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2017年01月12日
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カテゴリ:イマジン
虎屋・黒川光博社長「大切なのは今。言い続けている」
聞き手・古屋聡一2017年1月8日朝日新聞

老舗和菓子屋の虎屋。500年ほど前の室町時代後期に京都で創業してから、質の高い和菓子を世に送り出してきました。時代の荒波が押し寄せても、存続した秘密はどこにあるのでしょうか。17代当主の黒川光博社長に聞きました。

黄門様へ饅頭…今やカフェも 虎屋、挑み続けた500年
 ――創業から5世紀。どうしてそんなに長く会社が存続したのでしょうか。

 「大きな要素として思うのは、いつの時代でも誠心誠意、仕事をしてくれた人がいたのだろうということです。根底にあるのは、人です。働いている人と経営者の間に信頼関係があること。社員が一生懸命働こうと思ってくれることが重要です。9代当主が江戸時代にまとめた掟書(おきてがき)を読んでも、当時の人々が今と変わらない、真面目な姿勢で仕事にのぞんでいたことがうかがえます

 「(15代当主の)祖父がなくなる直前、人事異動があったのですが、病床にいた祖父に対して、『今回は若い人たちを思い切って抜擢(ばってき)しました』と報告しました。そのときに祖父は本当に一言だけ、『古い人も大切にね』と言ったのです。他にもいろんな言葉をかけられたと思いますが、その言葉が非常に印象に残っています。働いている人たちを大切にしなければいけない、という目線は過去から引き継がれているのかもしれません」。

 「歴史があることはありがたいことではありますが、歴史があるから将来が保証されるわけではありません。長い歴史を感じながらも、『大切なのは今』と社員に言い続けています」



「一番大切なのは今、これでいいのかどうか」---虎屋 代表取締役社長・黒川光博氏に訊く、老舗のこだわり
渡辺新『銀座・資本論』より

常に「今」を感じる時代感覚を

渡辺 とらやさんの新しいお店を拝見していても、そこに強いこだわりを感じます。例えば京都のお店でも、出されているものはすごくシンプルなお餅などですが、あんなにおいしいものは本当に手を抜かずに作られているのだろうと感じます。

黒川 そういう手を抜かないところが「不器用なまでの」と思うんです。それが大切だということを製造の人間がわかっているし、作っている人間からすれば売る人間が一生懸命お客様の応対をしているからこそ、自分たちもやらなければならないというように思ってくれていると思います。信頼関係を醸成していくのに、手を抜いてはだめですよね。

渡辺 そうですね。

黒川 一番大切なのは今どう生きていくかということ。「今」という時なのだと思うのです。長い歴史を背負っているから大変だろうとか、どう新しいものと混ぜ合わせているのだろうとか、いろいろなことを皆さんは言ってくださるのだけれども、私にしてみればそんなことを考えている暇もないというか、例えば今、新さんが食べてくださったまんじゅうは喜んでいただけたかどうか、今日の色はきれいに出ているかとか、「今、これでいいのかどうか」ということが大切なのです。

昨日オーケーでも今日は違うかもしれないし、明日もまた変わる可能性もあります。そのくらい「今」「今日」を感じる時代感覚は持っていたいと思います。ですので、店を新しく作るにしても、ここの店で今求められていることは何なのだろう、今お客様は何を望んでいらっしゃるのか、という視点で見たときの結果なのです。

渡辺 昭和のとらやさんと平成のとらやさんではどういったところが、「今」の感じ方が違うのでしょうか。

黒川 TORAYA CAFEがスタートしたのは平成15(2003)年。オープンに至るまでには「このプロジェクトでいこう」と決めてから4~5年はかかっています。TORAYA CAFEをやってから、今、思っていることの大切さ、今、思っていることを具現化していくことの大切さをより感じ、動きが少し早く大胆になったということはあるかもしれません。

渡辺 では、そのプロジェクト自体でまた覚醒した部分があったと。

黒川 あると思います。現在、携わっている人間にすれば、今、何が大切かというのを考えてガンガン新しいことをやることに何の抵抗もないだろうと思いますが、平成15年のTORAYA CAFEを始める前後は、本当にこれでいいのか、こんなことをやってしまって間違ってないのか、という躊躇はすごくあったと思います。それは私自身もありました。

しかし、実際やってみるとやっていないものまで見えてきました。そもそもどうしてTORAYA CAFEを始めたかといえば、和菓子の将来はこれで大丈夫だろうかと思って何かやらなければいけないと思った部分、あるいはパリの店を展開してみて得られたことを日本でもっと活かせないかと思った部分、いろいろな思いがあってTORAYA CAFEのスタイルになっていったのです。当時と比べると、今のほうが大胆にいろいろ発想できるようになったのではないでしょうか。

渡辺 パリに出ていかれるときの決断と、TORAYA CAFEを始められるときの決断と、どちらのほうが大胆さがあるのでしょうか。

黒川 それは、TORAYA CAFEだと思います。パリは場所こそ違え、今まである「和菓子」を扱うわけですから、既存のパッケージで始めたわけです。もちろん初めての海外での挑戦という大変さはありましたが、TORAYA CAFEはとらやという今まで築いてきたものがある中で全く新しいことを始めるわけですから、社内から批判的な意見が出るのではないかという懸念もありました。

渡辺 いろいろご意見がありますからね。

黒川 だから丁寧に考えることもでき、例えば私が乱暴なことを言っても、他の人は慎重に慎重にということがあったり、他の人が突っ走ろうとすると、逆に私が「ちょっと待てよ」と言ったり、それはいいバランスだと思います。そんな思いの中でかなり心配をしながらスタートしましたが、結果的に「和菓子はやはりなくならないな」と思えましたし、新しいことをやってみたことによって、今までやってきたことは間違いない、やり方さえ間違えなければこれからまだ和菓子は続くという確信を得ることができました。

渡辺 その当時、社内的に和菓子の将来に対して疑問視する声もあったわけですか。

黒川 社内ではそんなに大きくはなかったと思います。しかし、ある時期、それまでは毎年何人かずつ就職希望で来てくれる人がいたけれども、最近、全然来なくなってしまった、という他の菓子屋さんの話を聞いたことがありました。幸いにも当社の場合はそういうことはなく、入社した社員の話を聞くと「和菓子が好き」「食べることが好き」という人は多いし、私なんかよりも情報を持っている人がいっぱいいる。そういう社員を見ていると私らが自信をなくしてはだめだと思うのですよね。

渡辺 実際、和菓子屋さんの数は減っているのですか。

黒川 減っています。菓子の小売金額が和生菓子、洋生菓子、チョコレート、おせんべい、スナック菓子など大体のジャンル別で出ますが、それでいくと4,600億円ぐらいで和菓子が一番多いんです。チョコレートがそれに近づいてきていて4,400億円くらいなのですが、一番多いときは和菓子が6,000億円になるくらいまで上がっていました。それが徐々に下がってきて、今はまた少し盛り返している状況です。

渡辺 歴史という面ではヨーロッパの会社は、自分の会社の歴史やアーカイブをうまく使います。とらやさんでも昔のアーカイブを順繰りにお見せになられていますね。

黒川 当社には虎屋文庫という古いものを扱ったり研究したりするセクションがあり、社内外から年間に1300件くらいのお問い合わせがあったりと、かなり機能しています。和菓子を好んだ歴史上の人物の紹介、和菓子と型の展示、和菓子の材料展など、いろいろな発信をしています。

先ほど召し上がっていただいたまんじゅうは「若草饅」という名前で、薄いグリーンと白との染め分けは、時期的に今頃〈注:インタビューは4月におこなわれた〉の若草が萌えだしてきたというイメージのものです。これも安永2(1773)年くらいに書かれた記録に出ていたものです。もうその頃に先ほどのまんじゅうは存在していて、そのまんじゅうひとつにも時代性や物語があるわけです。

渡辺 以前、黒川さんに伺ってびっくりしたのはレシピです。とらやさんはとても古い歴史をお持ちなので、レシピを変えるのに社内的に抵抗があるのかと思ったら、今のお客様の舌にのせておいしいレシピにしないとだめだということで、そこはかなり柔軟に変えられるということでしたね。

黒川 私はそう思っています。

渡辺 ある意味、びっくりしました。

黒川 今の世の中の流行で「あまり甘くなく」と言われたとしてもそれぞれの材料とのバランスがありますから、砂糖だけを減らせばいいというような簡単な話ではありません。洋服作りだって、今年の流行はこうだからといって、そこだけ何かすればいいというのではなくて、やはり全体のバランスという問題も出てくるでしょう。

渡辺 とらやさんは、コンセプトはそのままに300年、400年と繋いでいながら、味は改良している。

黒川 そうですね。いくら私が「これは1700年当時の味です」と言ったって、召し上がったお客様においしくないと言われてしまったら意味がありません。

渡辺 今、現代美術などでも特にコンセプトの部分が大きいですから、味はもちろんそういう蘊蓄というのがとても大事になっている気がします。とらやさんのように、500年以上の背景を持っている会社はなかなかありませんから。

渡辺 お寿司屋さんにしてみると、お魚は時期で全然味が変わります。走り、旬、名残のものとで違いがあって当たり前ですし、むしろブレが季節感だというように捉えますが、お菓子はそういうわけにいかないですね。

黒川 やはり味はできるかぎり同じになるようにしています。ただ、年による違い、特に黒砂糖は、今年のほうがコクがあるとか、甘みを強く感じるとかという差があるのです。それはワインを作るときのブドウがその年によって違うのと近いニュアンスですね。

渡辺 ようかんなどのほうが安定しやすいのですか。

黒川 ようかんの原材料は、砂糖、小豆、寒天です。小豆は北海道の十勝で穫れるエリモショウズという品種ですけれども、それもやはり基準があって大体同じ品質のものが届きます。

しかし、寒天はブレがかなりあって、その時によって粘度が違います。うちはこういう粘度のこういう基準の寒天がいいと決めていて、それに合う寒天を作ってもらっていますが、それでもどうしても天然物だとばらつきが出ます。そのばらつきを計測し、数値化するわけですけれども、それで実際に炊き込んでいって、では、これでようかんの出来上がりというところの最終段階はやはり人間の目なのですよね。

どういう数字のものを何分間、どのくらいの温度で、どういうかき回し方で作れば同じになるかというと、決して同じにならないので、やはり最後は人間の目が決めるのです。

渡辺 現場のエキスパートの方が。

黒川 はい、分野ごとのエキスパートを育てていて、その人間が中心になって判断していきます。煉っているようかんを大きなヘラですくってみて、ようかんが垂れてくるのだけれども、その垂れ具合や色合いを見て火を止める、そういう世界です。

渡辺 そこまでは近代的にやって、最後はやはり人間の目が大切なのですね。

黒川 人間でないと無理なのは、洋服でも同じでしょう。

渡辺 ええ。機械の電動ミシンと足踏みミシンでも違いがありますし、手縫いになりますと全く違います。

原料メーカーと古くは江戸からのお付き合いとなると、生産者の方の顔も見えてくるのでしょうか。顔が見えるお取引とインターネット上だけの物のやり取りでは相当違うと思うのですけれども、その点、何か感じていらっしゃることはありますか。

黒川 それはものすごく違います。例えば黒砂糖の西表島の方たちにしても、小豆の北海道の方たちにしても、自分たちはこれだけのものを収穫して、それを農協に納めたところで仕事が終わりといった感覚があるようなのですね。

渡辺 出荷して終わりという。

黒川 だけれどもそうではなく、自分たちが育てた材料がどんなメーカーに搬入され、そこではどんなことをやってどうやって売られているかがわかると、とても愛着を持ってくださって、育てる段階から気持ちが違うという話は聞きます。

渡辺 なるほど。よくトレーサビリティというと、消費者から上がっていって調べていくようですが、その逆もあるんですね。生産者からエンドユーザーまで見えていると、もの作りが違ってきますか。

黒川 当社の商品で「おもかげ」という黒砂糖を使ったようかんがあるのですが、こちらを黒砂糖の産地の西表島の製糖事業所で売っていただくことにしたんです。皆さんが作られている黒砂糖がこういう製品になっていますよと。すると、やはりご自分たちが作られたものだから、贈り物にしようと選んでくださいます。

渡辺 愛着がまた違いますね。

黒川 そう思います。最初のうちは「売ったことないからいやだ」「仕事が増える」といった意見もあったようですが、実際やってみると楽しく売ってくださっているようです。

渡辺 顔が見えるというのはいいですね。

黒川 こちらからもそうだけれども、やはり生産者から見えるというのもとても大切なことだと思います。

勘定と感情のコントロール

渡辺 これはサンモトヤマの茂登山長市郎さんがよくおっしゃるのですが、商売というのはそろばん勘定のほうの「勘定」と、人間のハートのほうの「感情」。勘定と感情だといった話があります。特に最近はインターネットによって、そろばんの「勘定」ばかりになってしまっているので、ハートのほうの「感情」の商売がますます大事なのだということをよくおっしゃいます。

とらやさんは重役の方が店頭に立たれていたりして、とても顔が見えるご商売をなさっていますけれども、それはやはり気をつけていらっしゃるのですか。

黒川 そうですね。当社には「おいしい和菓子を喜んで召し上がっていただく」という経営理念があります。

「おいしい和菓子」というのは作り手のほうのことで、やはりおいしいものを作らなければいけないと思っているし、「喜んで召し上がっていただく」という部分は、いくらおいしいものを作っても、それがお客様のお手元に気持ちよく渡らなければおいしさも半減してしまうし、嫌な買い物をしたなと思われてしまうと思うんです。ですから、私たちが必要な作り手の気持ちを「おいしい和菓子」、売り手の気持ちを「喜んで召し上がっていただく」という部分に込めているのです。

いいものを作って喜んで買い物していただけた結果として、お客様が「ああ、いい買い物ができたな」「早く食べたいな」と思ってくださり、さらには家に帰ってどなたかと召し上がるときに「どういう会社が作ってるんだろう」「どんな人たちがこういうお菓子を作るのかね」というところまで話が及ぶとすれば、我々は本当に満足ですし、そう言っていただけるような商売をしたいと思っています。

売り上げは大切なことですから頭に入っていなければいけないし、当社でも売上目標は立てています。けれどもそれを優先するのではなくて、お客様に喜んで召し上がっていただく結果として売り上げがあるというように、みんなで思っているつもりです。

和菓子のオートクチュール

渡辺 とらやさんでは、ようかんなどの定番商品の他に、オーダー品もありますよね。その部分はまた商売がさらに難しくなります。その点はどうお考えですか。

黒川 例えば「こういうお菓子を5個作ってほしい」というお客様が来店されたら「少々お待ちくださいませ」と言って、店頭でちょっと腰掛けていただいている間におやじさんが中に入って菓子を作って「お待たせしました」と出てくるというような、ご注文をいただいたらその場で作ってお渡しするというのが商売の原点だと思います。

しかし我々の場合は規模が少し大きくなってしまって、なかなかそれがかないませんが、「和菓子オートクチュール」といって、お客様お一人お一人のご注文に応じて菓子をお作りするということをしています。ご結婚やお誕生日、長寿のお祝い、退職の記念など、さまざまなシーンでご注文をいただいています。

プレゼントするお相手のお好きなモチーフや色を取り入れてほしいとか、皆で取り分けられるように大きなケーキ型にしてほしいとか、個々のご要望を伺い、お客様とご相談しながら菓子を作り上げます。後日、作り手へお礼のお電話をくださるお客様や、中には、菓子を囲んだ写真つきで、とても喜んでもらえました! とお手紙をくださる方もいらっしゃいます。

渡辺 そうやって反応が返ってきますと嬉しいですよね。

黒川 それはもう本当に嬉しいことです。それで相手様もご依頼主も喜んでくだされば、みんながハッピーですから、そういう商売をしたいですね。

渡辺 キャッチボールがいいですよね。もちろん昔からそういう形態はあるのでしょうけれども、最近、特に重要視されているということでしょうか。これだけ世の中が均一化してしまうとやはり特別なものに、より目が向くということでしょうか。

黒川 それはどこの世界でもこの後どういう商売をしていくのかと、皆さん考えておられると思います。やはり「自分だけのための何か」「他とちょっと違うもの」というご要望はありますし、お客様もどこかに手土産を持っていらっしゃるときに「店で買ってきた」というよりは「特別に作ってもらって持ってきた」とおっしゃるほうが、相手の方もより喜ばれるだろうし、そういうことのお手伝いができるならば私たちも楽しいですものね。

不器用なまでに真面目に作る

渡辺 蜷川実花さんがフランシス・ベーコンの展覧会をご覧になって、人間の執着やフェティシズムとはといったことを新聞に書かれていて、やはり芸術家ほど執着というのか、何かひとつのものに固執して能力を磨いていくのはすごく大事なのだということを言われていたのですが、黒川さんが特にこだわっていらっしゃる部分と、会社でこだわっている部分というのはほぼイコールですか。

黒川 それは一致しなければいけないでしょうね。一致させるためのことは組織的になるべく多くやっているつもりだし、その中で私の考え方や何を大切にしているかといったことは、和菓子作りに直接関係なくても伝えるようにしています。

渡辺 例えば商売や製造、もしくは新規の開発など、いろいろな分野があると思いますが、どの分野に対してこだわりが強いのでしょう。

黒川 特にここというのはありませんが、しいてあげればやはり製造でしょうか。

渡辺 もの作りの部分ですね。

黒川 不器用なまでに真面目にものを作っている、という製造の姿勢があります。製造技術が不器用では困りますが、それを除いた部分で器用ではないと思うんです。不器用でいいと思っているのだけれども、不器用なまでにただもう真面目に愚直に菓子作りをしている。

その製造の姿勢やそこで発せられる言葉そして製品はとらや全体に波及していって、他の部署もそこまで製造の人間が一生懸命にやっている、それは我々がお客様にお伝えしなければいけないというように繋がる。そう考えるとやはり製造が原点にあるのではないかなと、私は思います。例えば、今、新さんに召し上がっていただいた菓子にしても、製造の者たちは新さんと同じ状況で、ちゃんと座って試食をしています。

渡辺 なるほど。

黒川 私はよく、立って食べるのはつまみ食いみたいなものだと言うのです。座って楊枝を使って一個全部をお茶と一緒に食べてみたときにどう感じるのか、お客様が召し上がるシチュエーションと同じように食べてみて「固い」「柔らかい」「大きい」「小さい」「食べやすい」「食べにくい」ということを感じなさいと言っているわけです。

渡辺 立ちながら味見をしていては、お客様の状況はわからないということですね。

黒川 座って食べなさいと言われた途端に、今まで立ってつまんで食べていたまんじゅうを一体どうやって食べたらいいかとみんなが考えるということが大切だと思うのです。

渡辺 なるほど。面白いですね。

黒川 それで、私はそれぞれに自分で考えてほしいので「こうやれよ」と言うだけではなく、「どう思うんだ」と質問を投げかけると、言葉に窮していたり、「前から思っているけれども、そこのところをどうして食べたらいいかわからない」などと言葉が出てきたりします。それが大切であって、そういう意見が強かったら、やはり変えなければいけない。

渡辺 そういうときが一番価値観が繋がりやすいですね。

黒川 そう、これは面白いです。私がそういう話をして「うーん」とか悩んで面白がって、みんなも考えて、それで改善されていく。そのように改善のためには裏でいろいろな声を出しているのです。

製造でそういうことをやっているということがわかっていれば販売との信頼関係も生まれますし、結果としてそれがいい商品に繋がってお客様が喜んでくだされば嬉しいですね。

渡辺 おっしゃっていた製造の愚直さ、要は端折らないということですね。

黒川 そうです。それは大切です。

渡辺 新規事業を立ち上げるときにも、愚直さという部分が抜けてしまうと、とらやさんらしさがなくなってしまいますよね。

黒川 はい。


常に「今」を感じる時代感覚を

渡辺 とらやさんの新しいお店を拝見していても、そこに強いこだわりを感じます。例えば京都のお店でも、出されているものはすごくシンプルなお餅などですが、あんなにおいしいものは本当に手を抜かずに作られているのだろうと感じます。

黒川 そういう手を抜かないところが「不器用なまでの」と思うんです。それが大切だということを製造の人間がわかっているし、作っている人間からすれば売る人間が一生懸命お客様の応対をしているからこそ、自分たちもやらなければならないというように思ってくれていると思います。信頼関係を醸成していくのに、手を抜いてはだめですよね。

渡辺 そうですね。

黒川 一番大切なのは今どう生きていくかということ。「今」という時なのだと思うのです。長い歴史を背負っているから大変だろうとか、どう新しいものと混ぜ合わせているのだろうとか、いろいろなことを皆さんは言ってくださるのだけれども、私にしてみればそんなことを考えている暇もないというか、例えば今、新さんが食べてくださったまんじゅうは喜んでいただけたかどうか、今日の色はきれいに出ているかとか、「今、これでいいのかどうか」ということが大切なのです。

昨日オーケーでも今日は違うかもしれないし、明日もまた変わる可能性もあります。そのくらい「今」「今日」を感じる時代感覚は持っていたいと思います。ですので、店を新しく作るにしても、ここの店で今求められていることは何なのだろう、今お客様は何を望んでいらっしゃるのか、という視点で見たときの結果なのです。

渡辺 昭和のとらやさんと平成のとらやさんではどういったところが、「今」の感じ方が違うのでしょうか。

黒川 TORAYA CAFEがスタートしたのは平成15(2003)年。オープンに至るまでには「このプロジェクトでいこう」と決めてから4~5年はかかっています。TORAYA CAFEをやってから、今、思っていることの大切さ、今、思っていることを具現化していくことの大切さをより感じ、動きが少し早く大胆になったということはあるかもしれません。

渡辺 では、そのプロジェクト自体でまた覚醒した部分があったと。

黒川 あると思います。現在、携わっている人間にすれば、今、何が大切かというのを考えてガンガン新しいことをやることに何の抵抗もないだろうと思いますが、平成15年のTORAYA CAFEを始める前後は、本当にこれでいいのか、こんなことをやってしまって間違ってないのか、という躊躇はすごくあったと思います。それは私自身もありました。

しかし、実際やってみるとやっていないものまで見えてきました。そもそもどうしてTORAYA CAFEを始めたかといえば、和菓子の将来はこれで大丈夫だろうかと思って何かやらなければいけないと思った部分、あるいはパリの店を展開してみて得られたことを日本でもっと活かせないかと思った部分、いろいろな思いがあってTORAYA CAFEのスタイルになっていったのです。当時と比べると、今のほうが大胆にいろいろ発想できるようになったのではないでしょうか。

渡辺 パリに出ていかれるときの決断と、TORAYA CAFEを始められるときの決断と、どちらのほうが大胆さがあるのでしょうか。

黒川 それは、TORAYA CAFEだと思います。パリは場所こそ違え、今まである「和菓子」を扱うわけですから、既存のパッケージで始めたわけです。もちろん初めての海外での挑戦という大変さはありましたが、TORAYA CAFEはとらやという今まで築いてきたものがある中で全く新しいことを始めるわけですから、社内から批判的な意見が出るのではないかという懸念もありました。

渡辺 いろいろご意見がありますからね。

黒川 だから丁寧に考えることもでき、例えば私が乱暴なことを言っても、他の人は慎重に慎重にということがあったり、他の人が突っ走ろうとすると、逆に私が「ちょっと待てよ」と言ったり、それはいいバランスだと思います。そんな思いの中でかなり心配をしながらスタートしましたが、結果的に「和菓子はやはりなくならないな」と思えましたし、新しいことをやってみたことによって、今までやってきたことは間違いない、やり方さえ間違えなければこれからまだ和菓子は続くという確信を得ることができました。

渡辺 その当時、社内的に和菓子の将来に対して疑問視する声もあったわけですか。

黒川 社内ではそんなに大きくはなかったと思います。しかし、ある時期、それまでは毎年何人かずつ就職希望で来てくれる人がいたけれども、最近、全然来なくなってしまった、という他の菓子屋さんの話を聞いたことがありました。幸いにも当社の場合はそういうことはなく、入社した社員の話を聞くと「和菓子が好き」「食べることが好き」という人は多いし、私なんかよりも情報を持っている人がいっぱいいる。そういう社員を見ていると私らが自信をなくしてはだめだと思うのですよね。

渡辺 実際、和菓子屋さんの数は減っているのですか。

黒川 減っています。菓子の小売金額が和生菓子、洋生菓子、チョコレート、おせんべい、スナック菓子など大体のジャンル別で出ますが、それでいくと4,600億円ぐらいで和菓子が一番多いんです。チョコレートがそれに近づいてきていて4,400億円くらいなのですが、一番多いときは和菓子が6,000億円になるくらいまで上がっていました。それが徐々に下がってきて、今はまた少し盛り返している状況です。

渡辺 歴史という面ではヨーロッパの会社は、自分の会社の歴史やアーカイブをうまく使います。とらやさんでも昔のアーカイブを順繰りにお見せになられていますね。

黒川 当社には虎屋文庫という古いものを扱ったり研究したりするセクションがあり、社内外から年間に1300件くらいのお問い合わせがあったりと、かなり機能しています。和菓子を好んだ歴史上の人物の紹介、和菓子と型の展示、和菓子の材料展など、いろいろな発信をしています。

先ほど召し上がっていただいたまんじゅうは「若草饅」という名前で、薄いグリーンと白との染め分けは、時期的に今頃〈注:インタビューは4月におこなわれた〉の若草が萌えだしてきたというイメージのものです。これも安永2(1773)年くらいに書かれた記録に出ていたものです。もうその頃に先ほどのまんじゅうは存在していて、そのまんじゅうひとつにも時代性や物語があるわけです。

渡辺 以前、黒川さんに伺ってびっくりしたのはレシピです。とらやさんはとても古い歴史をお持ちなので、レシピを変えるのに社内的に抵抗があるのかと思ったら、今のお客様の舌にのせておいしいレシピにしないとだめだということで、そこはかなり柔軟に変えられるということでしたね。

黒川 私はそう思っています。

渡辺 ある意味、びっくりしました。

黒川 今の世の中の流行で「あまり甘くなく」と言われたとしてもそれぞれの材料とのバランスがありますから、砂糖だけを減らせばいいというような簡単な話ではありません。洋服作りだって、今年の流行はこうだからといって、そこだけ何かすればいいというのではなくて、やはり全体のバランスという問題も出てくるでしょう。

渡辺 とらやさんは、コンセプトはそのままに300年、400年と繋いでいながら、味は改良している。

黒川 そうですね。いくら私が「これは1700年当時の味です」と言ったって、召し上がったお客様においしくないと言われてしまったら意味がありません。

渡辺 今、現代美術などでも特にコンセプトの部分が大きいですから、味はもちろんそういう蘊蓄というのがとても大事になっている気がします。とらやさんのように、500年以上の背景を持っている会社はなかなかありませんから。


銀座が活性化する証

渡辺 汐留、日比谷、丸の内、日本橋と最近、銀座の周りがどんどん開発されています。200メートルのビルで周りを囲まれて、銀座だけ56メートルで、150メートル下がった盆地みたいになっています。黒川さんは銀座のこれからに対して、銀座にこうあってほしいといったイメージはお持ちですか。

黒川 茂登山さんの言葉ですごく感慨深く思っているものがあって、「銀座には日本の古い店もあるし新興の店もある、地方からこられた店もあれば外国ブランドももちろんある。そのみんなが共存できるのが銀座だ。だって古い店だって、最初は新しいだろう」と。それが長く続いて古い店になったのであって、自分たちの最初を思えばその新しい店を阻害するのはもう全然筋違いだという意味のことをおっしゃっていました。

これは非常に含蓄のある言葉だと思うし、街が活性化して生きていくうえにおいて新しい店というのはとても大切なのではないかと思います。古いところが新しいところを見る時、ちょっと眉をしかめながらも刺激を受けていると思うし、例えば外国の店が大きな顔するなと思ったとしても、そこから得ているものはすごくある。やはり多種多様な店が共存できる街というのはすごいと思うし、それはいろいろなお客様を呼べる要素でもありますよね。

渡辺 そうですね。ですから、今、黒川さんがおっしゃったように、どんどん生み出していく力を衰えさせてはいけないと思います。

黒川 古い我々だって、自分たちだけがポッと置かれたときに新しいものを生み出す能力がどれだけあるかというと、それはもう本当に低いと思うのです。だけれども、例えば銀座みたいな街にいて、新しい店や外国の店を見ていろいろなものを得て新しいものを生み出す力を大きくしているのです。

渡辺 そうですね、刺激を受けながら。

黒川 本当に刺激を得ています。例えば「こんなことをやっていいのか」と思うことだって、刺激ですから。

渡辺 眉をしかめるのもひとつの刺激。

黒川 自分はああなりたくないと思うこともあるかもしれないし、そう思っていたけれども、3年経ってみてあそこが調子がいいぞと思えば、何がいいのだろうかと気になったりする。幸いにもいい意味で共存し合って、我々も刺激を受け、新しい店は逆に古い店がああいうことを大切にしてやっているのかと思っているかもしれない。この環境はお互いにいいのではないかと思うし、少なくとも私にしてみればすごく居心地がいいというか、助けていただいている感じがします。

渡辺 やはり切磋琢磨とお互いを尊重する気持ちが街を作っていくということですね。特定のスタイルではなくてお互いに磨き合うような。

黒川 この10年、15年くらいでいろいろな店が増えていますが、それはある時代の銀座より今のほうが活性化しているのではないかと感じています。

渡辺 私もそれは強く感じています。また、銀座ならではの繋がりの強さという魅力もあると思います。

黒川 そうですね。以前行われた、東日本復興応援プロジェクトの『やっぱ銀座だべ』などもその象徴ですね。これは、被災地と銀座の企業や商店などがお互いのノウハウを相互提供したり、人材的交流なども考えたプロジェクトです。キックオフイベントには100名以上もの来場者がありました。

渡辺 この繋がりというのは、銀座が他の街に対して自信を持って自慢できることの一つですね。よく黒川さんがおっしゃっている「毎日創業なのだ」という気持ちがあれば銀座は今後も成長を続けていくのでしょうね。





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最終更新日  2017年01月12日 21時16分49秒
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