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カテゴリ:鈴木藤三郎
今回のクラウドファウンディングに賛同された方とその金額を見ていると、
つくづくとこれまでのわたくし自身の人生の様相があらわれるものだと感嘆する。 ほとんどが5000円以上の大口で、一週間たたないうちに、目標金額の半分以上達成した。 I先生、K先生のは別格で、このお二人が応援してくださるなら、まっすぐに進んで間違いないと信じる。 そして森町のMさんが指し示した道、このクラウドファウンディングが成功すれば鈴木藤三郎の生家の保全にクラウドファウンディングを活用したい、にまっすぐに結びついているように思える。 以前、「報徳記」全巻を読了後 読書会の仲間と今市の報徳二宮神社を読了記念に参拝したおり、宝物館で鈴木藤三郎が奉納した2500冊の報徳全書を見て感動した。そのとき「この人を顕彰したいものだ」と思った。 人は多くの思いをいだき、そして思いの多くは思っただけで消えていく。 今市視察の数日後、川崎の日航ホテルで、私とS君とでいっしょに、I先生を、おもてなしした際に、 その前に県立川崎図書館で鈴木藤三郎の伝記「黎明日本の一開拓者」 を読んでその最後の場面に感動していたのだが、 藤三郎が死ぬ前に庭先に観音さまが出現する場面があり、 わたくしは先生に 「私は藤三郎が本当に観音様を見たと思います、そして観音様は藤三郎の成功も失敗もそれでよしとされたのだと思います」 と申し上げると、 先生は「私にその本をかしてください」といわれ、パラパラとめくられて 「私もそう思います」 とおっしゃった。 そのときにわたくしは、「鈴木藤三郎を顕彰しよう、世に知らしめよう」と心に決めた。 それ以来その気持ちは全く変わらない。 だから、今回のクラウドファウンディングの成功は、鈴木藤三郎氏の顕彰に結び付けられていて、I先生とK先生のお二人が是とされているから、大成功疑いなしだ。 そして今回のクラウドファウンディングの成功の背景には、森町の鈴木藤三郎氏顕彰会の固い結束と支援が大きくはたらいている。 「広井勇と青山士」「八田與一と青山士」を技術者シリーズと名付けられたのは放送大学I先生であり、「技師鳥居信平著述集」はその3集という位置づけでもある。 いわゆる評論ではなく、技術者本人の論述を収集したこれらの本は、時間の容赦のない流れのなかを生き抜いて、次の世代に引き継げるものと信じる。 現在、徳島県で核となる人脈を模索ちゅうで、 いまのところ、やれどもやれども、 さぐれどもさぐれども、からぶりだが、 かならずや固い岩盤ともいえる支援者にあえるものと信じてとりくんでいる。 かすかに黎明がみえてきた。 クラウドファウンディングはまことに学びそのものです。 皆様、今後ともよろしくお願いします。 〇鈴木藤三郎35 藤三郎は、この損失の責を一身に負って、私財40万円を投じた福島県小名浜の鈴木製塩所を会社に提供して、その損失を補うことにした。次に自分は、社長の地位を退いて一技師長の立場となった。そして、田島信夫が推されて社長となった。しかし、その後1か月もたたないうちに、尼崎工場で生産費節約のために、醤油に甘味をつけるのにサッカリンを使用したことが発覚して、大問題になった。それが、新聞紙上に発表されたのは、明治42年(1909)11月3日だった。 「不正醤油検挙 大阪警察部は三四日前、某署より提出の小分醤油を分析せしに多量のサッカリンを検出したれば、直ちに取調べたるに、日本醤油会社より発売の品なること判明したり。本部にては、小売業者の所為ならずやと各方面を取調べたるに同様サッカリンを検出したれば、今は猶予ならずと一日の夜より二日朝に掛け、西区幸町通二丁目の貯蔵倉庫及び横堀七丁目の大阪出張所に臨検し、合計千六百余樽此代金約一万円を押収して悉く封を施し引揚げ、目下専ら分析試験中なり。2日の午後には日本醤油会社尼崎工場の星野技師が、目下同工場で醸造中の醤油全部にサッカリンを混入したことを自白した。警視庁は、東京工場の製品にもサッカリンが混入されていないかと調査したけれども、関東では、そうしたものは一樽も発見されなかった。」 サッカリンは、有毒物ではなかったが、砂糖消費税の関係から、商品としての飲食物に、これを使用することを禁じた法律があるので、事が重大になった。このサッカリン問題をひき起したことは、藤三郎一代の事業上の最大の失策だった。 畠山一清氏は、サッカリン事件の真相を次のように記している。 「早造りでつくった醤油は、ヨーロッパへどんどん輸出されていった。だが、思いがけない事故が飛び込んできた。積荷をして、船がインド洋を通ると、突然、醤油ダルがバーン、バーンとみんな爆発してしまうではないか。これにはさすがの鈴木社長もおどろいた。よく調べると、3か月では、完全発酵しないことがわかった。つまり、部分醗酵のまま船に積み込むため、インド洋の熱気を受けると、急に完全発酵の状態に成って、爆発してしまうのである。たいへんな誤算だ。 ともかく、インド洋上での醗酵はとめなくてはならない。そこで考えついたのが、サッカリンを入れて醗酵を抑えることだった。これで醗酵の抑制に成功。ヤレ、ひと安心と思った途端、こんどは、サッカリンの使用をめぐって、とんでもない刑事事件が持ち上がってしまった。サッカリンは毒ではない。だが、これを毒にしてしまったのが、鈴木社長その人なのである。鈴木社長が製糖会社時代に、砂糖業界擁護のために、毒だということにして、サッカリン禁止法という法律をでっちあげてしまった。それがいま、みずからつくった法律にしばられることになったわけだ。会社は、警察官や税務署員の臨検などで、上を下への大さわぎ。何千石もの醤油が、夜を徹して川に廃棄された。ために尼崎の川の水が真っ赤になったほどである。 この事件があって、半年もたたないうち、1万数千坪もある尼崎の醤油工場は失火で全焼してしまった。そして、これが致命的な打撃となって会社はつぶれ、もはや、再起の望みも断たれてしまった。」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020年12月17日 04時18分32秒
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