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2019年02月24日
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ドナルド・キーンさん死去 96歳 日本文学研究者、翻訳で国際化に貢献
2/24(日)

日本文学の国際化に貢献した文化勲章受章者で米コロンビア大名誉教授のドナルド・キーンさんが24日、心不全のため東京都内の病院で死去したことが分かった。96歳。通夜・葬儀の日程は未定。お別れの会を後日開く。喪主は養子のキーン誠己(せいき)さん。 

1922年、米ニューヨークで貿易商の家庭に生まれた。コロンビア大の学生だった18歳の時、英訳された「源氏物語」を偶然手に取り、みやびな世界に魅了された。太平洋戦争中には、米海軍語学将校として日本兵捕虜の尋問・通訳に従事。彼らが残した日記を解読するうちに、日本への関心をより深めていった。

 ◇三島由紀夫ら多くの文学者と交流

 戦後、大学に戻り、本格的に日本文学研究に打ち込み、53年には京都大大学院へ留学。後の文相で教育社会学者の永井道雄と親交を結ぶ中、中央公論社の嶋中鵬二社長を紹介されたのを機に、谷崎潤一郎や川端康成、三島由紀夫ら多くの文学者と交流。古典から近現代文学まで幅広い日本文学作品に精通し、太宰治や三島、安部公房らの作品を積極的に翻訳、紹介した。谷崎、川端、三島らの名前が候補に挙がったノーベル文学賞の事前選考にも、大学の同僚だった日本文学研究者エドワード・G・サイデンステッカー(2007年死去)とともに関わった。

 ◇2012年に日本国籍取得し話題に

 11年3月の東日本大震災の津波被害と原発事故を憂えて、「大好きな日本に永住し、日本人になる」と表明。生涯独身で、後に養子に迎える新潟県出身の文楽三味線奏者、上原誠己さんと06年秋に知り合ったことが日本国籍取得(12年)の最大の契機になったという。13年には、研究業績などを紹介する「ドナルド・キーン・センター柏崎」(同県柏崎市)がオープンした。

 日記文学を論じた「百代の過客」で読売文学賞と日本文学大賞(85年)、力作評伝「明治天皇」で毎日出版文化賞(02年)を受賞するなど多数の論考を著した。

 近年でも評伝「正岡子規」(12年)、同「石川啄木」(16年)を刊行するなど晩年まで創作意欲は旺盛だったが、18年3月の米ニューヨーク訪問後に体調を崩しがちになり、都内の病院で入退院を繰り返していた。公には、同年5月に埼玉県草加市で上演された「幻」の古浄瑠璃「越後国柏崎 弘知法印御伝記(こうちほういんごでんき)」の記念座談会で元気そうな姿を見せたのが最後となった。【中澤雄大/統合デジタル取材センター】

2012年01月25日
ドナルド・キーン氏 「心から日本を愛し信じている」と言った高見順と同じ心持です

ドナルド・キーン氏が文藝春秋2011年8月号に「なぜ、今『日本国籍』を取得するか」を寄せられている。
そのなかで「国籍を取得したいという気持ちの裏側には、日本に対する長年の感謝の念があるのです」と記されている。
「今回、これだけの大惨事に見舞われながら、大きな混乱も生まれず、粛々と落ち着いた行動をとり続けた日本人の態度は世界中の知るところとなっています」
に関連して キーン氏は「日本人の戦争」で紹介した高見順の日記から
太平洋戦争末期、中国の青島から日本に戻ってきた時、上野駅で整然と並んで列車を待つ日本人の様子を日記の中に記しているという。
「私の眼に、いつか涙が湧いていた。
いとしさ、愛情で胸がいっぱいだった。
私はこうした人々と共に生き、共に死にたいと思った。
否、私も。-私は今は罹災民ではないが、こうした人々の内のひとりなのだ。(略)
そして心から日本を愛し信じている庶民の、私もひとりだった」

キーン氏もまた高見順氏と全く同じ気持ちですと言われる。

「今回、東北は大きな悲劇に見舞われましたが、私は決して絶望していません。これは私が終戦直後の東京を見たことと関係があるでしょう。
終戦から4か月後、中国から横須賀に降り立ち、廃墟と化した東京を目の当たりにしました。普通なら都心に近づくにつれ、建物が増えるのに中心部に近いほど建物が少なくなり、残ったものといえば、煙突や蔵だけでした。それほど惨憺たる状況だったのです。
東京は短期間で見事に復興しました。東北も必ずや復興すると思います。
多くの問題はあるでしょうが、私は東北、そして日本には明るい未来がある筈だと信じています」





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最終更新日  2019年02月24日 10時48分49秒
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