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カテゴリ:日々の出来事から…
昨日のブログに対してご質問をいただきました。
ご質問をいただくのは、大変ありがたいことです。私の中でよりクリアにすべきテーマがあると思うので、文章も長くなることから、ここでその話題をもう一度取り上げてみたいと思いました。 お金のやりとりにおいては、日々考えることがありますよね。お金を払った場合、きちんと受け取りたいという気持は働くものです。 例えば2万円のお金を躊躇することなく出した場合と、そうでない場合、いずれの場合にもその価値をきちんと受け取っているのか、ということそして、ただで何かヒーリングなどを受けるよりは、多少でもお金を払った方がその分の癒しを受け取ることができるのか、という問題について書いてみたいと思います。 これもあくまでも私の考えに過ぎませんが、2万円の価値のやり取りというのは、どんな場合でもきちんと起こるとは思います。ただ、受け取る側の状態というのが関係してくると思います。まず、何の葛藤もなく気持ちよく出すということは、気持ちよく受け取り、完全に受け容れる=自分のものとすることと同じだと思います。これは、昨日書いたことと同じですが、出すことは受け取ることと同じです。一度は受け取ったものを、完全に受け容れ自分のものとすること…この受け容れる部分はそれぞれの内側の豊かさと比例してきます。豊かさの問題自体、そこから来ていると思います。 クォンタムタッチの場合でも、またリコネクティブ・ヒーリングの場合でも、この話題は常に問題になりますが、一度は癒しを受け取ったのに、癒しを完全に受け取ると自分に都合が悪い場合は、その癒しを手放し元の状態に戻ることがあります。例えば、病気で誰かに面倒を見てもらっている方がいて、誰かにきちんとこちらを向いてもらうこと=看病してもらうことに自分の存在価値を見出していたとしたら、その方は一度は良くなってもまた元の状態に戻るでしょう。このように、一度は受け取ってもそれを自らのものとして、きちんと受け入れていくかは、個々の問題になると思います。 しかし、ここでもし元の状態に戻った場合、何故元に戻ってしまったのか、それに気づくことができたら、自らの問題の解決に結びつけることができます。それに気づくことは大きな根本的癒しです。このような根本的癒しは、病気のみならず人生そのものを変えることになると感じます。その意味では、違うかたちでやはり受け取っているとも言えます。 また、その時ばかりでなく、自分のためにどんな場合でも躊躇なくお金を出せるということは、やはり自分への価値そのものとなり、気持ちよく受け取ることと同じです。ヒーリングやセミナーの場合のみならず、これは普段の生活の中でのお金のやりとりや、また心の豊かさについての問題をクローズアップしてくれるテーマでもあると思います。躊躇して出している場合は、出した後に葛藤があるかもしれません。受け取る時も葛藤があるでしょう。受け取っているのに、受け取っていないと感じたり、受け取っていても気づいていない場合もそれに該当すると思います。いずれにしても、その時に気持良く出していない場合は、普段から気持ちよく受け取っていない傾向にあるということにもなりますので、2万円の価値を受け取りたい場合には、出した時にその分きちんと受け取れるのだということを信じることが大切だと思います。何も出し惜しみしなければ、きちんと受け取れるはずですから…なかなか難しいことですが、だからこそ私達の内面について探求することは大切だと感じます。 また2万円の価値がその人にとってどれだけのものであるかによっても違うはずです。2万円がかなり高額の方もいれば、さほどでない方もいるでしょう…お金はエネルギーですので、出した分受け取ろうとする潜在的力が働くということです。その意味では、無料よりは、お金を払った方が受け取り、受け容れやすい状態を作ることができると考えます。もちろん無料は全く効果がないと言っているのではありません。より受け入れ体制ができていた方が、そのエネルギーの価値を受け取りやすいということです。また、その後においても、お金を払っている場合は特にもっと何かを受け取ろうとする傾向になると思います。例えば、何度も同じ先生のセミナーを受けている場合は、特に先生の考えそのものを受け容れやすくなってきますし、結果その先生自体つまり先生の状態にも共鳴しやすくなるでしょう。成功者になりたかったら、成功者のそばにいてマネをしろというのは、この原理でしょうね。 また、何か目の前ですごいことが起きることだけが、受け取ることではありません。普段の生活ででも、与え、受け取るやりとりを私達は頻繁に行っています。リコネクティブ・ヒーリングについて言えば、今までできなかったことができたり、概念そのものが変わることさえあります。それがあまりにも自然にできたら、癒しを受け取って変化したとは感じないかもしれません。そして、気づかない場合、人は受け取っていないと感じます。そして、また最初に見えるかたちで何かを受け取ろうとして走り回ります。受け取ること自体を勘違いしていては、いつまでたっても受け取っているという意識になることはできません。受け取るということがどのようなことかも考える必要がありそうです。それに気づくには、日々の生活の中で既に与えられているものに、またこの瞬間に与えられているものに気づくことです。それが私達の豊かにあるための基本だと思います。 私もこのようにして書きながら、いつも宇宙から何かを受け取っているようです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.10.17 00:08:16
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