からこの名が付いたと。脇門から境内を見る。



そして境内を歩き、「山門」前に出る。



「高野山 真言宗 廣徳寺」と。



石碑もあった。



「山門」前の「掃除小僧」。



反対側には「居眠り小僧」。



「山王山 観音院 廣徳寺
御本尊 千手千眼観世音菩薩
宗派  高野山真言宗  立教開宗は大同二年(八〇七)
総本山 高野山金剛峯寺 和歌山県伊都郡高野町
宗祖  弘法大師    宝亀五年(七七四)六月十五日香川県善通寺市で御誕生
            承和二年(八三五)三月二十一日高野山奥之院に御入定
御宝号 南無大師遍照金剛
教義と信仰
    宇宙のすべてのものは大日如来のいのちの顕れであり、このいのちの世界をあらわして
    いるのが曼荼羅です。
    高野山真言宗の教えは、いのちの平等と尊厳をさとり、大日如来の智慧をこの世に実現
    するために、生かせ いのちを実践し、共存共生の世界をめざすことにあります。
    本宗の御宝号念誦運動 は、弘法大師の 共利衆生の精神に立って、すべてがいのちを共に
    している社会の福祉をめざす具体的な活動です。
    弘法大師は、未来永劫にわたって衆生を救済すると御誓願され、高野山奥の院に入定留身
    されています。
    同行二人の信仰のもと大師の御教えをこの世に生かし実現することが、私たちの努めで
    あり、喜びです」



「六地蔵」。



境内の桜は満開に。



近づいて。



「陸軍歩兵 新倉八五郎碑」。



「本堂」はRC製。



「本堂」前の石仏。



御本尊は「千手千眼観世音菩薩」、一般的に「千手観音」と呼ばれる仏様。



「本堂」の扁額は「山王山 観音院 廣徳寺」。



「本堂」前の石仏は折れて足のみとなっていたが・・・・。



この石仏は、以前訪ねた時の写真を見てみると「弘法大師修行像」であった。



「四国八十八ヶ所お砂踏み
弘法大師とゆかりの深い四国八十八ヶ所霊場は、その巡礼をとくに遍路と呼んでいる。
八十八ヶ所の札所は四国四県をグルッと巡るように配置されていて第一番から二十三番までの
徳島県(阿波)の霊場を、「発心の道場」第二十四番から三十九番の高知県(土佐)の霊場を
「修行の道場」第四十番から六十五番の愛媛県(伊予)の霊場を「菩提の道場」第六十六番から
八十八番の香川県(讃岐)の霊場を「涅槃の道場」といい仏道修行の段階をたどるように
なっている。
この札所を第一番から、八十八番まで順に巡るのを「順打ち」といい反対に八十八番から一番まで
逆に巡るのを「逆打ち」という。逆打ちをするのはほとんどが深刻な人生問題抱える逆境に喘ぐ
人々だといわれるが、これをなしとげた(結願)ときの御利益はひときわ大きいと信じられて
いる。
四国遍路では同行二人が強くとなえられている。弘法大師は入定したのであった普通の人間の
ように死んだのではない。だからいつまでも四国遍路を修行のために巡りつづけているのである。
いつどこで大師に会えるかもしれない。
またたとえ一人で遍路をしていてもいつも大師はその人と一緒に遍路をしている。
大師と同行二人なのである。
遍路は大師と同じ時空に住んでいるのである。
各国の下に四国のお砂が収められています。順に巡ってお参り下さい。



以前は「本堂」右側にあった石仏はこの日は左側に移されていた。



境内から寺務所を見る。



次の目的地の「本行寺」に向かって国道1号を横断し、更に南下する。
道路からは以前訪ねた「​千手院​」👈リンク の「本堂」を見る。



「千手院境内の稲荷明神(左)と閻魔十王堂(右)を見る。
この「千手院」も高野山真言宗の寺なのであった。



そして「本行寺」の脇門前に到着したが、この門は閉まっていた。



「日蓮宗 本行寺」碑。



「本堂」を脇門からズームして。



「本行寺」の正門に向かって進むと前方にあったのが「新田踏切」。



手前を右折し。JR東海道線の線路沿いを茅ヶ崎駅方向に進む。



そして「本行寺」の正門前に到着。
神奈川県茅ヶ崎市代官町3−29。



太い枯樹が立っており「本行寺」と。



このピンクの花は?



「ヒマラヤユキノシタ」に似ているが。



RC製の「本堂」を見る。



石段を上り「本堂」正面に。
開基金子妙松法尼が日蓮聖人滝口法難の膝元、腰越の地に、昭和十三年、本行結社を創立した
ことに始まる。その後、法尼の教化によって信徒の数多くを数えるに至り、昭和二十七年 
宗教法人法に基づき、法尼の師 日華上人を開山に仰ぎ、本行教会を設立した。
昭和三十二年、法尼の後継者として 智穏上人が第二世を承継、布教の実を上げた。
昭和三十八年に腰越の現本堂建設に着工、翌三十九年十一月本堂落慶とともに「本行寺」と
寺号を公称するに至る。
昭和四十二年 茅ヶ崎市小和田伍仁原の地に、藤原氏五武将の供養塚を再興するとともに霊園を
開設、昭和四十六年に拡張、昭和五十一年には、五仁原守護神八大竜王を勧請した。
昭和五十六年 日蓮聖人七百遠忌報恩事業として、霊園の再拡張と会館を設置、同六十三年十月
伍仁原新本堂建築に着工、平成元年七月上棟式、同二年四月新本堂落慶を迎えるに至る。



内陣。



ズームして。



「日蓮上人像」。



「本堂」前から墓地を望む。



石段を下ると、墓地の奥に大きな石碑があった。
手前には「慈母観世音菩薩」像が。



「八大龍王」碑。



別の場所から。



石碑の下には池が有り、寄進者名碑が囲んでいた。



裏側には
「昭和五十一年三月十三日大祭
 本行寺 檀信徒一同
 第三世 日光代」と。



これは無縁供養塚であっただろうか。



「無縁法界万霊位」碑。



立派な「五輪塔」。



「相模之国五仁原城主」と刻まれていた。
昭和四十二年 この茅ヶ崎市小和田伍仁原の地に、藤原氏五武将の供養塚を再興したのだと。
藤原氏五武将「藤原時政」、「藤原吉政」、「藤原則政」、「藤原定政」、「藤原忠政」の
文字も刻まれていた。
この場所に伍仁原(五仁原)城があったのだろうか。詳細を知りたいが!!
この先、平塚方面の「学園通り」に「伍仁原踏切」があったのだが。



「本堂」を墓地前から見て、「本行寺」を後にしたのであった。



                              ・・・​もどる​・・・



                   ・・・​つづく​・・・





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Last updated  2022.05.19 12:41:19
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