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カテゴリ:クラシックカメラ
私は学生時代、WPSと言う、写真部に居ました。
この写真部は写真の黎明期、大学がで来てすぐくらいからあったようです。 当時の部員数が100人とかの大所帯でした。 ライバルの義塾ほどお金持ちは揃っていなくても、その当時に大学に来られるのですから。そこそこ恵まれた家の子が多かったのでしょうね。 わたしはNIKON Fでしたが、廻りも、PENTAX MINOLTA PETORI等の一眼レフが多かったです。 更には、親のカメラを持ち出してくるので、LICA M3 CONTAX ROLLEIなんてのもありましたね。 そんな時、私の下宿に、後に姉の婿殿になる先輩が居て、LEOTAXと言うライカをコピーしたカメラを持っていました。 まるまる、コピーしたものですが、NICCAと共に人気のあったもので、実に良く写りました。 ライカをコピーするって、簡単にできる物ではありませんから、まともな光学メーカーのものです。 同じように真似商品でも二眼レフはひどい物が多かったんですけどね。 二眼レフの方は今の中国的な物がかなり多かったです。 私が下北の「恐山」の夏の大祭を撮影に行った時も連れて行ったようで、ネガが出てきました。 下の写真はその一枚です。 「イタコ」が死者の霊を呼び出す、「口寄せ」が行われているところです。 お寺は曹洞宗らしいですが、この大祭に集まってくる「イタコ」さんに口寄せを頼みに来るのは全くの民間信仰のようでした。 今は、イタコの修行をする人も減って居るようですけど・・・ 「恐山」は火山の火口内にある霊場で、明るくてもおどろおどろしい雰囲気の所です。 当時は。まだ、お寺も今の写真のような立派な伽藍では無く、死者の魂がその辺に居るというようなものでした。 恐山やイタコについては検索すれば出てきます。 基本的には途中で失明した女の人が修行して、霊と交信できるようになったのが「イタコ」です。 下北地方とかでは、「死んだらお山に行く」と言われていたようです。 この「お山」こそ「恐山」なのです。 この写真が1963年です。 これから、50年ほどですから、この時のイタコさんでもご存命の方はまだいらっしゃるでしょうね。 どこの仏様でも呼んで貰えるのですが、降りてこられた時には皆さん東北なまりになっちゃいます。 こればっかりは仕方ないですね。 そばで聞いていてもあまり解りませんでした。 当時は戦争が終わって二十年経たない頃ですから、戦死された方の霊を呼んで貰いに来た人が多かったように思います。 そうしたところも、時代を映し、世相を映しているのだと思います。 人気ブログランキングへ ↑↑↑ 一日一回ポチッと押してください↑↑↑ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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私も高校の時には、写真部でしたが当時撮影したネガはありません。彼女の写真ばかり撮影していた記憶があります。
(2014/02/07 09:32:27 AM)
リンホフとニコンさんへ
*** 高校時代はバスケでした。 大学の写真部では共同制作があったし、その時のネガは部に残したので手元にありません。 こちらに帰ってからはファミリー写真ばかり撮っていました。 (2014/02/07 12:31:02 PM) |