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2009年04月26日
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平成17年第744号 平成17年1月15日号発行   
   家族ふれあい新聞

木谷さんに、李登輝氏の幻の講演原稿を送ったら、早速返信のメールがあった。
「Gさん、おはようございます。
 ある日、大分県の宇佐市にあるお寺のお坊さんから尋ねられました。
「木谷さんよ、あんたは土木技師さんだよね。
台湾でダムというか灌漑ダムをつくった八田與一技師という人を知っているかね」
「ダム云々の話は知っているが、八田さんという名前は知っていない」
私はそう答えました。
「そうかい。八田さんはとても偉い土木技師さんだったんだ。そしてね。その八田さんを応援したひとりの土木技師がいたんだよ。中島さんというのだがね。その人が宇佐市の出身なんだよ」
そのお坊さんはとうとう台湾まで行きました。
そして、テレビでもお坊さんは頑張って八田技師と中島技師について話しました。そのお坊さんは宇佐市にある水路を研究しています。
「木谷さんよ、呑もうよね。一緒に呑もうよね」
お坊さんなのに、私と会うと酒の話ばかりするのです。
土木技師としての私を忘れたようです。ああ。
それにしても、Gさんとはいろいろな話で
いろいろなつながりを、私は知りましたよ。
「木谷さんよ、私はメールを始めたのだがね
メールが全然入ってこないのだよ」
お坊さんは嘆いていました。
Gさん、今日の大分は薄曇りです。
以上、大分からのメールでした。」
 
まあ、木谷さんの交友の広がりの豊かなこと。
こちらまで豊かな気持ちになろうというものだ。

   李登輝氏の「幻の講演ー日本人の精神」 
○李登輝さんは、日本への「観光旅行」中の2004年11月24日慶応大学の大学祭「三田祭」で講演を行う予定だったが、中止となった。演題は「日本人の精神」というもので、その予定原稿が、公表されている。その内容は素晴らしいもので「日本人よ。日本人の精神を取り戻しなさい」といった日本人への激励にも聞こえる。
 三田祭の講演で「日本精神」について話してもらえないかと話がきた時、李氏は「よいでしょう」と即答した。
 その理由は、若い学生がこうしたことに関心を抱いていることを知って嬉しかったこと、また、李氏は最近、新渡戸稲造の「武士道」について著述し、日本精神について考える機会があり、人類社会が危機に直面している今、「日本精神」は人類の指導原理としての意味がある。しかるに、第二次大戦後、日本精神の理念や道徳規範が全否定され、いまだに日本社会の根底で、事あるごとに日本人の誇りを奪い、自信を喪失させていることに、若い時、日本人として育った李氏は心痛めるというのだ。
 李氏は「日本精神とは何か」を台湾で最も敬愛される八田與一という一日本人の生涯を通して示した。八田は台湾では神のように祭られ、毎年の命日には農民によってお祭りがなされている。
 八田與一氏は1886年に石川県金沢市に生まれ、東大土木工学科を卒業した。卒業後まもなく台湾総督府の土木局に勤め始めてから、56歳で亡くなるまで、ほぼ全生涯を台湾で過ごし、台湾のために尽くした。
 第四代の児玉総督が民政長官の後藤新平氏を伴って赴任した1898年ごろに、台湾の開発が大きく発展した。八田與一が台湾に赴任したのは、後藤新平時代が終了した1906年以降のことだ。八田は、赴任後まもなく、台北の南方、桃園台地を灌漑する農業水路の調査設計を行い、1921年に完成した。石門ダムの前身である。
この工事の途中から水利組合が設立され、八田氏は総統府を退職して組合に入り、十年間をその水源である烏山頭貯水池事務所長として、工事を実施した。この工事の完成によってほとんど不毛のこの地域で多くの農作物が収穫されるようになった。事業完成時の八田氏は、四十四歳だった。八田氏は「嘉南大セン(土に川)の父」として60万の農民から畏敬の念に満ちた言葉で称えられた。李氏は、「八田與一氏への恩を忘れないようにしたのは何だろうか?」と問う。八田與一氏が、この事業で台湾に残したものが三つある。
一つ目は、不毛の大地といわれた嘉南平野を台湾最大の穀倉地帯に変えたこと。
二つ目は、八田氏の独創的な物事に対する考え方。
三つ目は、八田氏の生き方や思想は、日本的なものを教えてくれる。何が日本精神であるか。八田氏の持つ多面的な一生の事績を要約することによって明瞭になる。
 第一に日本を数千年にわたって根幹からしっかりと支えてきたのは、そのような気高い形而上的価値観や道徳観だ。国家百年の大計に基づいて清貧に甘んじながら未来を背負って立つべき世代に対して、「人間いかに生きるべきか」という哲学や理念を八田氏は教えてくれた。「公に奉ずる」精神こそが日本および日本人本来の精神的価値観だ。
 第二は伝統と進歩という二つをいかにアウフヘーベン(止揚)するかだ。現在の若者はあまりにも物資的な面に傾いているため、その大前提となる精神的な伝統や文化の重みが見えなくなっている。八田氏の工事の進展過程では、絶えず伝統的なものと進歩を適当に調整しつつ工事を進めている。新しい方法が取られても、農民を思いやる心の中には伝統的な価値観、「公議」(ソーシャル・ジャスティス)には変わることがなかった。日本精神という本質に、この公議があるからこそ国民的支柱になれる。
 第三は、八田氏夫妻が台湾の人々に尊敬される理由に、義を重んじ、まことを持って率先垂範、実践躬行する日本的精神が脈々と存在しているからです。日本精神の良さは口先だけじゃなくて実際に行う、真心をもって行うというところにこそある、ということを忘れてはならない。






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最終更新日  2009年04月26日 19時50分49秒
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