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2018年03月17日
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2019年 大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」
は“オリンピックに初参加した男”金栗四三(かなくり しそう)と
“オリンピックを呼んだ男”田畑政治(たばた まさじ)だそうだ。
主演は金栗四三役に中村勘九郎さん、田畑政治役に阿部サダヲさんである!

【企画内容】

“オリンピックに初参加した男” 金栗四三と“オリンピックを呼んだ男” 田畑政治
日本のオリンピックは、マラソンの金栗四三と陸上短距離の三島弥彦、たった2人の選手から始まった。まだ“スポーツ”の言葉もなかった時代。1912年に初参加した「ストックホルム大会」で、金栗は日射病で失神、三島も大惨敗。だが、そこから持ち前の根性で猛勉強、日本はスポーツ大国へと成長する。1936年の「ベルリン大会」では、水泳の前畑秀子をはじめ金メダルを量産。念願の「東京オリンピック」招致を勝ち取る。だが、時代は戦争へと突入、夢は幻と消えてしまう。 敗戦。田畑は蛙と芋で飢えをしのぎ、執念で競技を再開。ついには、1964年の「東京オリンピック」を実現する。
戦争、復興、そして…平和への祈り。オリンピックには、知られざる日本人の“泣き笑い”の歴史が刻まれている。ドラマでは、1912年「ストックホルム」から、1936年「ベルリン」、1964年「東京」までの3大会を中心に、激動の52年間を描いていく。

語り手は、“落語の神様”古今亭志ん生
ドラマの語りは、稀代の落語家・古今亭志ん生。架空の落語『東京オリムピック噺』の軽妙な語りにのせ、“笑いの絶えない”日曜8時のドラマを目指す。 また、志ん生自身の波乱万丈な人生もドラマに挿入。 生粋の江戸っ子である志ん生の目線で、明治から昭和の庶民の暮らしの移ろい、“東京の変遷”を映像化していく。大河ドラマ初の4K制作で描く、「東京&オリンピック」の物語。

この落語の神様 古今亭志ん生 役が タケシ である。

NHKから「神様(志ん生)は神様に演じてもらうしかない」という出演要請を快諾し
「志ん生さんは一番尊敬する落語家。うれしくてしようがない。久々にプレッシャーがかかって、夜中に落語をやってみたりしている」と語っている。

金栗四三については、今は亡き畏友木谷文弘が「ポルソッタ倶楽部」で木谷節を披露している。




--【木谷ポルソッタ倶楽部】-----------------<2008/2/4.>----
            ■ 世界一遅いマラソン記録 ■
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昨日、大分毎日マラソンが開催された。
大分出身の若者がゴールを切った。
地元のマラソンで、地元の選手が優勝した。嬉しかった。 マラソンというと、感動する話を聞いたことがある。 みなさんは、金栗四三さんという人をご存知だろうか。
うん、戦前の生まれの人ならば、すぐに「マラソンの父」だと言うだろう。 明治44年、金栗さんは翌年に開催される
ストックホルムオリンピックに向けたマラソンの予選会に出場した。
当時の世界記録を27分も縮める大記録を出して完走したそうな。 27分も縮めたということに、私しゃあ驚きましたわいな。 金栗さんは三島弥彦さんとともに日本人初のオリンピック選手となった。
金栗さんは明治45年のストックホルムオリンピックのマラソンに参加した。 それで、どうなったかって......ふふふ、話はうまくはいかない。
金栗さんは走っている途中に気分が悪くなり意識を失って倒れたそうな。
マラソンコース近くの農家に運び込まれて介抱されたらしい。 そして、なんと金栗さんが意識を取り戻したのは、翌日の朝であった。
ふふふ、もちろん、マラソンの競技は終わっていた。 金栗さんの無念さは、運動神経オンチの私にも想像できる。 その後、金栗さんは2度のオリンピックに出たり、
箱根駅伝の開催のために尽力し、その功績を讃え、金栗杯が創設されている。 明治、大正、昭和と、いろんなことがあり、時は過ぎていった。
昭和42年、スウェーデンのオリンピック委員会から、金栗さんは突然に招待された。 ストックホルムオリンピック開催55周年を記念する式典、
途中棄権をした私がなぜに招待されるのだろう。
金栗さんは恥ずかしい気持ちながらも招待を受けた。 マラソン途中で意識を失って、農家にかつぎこまれた金栗さん、
ストックホルムでは棄権の意志がオリンピック委員会に伝わっておらず
「競技中にひとりが失踪し行方不明」として扱われていた。 金栗さんがストックホルムに行き競技場に赴くと。
なんとゴール付近には一本の白いテープが張られていた。
スウェーデンの人達にせかれて、金栗さんはテープを切った。 競技場内にアナウンスが高らかにされた。 「金栗選手、ゴールです。記録は54年8ヶ月6日5時間32分20秒3です。
 これは世界一遅いマラソン記録であります。
 以上をもって、第5回ストックホルムオリンピックの全試合が無事に終わりました」 -------------------------------
  木谷 文弘(きたに・ふみひろ)





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最終更新日  2018年03月17日 02時13分34秒
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