◆ソルジェニツィーン死去!共産主義体制と闘った巨人の死ー
1970年。「煉獄のなかで」「ガン病棟」などを発表し、ノーベル文学賞を受けた。だが海外に出てソ連市民権を剥奪されることを恐れ、ヘルシンキでの授与式は欠席した。ソ連では一行の報道もされなかったという。1918年12月11日生まれ。正教徒。幼児洗礼を受け、幼い頃は信仰深い母親の影響で宗教的雰囲気の中で育ったが、成長するにつれ確信的なマルクス・レーニン主義者となった。しかし政治犯として逮捕され強制収容所での苦難と内省を経て、キリスト教信仰に回帰した。キリスト教が禁止されたソ連にあって、迫害を恐れず無神論国家の宗教政策と教会を批判した。 1918年、北カフカス、キスロヴォツクに生まれる。敬虔なクリスチャンの母と祖父母に囲まれて成長。1941年ロストフ大学卒業と同時に第二次世界大戦に従軍。誕生の半年前に戦死した父と同じ砲兵大尉となる。1945年、スターリン批判の嫌疑で告発され、欠席裁判で懲役8年を宣告される。収容所に送られ後に流刑。1958年にニキータ・フルシチョフによって名誉回復される。1962年、スターリン時代の収容所の1日を描いた処女作『イワン・デニーソヴィチの一日』を発表し世界的ベストセラーに。1964年10月15日のフルシチョフ失脚から暗転。1970年度ノーベル文学賞を受賞するも、1974年2月12日逮捕、国家反逆罪でレフ・トロツキー以来45年ぶりの国外追放処分を受ける。スイスを経て、1976年9月米国に移住。1982年9月、密かに短期来日。過酷な運命を耐え抜いた正教徒としての神の信仰で宗教界のノーベル賞とも言えるテンプルトン賞受賞(1983年度)。ミハイル・ゴルバチョフのペレストロイカで1990年8月ソ連市民権回復。同年9月、『甦れ、わがロシアよ~私なりの改革への提言』出版。ソ連国民の白熱の議論を呼んだ。ゴルバチョフは同月25日ソ連最高会議の席上で彼の論文を絶賛。ロシアの再生に大きな影響を与えた。1994年5月27日亡命先の米国からロシア連邦に帰国。1997年5月からロシア科学アカデミーの正会員(芸術院)。2007年6月13日、ロシア文化勲章を受章。2008年8月3日、モスクワの自宅で死去。89歳。※敬虔なロシア正教徒であり、キリスト教的ヒューマニズムの視点から社会悪を告発する精神は、レフ・トルストイやドストエフスキーの正当な後継者だったといわれている。◆関連記事◆◇関連記事◇◇∞◇∞◇◇∞◇∞◇◇∞◇☆のあ いちい新作短編;◆『花びらが落ちる時』◆『フロリダの空の下』◆は、下記サイトへ投稿しました!☆作家の街:桜色の部屋----------------------☆《のあいちいHP》----------------------◇∞◇◇∞◇∞◇◇∞◇◇∞◇◇∞◇∞◇◇∞◇★今ならオープニングキャンペーンで、アフィリエイター登録するだけで、1,000円のコミッションがもらえますよ!★JMPアフィリエイトモール