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カテゴリ:鈴木藤三郎
3 藤三郎、サンフランシスコに上陸する
七月二十四日にサンフランシスコに到着し、同地の製糖王スクリプルス経営の精製糖工場を見学し、規模の壮大さに驚嘆しています。 「この気(き)罐(かん)は一釜に白糖四十トンを製造し、また三時間で結晶するという。一昼夜に製造高六百トン。また石炭は一昼夜百七十トンを消費せりという。また工場は十階一棟、附属(ふぞく)倉庫数棟(すうとう)は三、四階建なり。スクリツプル工場はサンフランシスコ南隅(なんぐう)海岸にして船便(ふなびん)最もよし。しかのみならず工場側に市内に通ずる鉄道を設け、製糖をこれより各地に運搬す。その規模の盛大なること実に一驚(いっきょう)せり。」 ここにスクリプルスとは、クラウス・スプレツケルス(Claus Spreckels)という人物で、その経歴は興味深いものがあります。彼はドイツ人で、一八二六年ハノーバーに生まれました。彼は一八歳の時アメリカへ移住します。彼はある食料品店に雇われて、その後ニューヨークに出てチャンスを求めました。当時、 サンフランシスコは金鉱が発見されゴールドラッシュで沸いていました。彼はこの機運に乗じ、まず食料品店を開き、ついで醸造事業を起し、資産家となります。彼は東部の資本家が精糖事業によって莫大(ばくだい)な利益を得ていたことを知り、西部もまた砂糖の需用が必ず増加するであろうと見込みました。彼は視察と準備のため、再びニューヨークにおもむいて、事業を研究し、器械を購入して、サンフランシスコに「ベイ・シュガー・レフワイナリー(海湾精糖所)」を設立しました。十年ほどすると彼は西部における産業界の一勢力となりましたが、彼の大志(アンビシャス)はこのような小成をもって満足しません。彼は成功の途上にある海湾精糖所を売り払って、ドイツのマグデベルグの精糖所で一職工として働き、最新の製糖技術を修得します。一年後、彼はサンフランシスコに帰り、「カルフォルニア・シュガー・レフワイナリー」という一大精糖所を設立します。精良な機械、新しい製造方法で、他の精糖所が三週間を費やし製造するのを、わずか二十四時間で精製し、世人を『おそるべき人である』と驚かせました。「カルフォルニア精糖所」は西部の精糖所を席巻し、東部の精糖界と対抗するに至ります。東部は精糖トラストを組織し西部をも併せ呑もうとし、まずカルフォルニアにあるアメリカ精糖会社を買収し、スプレツケルスと競争させます。トラストは東部で得た利益を西部に回し、砂糖を非常な廉価で販売します。彼はこれに応戦し、トラストの中心地であるフィラデルフィアに世界第一の精糖所を設立し、その規模の広大、器械の精良、品質の佳良をもって決戦四年、ついにトラストは彼と講話を結びに至ります。さらに一八七六年、アメリカ・ハワイ互恵条約が締結されると、彼はマウイ島に世界第一のサトウキビ栽培地を整備します。このようにして、スプレツケルスは「製糖王」と称されるに至ったのです。 また鈴木藤三郎は、ワグネル機械製造所において、製粉機械などの購入の契約をしています。これは、日本精製糖株式会社の創設者の一人であり、また同年創立された日本製粉会社の重役である村上太三郎氏から、出発に際して同社の機械買入を依頼されていたことによるものです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016年02月14日 10時10分04秒
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