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2008年01月19日
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カテゴリ:尊徳先生の世界
1月3日、飯泉観音に参る途中、古本屋があって、のぞいたら新渡戸稲造の「世渡りの道」を現代語訳した「自分をもっと深く掘れ!」という本があって買ってきた。

印象に残ったところをメモ代わりに残しておこう。

・私(新渡戸稲造)はかって人という字について、ある学者の説を聞いたことがある。
それによると
「人という字は二本の棒から成り、短いほうが長いほうを支えている。
しかし短いほうもまた、長いほうの棒に寄りかかられているために倒れないのであるから、短いほうは他を支えているようでいて、かえって支えられている。
つまり両者は支えたり支えられたりしていて、人という字を構成している。」
 (P16)

・かって英文の聖書を読んだ折、しばしば Be of good cheer という句に出合ったことがある。・・・
 新約にも旧約にも、不愉快のとき、艱難のとき、たとえば病気にかかり、貧乏となり、あるいは罪のために苦しむとき、あるいは他人が不幸に悩むのを見るとき、そこにこの語がくりかえされている。
 普通にいう英語の「チアフル」(cheerfull)すなわち愉快らしい顔色をすることはたいして困難ではないと思っていたが、聖書にしばしば掲げられてあるのを見てから、なるほどこれは容易でないことであり、宗教的に考えるとすこぶる重く、かつ実行しようとしてはじめてその重みがわかると思った。・・・
 そもそも怒りは、とかく人に移しやすいものである。
苦しみはとかく愚痴として述べたいものである。
不幸はこれを口外して、他人にも担ってもらいたく思うものである。
 しかるに、不幸や艱難をことごとくひとまとめにし、はなやかなる風呂敷に包み、世間にはみごとな、目覚めるごときうるわしい風呂敷だなと見せ、喜ばせながら、そのうちにある重荷をひとりで軽げに担うということは、よほど偉い人でなければできないことである。
私は人のニコニコしているのを見て、その偉大さを思わざるを得ない。
 (P24~25)

「Be of good cheer イエス 新約聖書」で検索するとこんな場面があった。
イエスが水の上を渡る場面である。
イエスは群集を解散させて、祈るために人に山に登られた。
夜明けごろイエスは海の上を歩いて弟子達のもとに来たのである。

マタイの福音書

And in the fourth watch of the night Jesus went unto them, walking on the sea.
(夜明け前の早いころ、イエスは海の上を歩いて、弟子たちのところに来られた。)

And when the disciples saw him walking on the sea, they were troubled, saying, It is a spirit; and they cried out for fear.
(弟子たちはイエスが海の上を歩いているのを見て、困惑し、幽霊だと言って、恐れおののいた。)

But straightway Jesus spake unto them, saying, Be of good cheer; it is I: be not afraid.
(しかしイエスはすぐに「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」と彼らに言われた。)

And Peter answered him and said, Lord, if it be thou, bid me come unto thee on the water.
(すると、ペテロが彼に応えて言った。「主よ、あなたならば、私が水の上を歩いて、あなたのところに行くようにお命じください」)

And he said, Come. And when Peter was come down out of the ship, he walked on the water, to go to Jesus.
(イエスは「来なさい」と言われた。そしてペテロは舟から降りて、水の上を歩いて、イエスのところに行った。)

But when he saw the wind boisterous, he was afraid, and beginning to sink, he cried, saying, Lord, save me.
(しかし、彼は風を見て恐ろしくなり、沈み始めたので、「主よお助けください」と叫んだ。)

And immediately Jesus stretched forth his hand, and caught him, and said unto him, O thou of little faith, wherefore didst thou doubt?
(すると、イエスはすぐにペテロの手をつかんで、言われた。「信仰の小さい者よ、どうして疑ったのか?」)

And when they were come into the ship, the wind ceased.
(ふたりが舟に乗り込むと、風は止んだ。)

Then they that were in the ship came and worshipped him, saying, Of a truth thou art the Son of God.
(そして舟の中の人々は、「本当にあなたは神の子です」と、イエスを拝した。)

・英語の「チア」「チアフル」という語は、中古のラテン語caraすなわち英語のfaceから転じたもので「顔」という意味をもっているそうである。
愉快なる心が顔に現れることである。(P37)
・・・私は、世に処するに善意をもってし、「チアフル」に世渡りしたい。

・「怒りは敵と思え」と家康公も言っている。・・・
 私(新渡戸稲造)は生来短気で、気に障るとたちまち怒気を発しやすかった。
 どうにかしてこれを矯正したいと思い、毎夜就寝する前に、今日はいかにして怒ったか、また幾度怒りに負けたかと、一日中の結果を考査し、これを表にしていたことがある。
 これは私が17,8歳頃のことで・・・自分の経験では、悪い癖を直すにはたしかに有効であったように思い、私同様の短所のある人にお勧めしたいと思っている。
(P44)

☆これって、まだ読んだことはないのだが、岡田斗司夫の「いつまでもでぶと思うなよ」を想起させる。
岡田さんの方法は、レコード・ダイエットといって、ひたすら食べたものを記録(レコード)するというものである。
記録することによって自覚する、気づくということが大事なのかもしれない。


・フランスの皇帝ナポレオン1世が、ヨーロッパ大陸を席巻し、勢威並ぶ者がなかった時、ある日、高位の婦人と同道して公園を散歩したことがある。
折から重荷を担い、汗まみれになって疲れながらやってきた労働者に出会うと、ナポレオンは自らこの労働者のために道を譲った。婦人が
「陛下はあんな下等の労働者に道をお譲りなされなくともさしつかえありますまい」
と言うと、彼は
「少なくともあの重荷を尊敬せよ」
と言ったことがある。
 (P52)

・ある旗本が同僚と歓談していたところへ、出入りの商人が訪ねてきた。
よもやまの雑談を交えたのち、商人は帰ってしまった。
そのとき、かたわらにいた旗本が主人に向かい、
「見れば今の客はたかだか一商人にすぎない。それなのに貴殿は、あの男を同僚以上にも尊敬していたように見受ける。どうも合点がいかない」
と言った。すると主人は、
「君には見えなかったか、彼の気概に富んだ眼光、彼の気概ある言葉が、彼の気概は我々の遠く及ばないところである。彼は商人、我々は武士、ゆえに拙者は席次や言葉には階級をつけ、目下に扱っているが、拙者の心では、すでに彼を我々以上の者と尊敬せざるを得ない。
拙者が彼に一歩を譲っていることに気づいたのは感心ではあるが、彼の人格に注意が届かなかったとすれば、失敬ながら貴殿はなお眼識が低いと言わねばならない。」
 (P55)

☆この話は二宮翁夜話残篇の尊徳先生の次の話を思い起こさせる。

【4】尊徳先生がおっしゃった。
官禄・家格があって世に知られ人に用いられるのは、官禄・家格があるためである。
官禄・家格がなくて世に知られ人に用いられる者は、賎しい職業の者であっても侮ってはならない。
これは生れつき優れた者だからである。
奉行所お抱えの手廻りの頭とか、雲助(籠かきや人足)の頭などがこれである。
ある日火事があった。
私が火の見に上って見ていると、当時江戸で名高い、人に知られた男伊達と聞えた者が湯から上がってぶらぶらと来る時に、火消し達が大勢どやどやと来かかった中に、その一人が水溜りに飛び入って、男伊達に泥をあびせて通り過ぎたことがあった。
彼はにっこりと微笑んで、「このような日だ、そうするがよい」と言って、少しも怒る気色がなく、かたわらの天水桶で泥を洗って、静々と通り過ぎた。
その様態の立派さ、威が有って猛からず、恭しくして安らかというべきさまは表現のしようがない。
誠に感服した。
論語に君子に三変あり、之に望むに厳然たり、之に即(つ)くに温なり、其の言を聞くやはげしと、
子夏氏が言ったとおりである。
このような賎しい職業にある民でも変に対応してすばらしい場合がある。
賎しい職業についている者といって侮ってはいけない、賎しい職業とて賎しんではならない。







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最終更新日  2008年01月19日 06時54分11秒
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