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テーマ:マハトマ・ガンジー(100)
カテゴリ:マザー・テレサとマハトマ・ガンジーの世界
「ガンジーとタゴールより」
ハルタールの成功は、当局には驚きであり、また我慢ならぬことだった。 デリーでは、軍隊と警官隊が出動、営業中の駅の売店でいざこざを起した群衆に発砲し、死者10名と多数の負傷者を出した。 これに激昂した群集は各地で暴動をひき起こした。 ガンジーはサティヤグラハの精神がいまだに徹底していなかったことに、「長剣に突き刺されたような痛み」を感じ、「ヒマラヤほどの大誤算」と呼んで、自ら3日間の贖罪の断食を行った。 指導者達のなかには、民衆にそこまで高度なモラルを期待するのは酷であるとか、そこまで厳密な非暴力を前提とすれば、大衆によるサティヤグラハ運動は成立しないと嘲笑する者もあった。 ガンジーは「人は自分自身の過ちを凸(トツ)レンズで見、他人の過ちを凹(オウ)レンズで見るとき、はじめて両者について公正な相対的な評価に達することができる」と言った。 想像しなかったハルタール(一斉休業)に意表をつかれた政府の狼狽は大きく、ガンジーが断食を始めた4月13日に、パンジャーブ州のアムリッツアの公園で、新年の祭りに集会に参加していた市民に、イギリス軍が小銃と機関銃の掃射をあびせ、政府の報告で死者379人、負傷者1200(インド側の調査ではいずれも3倍)を数える大虐殺を起した。 事件後、パンジャーブ地方には戒厳令がひかれ、軍部による無差別逮捕、公開ムチ打ち、さらにはイギリス人女教師が殺害された通りでは、インド人は腹ばいで行くべしという命令まで出された。 やがてこの大虐殺のニュースはインドの他の地方に漏れ始め、インド中が怒りにみたされた。 ガンジーは、イギリス政府を「悪魔的な政府」と呼び、これまでの政府への信頼と期待、イギリスの危機に際しての協力を「私の過去の過ち」と呼んだ。 1919年暮れに「虐殺のまち」アムリッツアで開催された国民会議派の大会では、会場内外から「ガンジー万歳(キージャーイ)」の叫びが起こった。 ガンジーは 「どんなかたちにしろ、この悪魔的な政府に協力するのは犯罪である」との考えにもとづき、非協力を提案した。 それは具体的には、称号・名誉職の返還、公立学校からの子弟の引き上げ、裁判所・選挙のボイコット、外国製品の不買などに加え、手織り木綿などの国産品の愛用、不可触民制の除去を闘争方針とするもので、暴力を用いず、協力を拒否することで、政府を国民から浮き上がらせ、権力の土台を根底から崩そうとするものだった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年08月14日 19時58分01秒
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