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カテゴリ:木谷ポルソッタ倶楽部ほか
「人生二度なし」(修身教授録Ⅱ第3講より)
○真民さんはこう書いている。「『人生二度なし』これは森信三先生のお言葉。これをしっかと丹田に打ち込むこと。特に晩年になるほど、これは大切である。私は森信三先生にお会いして、やっと腹が決まり、「詩国」を発刊し、五〇〇号になった。その間一回も休まず、入院もしない。凡ては先生のおかげである。皆さんもどうか、このお言葉を、骨肉に浸透して下さい。」人生二度なしとはどういう事か。 ○先生は今日はモーニングを着用して来られた。一礼された後、 「人生二度なし」という題と共に、次の歌を無言のまま板書された。 高山の頂にして親と子のあわれなるかな 「諸君この歌のうちで一番いいところはどこだと思いますか。」 「心相寄るはーというところが好きです。」と生徒の一人が答えた。 「ここが一番よいところです。これは赤彦でなければ言えないところです。赤彦は学歴としては、長野師範学校を出ただけです。それでいて万葉以後の歌人となったのです。それ故諸君が志を立てるには、明治以後の人のうちでは、最もよい目標の一人といえましょう。 とにかく人間は、地位とか学歴とかに引掛っている間は真に徹底した生き方はできないものです。学歴というようなけち臭いものに引掛っている間は、その人の生命は十分には伸び切らないからです。もちろん一方では、人間は自分の地位、さらには学歴というようなものについての謙虚さがなくてはなりません。しかしながら、その内面精神においては、一切の世俗的な制約を越えて、高邁な識見を内に蔵していなくてはならぬのです。 そもそも人間というものは、その外面を突き破って、内に無限の世界を開いていってこそ、真に優れた人と言えましょう。 さて、われわれのこの人生は、二度と再び繰り返し得ないものであると言っても、諸君らはあまりたいして驚かないかもしれません。私なども、諸君くらいの年頃には、この人生の最大事実に対しても、一向に無関心でいたから、もっともなことでもあるのです。 そもそもこの世の中のことは、多少の例外があるものですが、この「人生二度なし」という真理のみは、古来ただ一つの例外すらないのです。諸君らが、この「人生二度なし」という言葉に対して、深く驚かないのは、無意識のうちに自分だけはその例外としているからではないでしょうか。もちろん諸君らも意識すれば、自分をその例外であるなどと考えている人は、一人もないに相違ないのです。 要するに諸君たちが自分の生命に対して真に深く思いをいたしていない何よりの証拠だといえましょう。すなわち諸君らが二度とない一生をこの人の世にうけながら、それに対して、深い愛惜尊重の念を持たない点に基因すると思うわけです。 われわれは、わずか一日の遠足にさえ、プランを立て、調査をするわけです。しかるにこの二度とない人生について、人々は果たしてどれほどの調査と研究とをしているでしょうか。否、この「人生二度なし」ということさえ、常に念頭深く置いている人は少ないかと思うのです。これ古来多くの人が、たえず生きかわり死にかわりするけれど、しかも深く人生の意義と価値とを実現する人の少ないゆえんかもしれません。 そもそも人生の意義については、いろいろ考え方がありましょうが、われわれ日本人としては、自分が天から受けた力をこの肉体的生命の許される限り、十分に実現して人々のために尽くし、さらにこの肉体の朽ち果てた後にも、なおその精神がこの国土に残って、後にくる人々の心に、同様な自覚の火を点ずることにあるかと思うのです。 かくしてわれわれが人間としてこの世に生まれてきた意味は、この肉体が朽ち果てると同時に消え去るのでは、まだ十分とは言えないです。というのも、この肉体の朽ちると共に、同時にその人の存在の意味も消え去るのでは、実は肉体の生きている間も、その精神は十分には生きていなかったという、何よりの証拠と言っていいでしょう。 尊徳翁はその「夜話」の中で「生きているうちに神でない人が、死んだからといって、神に祀られる道理はない。それはちょうど、生きているうちに鰹でなかったものが、死んだからといって、急に鰹節にならぬのと同じだ」と言っていますが、さすがに大哲人の言葉だけあります。生前真にその精神の生きていた人は、たとえその肉体は亡びてもちょうど鐘の余韻が残るようにその精神は必ずや死後にも残ることでしょう。 こう考えると、諸君らは今こそここに志を立てるべき時です。そのような志が真に確立しない限り、諸君らは真に深く自分の生命を愛惜するとは言えないでしょう。何となれば、真の精神は不滅であり、いかに凡人でもその生涯を深い真実に生きたならば、必ずやその死後、何らかの意味でその余韻を残しているからです。人間が死後にも生きる精神とは、結局その人の生前における真実心そのもので、その真実の深さに比例して、その人の精神は死後にも残るのです。 かくして人生の真のスタートは、この「人生二度なし」という真理を、その人がいかに痛感するかから、始まると言ってよいでしょう。」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016年11月20日 00時18分12秒
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