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カテゴリ:災害・復興ボランティア
今日であれから十年。今でも思い出すと胸がキュッとなります。
ボランティアの体制が整ってから、初めて石巻に行ったのはその年の5月でした。 TVのニュースなどで流れる同じ風景が本当に目の前にありました。 そのニュースではわからない部分もたくさんありました。特に独特な臭いは忘れられません。 それから月イチで行こうと思いボランティアバスを探し、石巻をはじめ、大船渡、陸前高田、南三陸、気仙沼、仙台若林地区、大川小近くの追波湾、奥松島月浜地区、南相馬、山元町と行きました。 どこに行っても高く積まれた瓦礫の山、たくさんの壊れた家々。これじゃぁいくらやっても片付かないよ、終わらないよ、と思ったことを覚えています。 南三陸(11/10/8)と陸前高田(11/11/9) 瓦礫の撤去、側溝の泥出し、家具の搬出・整理、写真やハガキなど思い出の品の戦場と整理、草刈り、景観復興のお手伝いや農業支援で田んぼを耕して出てくる瓦礫や小石を取り除いたり、ビニールハウスの整備、イチゴ農家さんのお手伝い、漁業支援では海苔生産者さんのお手伝い、ホヤの筏のアンカー(重り)作りで延々と砂利を袋に詰めたり、また再び海水浴が出来るように砂浜の掃除、そして行方不明の方々の捜索などなど。 炎天下でも、雨の中でも。雪が降ったこともありました。 現地でたくさんの人に出会い、皆大変なのに飲み物を差し入れてくださったり、汚れた長靴を洗うお水を提供してくださったりと、とても親切にしてくれました。時には笑って、時には泣いて。 帰る時には仮設の商店街で買い物をしたり食事をしたりと、東北の美味しい食べ物やお酒など、恥ずかしながらそこでたくさんの東北の特産品を知りました。 そして、改めて自衛隊の方々は凄いと思いました。心強く頼もしい存在。ありがとうございます。 2年、3年、4年と月日が経つうちに、泥出しや家具の搬出など、それまで主だったニーズも減っていき、ボランティアの減少と共にバスの数も減り、別のバスを探さなければならなかったりもしました。 もうそれまでのようなボランティアとして行くことはなくなりましたが、それでも年に1度復興地を訪れてお手伝いをしてきました。コロナ禍のこともあって最後に行ったのは、18年の3月です。 瓦礫に埋もれた街は更地になり、場所によってはかさ上げされたり、新たに建物が建ったりと、着々と復興に向かっているように見えます。 当時の光景を知っている私としては更地になったまでは早かったように思いますが、そこからが長い、なかなか進なかった印象があります。 もちろんそこからまた新しい街を作るわけですから、解決しなければならない色々な問題もあるでしょうし、慎重に計画を立てなければならないでしょう。その辺がなかなか進んでいないということに繋がっているのかなとも思います。 今、私に何が出来るだろうか、といつも考えます。もちろん、特産品を買ったりと応援しているつもりですが、今まで実際に行ってお手伝いをしてきたので、動けない・動かない自分が正直もどかしい気持ちでいっぱいです。 あの場所はあれからどうなったんだろうか、あのお家の方はお元気なんだろうか。 あれから10年。お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りし、今、頑張っている復興地の方々を応援するとともに尊敬します。がんばっぺし東北魂。 そして、まだ見つかっていない2525人の方々が1日でも早くご家族の元へ帰ることが出来ますように・・・。 前に進む #STAY SAFE、STAY STRONG お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Mar 16, 2021 07:13:19 PM
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