「砂の女教師」プラトーノフ、を読む
「砂の女教師」アンドレイ・プラトーノフ「ロシア短編24」集英社 原 卓也 編から、「砂の女教師」プラトーノフ(島田陽訳)、という短編を読みました。断捨離に遭っても、残された一冊です。NHKラジオ文芸館:「自転車を漕ぐとき」薄井ゆうじ作を聴いていて、ふれてみようと思い立ちました。「砂の女教師」という短編には、マリーヤ・ニキーフォロヴァナ、という名の主人公が登場し、教員養成所を経て女教師となった彼女がどういう地に教師として赴任し、どんな働きをするか、ということが書かれています。マリーヤ・ニキーフォロヴァナは、遠隔の地ー中央アジアの死滅した砂漠に境を接する村の教師に任命された。ホシュートヴォは、ほとんど砂に埋め尽くされていた。疲労し飢えている農民はなんども猛然と奮起し、荒々しく働いたが、意気阻喪した。彼女は小学校の宿直室に住むことになった。彼女はどうにか学校をととのえ、二か月後に授業を始めた。子どもたちの登校は、日により、5人だったり20人だったりした。夏と同じように悪意に満ちた初冬がやってきた。大吹雪がうなりをあげ、村の鎧戸を叩いた。村人はすっかり黙り込んだ。貧しさゆえに病気になった。子どもたちは着るものも履くものもなかった。登校する子がいなくなった。パンがなくなり、子供たちはやせて、学習への意欲を失くした。20人中2人が死んだ。マリーヤ・ニキーフォロヴァナは、村で何をすべきかじっと考える。飢えて病んでいる子らを教えることは出来ない。彼らには学校は要らなかった。2年が過ぎ、彼女は大変な苦労をし、農民たちを説得して自発的な公共事業を組織することになった。やまねこやなぎを植樹した。それらは防護林となって灌漑される畠のまわりに緑地帯をつくり、砂漠の風上からその地を細長いリボンのように囲み、屋敷を住みやすくした。しかし、ストーリーはハッピーエンドではなく、彼女はこの地を追われることになるのだ。新たな不毛の地へと転任させられる・・私は、ずっとむかし、学校の教科書でユトランド半島のデンマークについて書かれた文を思い出した。ドイツとの戦争に敗れ、領土を大きく失ったデンマークが、ユトランド半島を、荒地からどのように豊かな実りの大地に変えたか、というような。植林、灌漑などのことですね。わが国でも、海岸地方の防風林とか、その類のことがたくさんあるかもしれません。この短編で、プラトーノフが言わんとすることの一端が垣間見られるかもしれません。プロレタリア文化の前衛を自負する、詩人・評論家・小説家の。プロレタリア、この言葉は、日本でも、一昔前のようには使われなくなりました。もう、死語になってしまった?☆アンドレイ・プラトーノヴィチ・プラトーノフ1899~1951中央ロシア南東部ヴォローネシ郊外に生まれる。詩人、評論家、小説家ただよう愛