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2020年02月26日
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「みあしの跡」より

彼女の人となり  佐伯理一郎

 彼女の一生涯を通じて最も秀でた一事はその性質の極度まで、正しき事であった。
爪の垢ほどの不正の事も彼女にとっては一大罪悪であって自分は素より、その為した事の正しくなかりしということを知った時はどこどこまでもこれを質(ただ)しこれを改め、夫や子供たちその他心やすき人の不正に対してもこれを改めさせずには置かぬ性質であった。
(一例)同志社女学校在学中同室の中山咲子さんという一年前のクラスの人の毛糸編の針を借りてそのまま忘れてかえさず、卒業後直ちに結婚して次から次へと子供が生まれるので遠方に尋ねて行く事もできず、あけくれ心にかかりながら、遂に十年ばかり経て後、漸く東京在の頗る辺鄙な御家に尋ねて行き、お詫びをした。その時そのお方はビックリなされ、そんな些細な事をどうして忘れもせずにいたかと仰せられたそうで、昇天後その時のありさまをお尋ね申し上げたところ、左の通りのご返事が参りました。
「あの時奥様のご容姿あまりに気高く、敬虔の御念強きに打たれ、ご在学中些細なる事につきお詫びのお言葉を承り、余りにも恐縮いたしてただ痛み入り、為に大いに信仰に励まされ、爾来純福音に恵まれております」云々。
 右の事柄が彼女にとりて一生涯中の最大事業でありました。
(二例)明治二十九年同志社病院を引受け、備品全部は買い取ることになった。ところが数年の後奥深き棚の引出しに新しきタウル一ダース残っていた。ところが金を払った伝道会社の委員ケリー氏は帰米後にてその住所さえ判然とせず、よって牧師木村清松氏に頼み、その旨を告げ送金したが、ケリー氏も大分困られた由にて何でもその金は伝道会社に献金せられたとか聴きました。
 教役者(きょうえきしゃ)に対しては極度に敬意を払うた。たといその人が無教育であろうが未成年者であろうが、いやしくも献身せられたほどの人であれば、必ず「先生」という敬称を付け、それが全く蔭日向(かげひなた)なしで、いかなる場合でも同じで少しも差別をつけず、万一誰か言い捨てに話す人あれば、目下の人の時は直ちに眼前にて注意し、目上の人であれば、後であの人は気の毒に不敬虔の人であると評した事が多かった。
 聖霊を憂えしめぬ事、右と同じように聖霊を崇(あが)め奉ったことはおびただしいもので、事いやしくも聖霊に関する時は姿勢を正してこれを語り、人と談話中でもしばしば沈黙して聖霊の降下を仰ぎ待ち、事ごとに聖霊の御差図を待った。
 神癒については彼女は真に驚くべき絶対の信仰を有していた。天地を創造なされた全能の神様が何で病ぐらいを御なおし下さる事のできぬものかという意気で、それに自分も第5回目の分娩以来身体(からだ)弱くなり、床に就きやすき習慣となったが、一たび神癒を信ずるに至りてはヨハネ伝五の八にある「起きよ床を取りあげてあゆめ」との聖句を基礎として、癒されたと信じた以上、いつまでも床にあるはみ旨ならず、なるべく早く床をとりあげて行かねばならぬと自分先ずこれを実行し、人にもすすめた。それで弱いながらに常に起きていた。若しもこの信仰なかりせば彼女は六十二歳まで生きながらうべきではなかった。彼女がその母の年まで地上に保たれたのは全くこの信仰のあったがためであった。長男や次男が大手術、難病者等ある時は直ちに電話を以て母に祈りを求める。母は直ちに三階に上がり祈りに時を費やした。この事がいかに大なる力をせがれたちに与えたであろうか、計り知られぬのである。
 任せきった生涯、一たび神にお願いしてお任せした以上は決して自分で心配せぬ特質は実に目覚ましきものであった。せがれたちを代わるがわる外国に留学させ、各々数年又は十数年をも経過するその間には人々から何千里という遠い処にお遣(や)りになりて、さぞご心配でしょうと問われた時、彼女は襟を正してそれは皆神様にお任せしてありますから私(わたくし)は少しも心配いたしませぬ、それを心配するようでは神様をないがしろにするというものです。私は決してかようの事は致しませぬと答えるのが常であった。
 深き同情の念に充たされていた事。彼女は余り涙もろき人ではなかったが、不仕合せの人を見ては、黙視していられぬ質(たち)であった。たとえば二十五年前(ぜん)東京の国民新聞にただ一人の男児(こども)をのみ持ちいた寡婦が直ちに当人に向かって書状を出し、もし産婆看護婦にでもなって余生を送りたければコチラにお出でなさい、学資金も入らぬようにしてお世話をして上げましょうと、言うてやった。結果できあがった人が竹内修(しゅう)とて卒業後近衛家にお世話して、二十年間同家になくてはならぬ人物となったのであります。またあのA-という人のごとき二十余年絶えず同情して上げました。また古き卒業生、新しき生徒交(かわ)るがわる助けを求めて来る人には一々面会して教護する処あると同時に魂の救われる事は何よりも先ず先にせねばならぬことを語り聞かせ、禱告(とうこく)により毎日おびただしい人のために祈りて上よりの御助けを求めていた。
 事ごとに祈りに拠りて事を処した。何事の相談に預かっても容易に返答せず、先ず祈りを以て御旨のある処を御尋ねして後に答えるを常とした。一度み旨と信じて決した事はいかなることがあってもこれを変更しない、内助の効の最も大なりし点は則ちここに在りました。
 ブラザー・ローレンスを手本となしたる事。晩年およそ二十年ばかりの間聖書に次いで彼女の最も多く幾度(いくたび)も幾度も繰り返し読んだ書はローレンスの伝記であります。台所において自ら炊事をなすこともすくなくはなかったが、その時は彼女はローレンスを以て自ら気取り、人をしてその表情のローレンス然たる処あるを思わしめた。
 性来無言を好んだが伝道のためには多言した。ある時は余り語り過ぎはしないかと思うばかりの事もしばしばあった。
 親より特に頼まれた女中または看護婦などにはクリスチャンらしき規則正しく注意深き行いが伴わなければいけないと厳重過ぎるほどの訓戒を与えることもしばしばであった。
 十一献金の事は最も厳重に実行した(彼女の負担せる家計の範囲において)これこそ四十年一日のごとくであった。





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最終更新日  2020年02月26日 01時14分46秒
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