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テーマ:報徳記&二宮翁夜話(503)
カテゴリ:報徳記&二宮翁夜話
![]() 報徳日めくりカレンダー(発行 報徳学園報徳教育部)より 30日 天地とともに行うべく 天地とともに勤むべく 天地とともに尽すべし 「ニ宮翁日記」 「天保4年8月10日の日記の一節である。天日がその光と熱とで一切の生命を育てるように、日夜天地の運行とリズムを共にして、自他ともに人のために尽くすのが、天人一貫の報徳道である。」 「いまいち市史」121~242頁 第3章 報徳仕法の展開(抜粋) 第1節 村々の状況と仕法の準備 3 村と報徳役所の交流 交流 安政2年4月、今市に報徳役所が建設され、尊徳自身も東郷から移り、門弟をはじめとする仕法遂行チームの活動も活発になり、仕法が本格的に軌道に乗った。この年から慶応4年の仕法の終末までの14年間、村から報徳役所に仕法の導入を願い出た回数と、役所から村々へ出張し廻村する回数と、それぞれに関係した事項を、調査すると村々と役所の交流の状況が通覧できる。(略) 村々からの自発的願い出 安政4年 日光奉行松平上野介乗利が、村々を3回巡視し、4月2日には大桑から原宿方面を視察して開発を奨励した。また、気候が不順で不作を予想し、報徳役所は大根の蒔き付けを指導した。 この年には「一村式仕法が念入りに指導され、吉沢村が志望を願い出ている。 更に用水工事が盛んに行われ、矢野口・板橋・手岡・轟・町谷などで進行した。 安政5年 6月14日の豪雨で行川・田川・赤堀川が大洪水となり、29か村からの報告と役所からの出張調査があり、復旧工事に着手した。 8月11日から1か月の間、光芒5間の大彗星が人々を驚かした。激しい流行病等に悩まされ、轟・土沢・矢野口等で火災も多かった。 安政6年 今市・瀬川入会地の大開発が瀬尾村にも関係して行われ、この3か村とは密接な連絡をとる必要があった。開発地5町5反4畝歩余がその成果であった。一方自力開発が各村に多く、水害復旧工事も各村で行われた。 文久元~2年 自力開発に道具の貸与数が多い。元年には今市の22か村に51人、2年には16か村に31人あった。また2年には、大渡・板橋両村の大開発が行われた。 慶応2年 大植林を行い、各村との連絡が多かった。全神領内の11か村に桧・杉3万3,800本余が植樹された。 この年は天候不順で多雨冷害のため凶作であり、その報告が役所に集中し対策に多忙であった。8月には、日光の米価高騰と米不足で、600人が今市に押寄せ、米屋が打ち壊された。(略) 「ツキを呼ぶ魔法の言葉ゴールドラッシュ」マスオさん朗読CDを聞くこと458回 今野華都子先生の講演会のCDを聴くこと778回 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年08月30日 00時18分17秒
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