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2021年05月16日
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カテゴリ:鈴木藤三郎
「銃眼のある工場」より 山田克郎(昭和17年10月1日)

吉川長三郎の死
 藤三郎には、醤油会社がつぶれたことよりも、もっと不幸なことが起こった。
 それは永年苦労を共にし、藤三郎も最もよい片腕として働いていた、吉川が死んだことが起こった。
 吉川は静岡県に藤三郎がつくった百町歩にもあまる、鈴木農場の監督に行っていて、脳出血で倒れたのであった。
 その電報が藤三郎の所へもたされた時、藤三郎は醤油会社のことで、客と重要な話をしている時であったが、「・・・・・・。」無言のまま、電報を握りしめて、顔がまっさおになってしまった。
「すぐに自動車のしたくをしてやれ!」と、家の者に言いつけると、客との挨拶も忘れて、家をとびだした。
 藤三郎は、いま吉川に死んでもらいたくなかった。こんな、会社のつぶれかかっている時に、会社のことを心配しながら死んでもらいたくなかった。もっと、会社の勢いのいい時に、安心して死んでもらいたかった。
「死ぬなよ。」「死んじゃいけないぞ!」と、藤三郎は汽車の中で叫びつづけ、汽車の走るのが、のろくてしかたがなかった。
 彼が、農場へ駆けつけると、吉川は、何本も注射をうったあとで、こんこんと死のような眠りをつづけていた。
「どうですか、容体は?」と、藤三郎は医者にたずねた。
「そうですね、もはや、手のつくしようがないと思われますね。」
「そうですか。」藤三郎の両眼から、涙がしたたり落ちた。彼は、それをこぶしでぬぐって、「長三郎。」と、ベッドに近づいて、低い声で呼んだ。
 すると、死から呼びさまませられたように、吉川は急に両眼をみひらいて「社長ですか?・・・・・・」と弱々しく笑ってみせた。
「いまね、夢を見ていたんです。良い夢でしたよ。明るい光が、靄(もや)のようにあたりいっぱいにけぶっているんです。花も咲いているようでしたね、ひどくすがすがしていい気持ちなんです。ああ、自分は極楽へきたんだな、と、ぼんやりたたずんであたりを見回していると、その靄のようにこめた明るい光の向こうから、長三郎、長三郎と呼ぶ声がするんです。その声がいかにも清らかで、鳥のさえずるような声なのです。
 あ、仏様が呼んでいらっしゃるのだ、と思って、ふっと目がさめると、社長、あなたでしたよ。」
「そうか、それアせっかく極楽へ行った夢を見ている所を、じゃまをしてすまなかった。―気分はどうだ、悪いか?」
「いや、とてもいいんですよ、社長、すみませんが、今日は一日ここにいてくれませんか。私の生命も、きっと今日かぎりだと思いますよ。」
「バカなことを言うものじゃない。おまえは私より年が若いんだから、死ぬのは私が先だよ。-それよりね、長三郎、今日は私のことを社長というのはよしておくれ。昔のように、おじさんと呼んでくれ。私も毎日毎日いそがしくて、お前とはいつでも顔を合わせていながら、ゆっくり話をしたこともなかった。今日は、ひさしぶりに、ゆっくり話をしようじゃないか。」
「そうですか、私はまた、おじさんがすぐに東京に帰られるのではないかと、心配でたまらなかったのです。今日、一日でもゆっくりしてくだされば、うれしいですね。」
 吉川は、たった一日の病気ですっかり顔がやせて、暗い影が頬におちていた。それは、そこに死がやどっているようにも思われるほどであった。
「おじさん。」
しばらく眼をつぶっていたのち、吉川が呼んだ。
「なんだ。」
「私は、死んでいく前に、おじさんにお願いがあるのですが。」
「なんだ。なんでも言ってくれ。」
「おじさんは、あまり人を怒りすぎますよ。もうすこし、会社の人に怒らないようにしてください。」
「そうか、それは、私も気づいてはいるんだが・・・・・」
「台湾にいた時は、みんなの気持ちがぴったり一緒になって、はりきっていたからいいのですが、東京ではだめですね。」
「ありがとう。今度から、よく気をつけよう。」
 藤三郎は、よく会社の者を𠮟った。しかし、それは吉川の言うとおり、台湾にいた時は、藤三郎は会社の人と一緒に寝起きして、共に銃をとって現地武装集団と戦い、お互いにこの工場を守っているのだという、はりきった気があったし、また工場の者も藤三郎の気質をよくのみこんでいるので、𠮟られても誰も怨む者はなかったが、東京へ帰ってきてからの、製塩会社や、醤油会社のように、大きな会社で、社長と社員の間がはっきり区別されている所では、あまり藤三郎が𠮟りつけると、社員は藤三郎から離れてしまうのだった。
 藤三郎は、一つの者を見ると、すぐにそれをどういうふうに取り扱えばいいかということが、ピンと頭にひびいてくるほど鋭い頭脳を持っているので、社員のやっていることを見ると、はがゆくてならないのであった。社員としては一生懸命にやっていることでも、藤三郎にはそのやり方に心がこもっていないように見えるので、はげしく怒ってしまう。叱られる者は、こんなに一生懸命にやっているのだから、そんなに怒らなくてもいいのに、と、うらめしく思う
 そうした時に、いつでもかげに回って、社員をなぐさめ、藤三郎への怨みをなくさせるのは、吉川であった。
 社員たちにとっては、藤三郎は雷親父で、吉川は優しい、母親であった。
 藤三郎も、自分のその欠点は知っていた。いま、吉川が病の床で、しみじみ自分を諌めてくれるのを、有難く聞いた。そして、こんなに良い人間が、死んでゆくのかと思うと、吉川をしっかりとつかんでいる死というものが、憎くてたまらなかった。
 吉川は、寝たまま、じっと、天井を見上げていたが、
「ねえ、おじさん。台湾にいた時は楽しかったですねえ。」
「そうだなあ、あの頃が、一番楽しかった。」
「私もそう思います。いろいろ苦しいこともありましたが、また、海岸ですもうをとったり、酔っぱらって、汽車の中で寝てしまったり、原住民たちが電灯にびっくりしてしまって・・・・・・。」
「そうだ、あの時は、おかしかったナア。」
 ふたりは、声をあわせて笑った。吉川はすぐには死ぬとは思われないほど、元気に見えた。
 初めて、森町の、あの富士山の見える山で、駿河湾を眺めながら、若い長三郎が藤三郎の仕事の、片腕となることを誓った時のこと、工場を東京へ移して、火事にあったこと、そして工場がどん底に落ちた時のこと、そんないろいろのことが、なつかしくふたりの頭によみがえった。
 考えると、二十年という長い年月を、あれからふたりは、仕事をいっしょにやってきたのだ。そして吉川は、藤三郎に誓ったとおり、良き片腕として働いて、いま、死んでゆくのだ。
「しかしね、おじさん、私は死んでゆくことを少しも、残念には思っていませんよ。初めて、おじさんの仕事を一緒にやろうという時、おじさんから戒められたことがありますね。砂糖事業は、誰がやってもこれまでうまくゆかない。それをやろうというのだから、固い石を握りこぶしでうちわってゆく気持ちでやらなければいけない。お国のために、死んだ気になってやらなければいけないのだと・・・・・・。」
「あの時、お前は、僕も男ですから、やると言ったら必ずやります。と言ったなあ。あの言葉を聞いて涙が出るほどうれしかった。私も、ひとりきりで困っていた時だからな。」
「あの時、お互いに誓ったように、とうとう日本に砂糖ができるようにしたのは、私たちですからね、それを考えると、私はいつでも、楽に死ねますよ。お国のために、自分でできるだけのことはしたのだ、と思いましてね。」
「そうだ、それが、私たちの最も大きい幸福だね。私たちはこの世に生れて、動物や虫のように、何もしないで死んでゆくのではなく、国家のためにつくし、また、世の中の人にも、自分でできるだけのことをして死んでゆくのだからね・・・・・・。」
 吉川は、自分で言ったとおり、その夜のうちに、急に悪くなって死んでしまった。
 藤三郎は、ひとり別室に座って、涙をながしていた。
バラ、アウトドアの画像のようです

💛Mさん、Tさん、ご配慮ありがとうございます。

Mさんが森町の全小学校・中学校に寄付してくださっていて、
Tさんが袋井市の全小学校・中学校に寄付してくださるのはありがたいことです。

T先生のお礼のメールに「多くの資料が一つにまとめられているので非常に貴重な本に仕上がったと感じております」とありました。
またO先生からも「この度は御労作『技師鳥居信平著述集』を御恵贈たまわり、有難うございます。学術的価値の高い資料集ですが何よりも郷里の出身人物の足跡をたどりながら歴史的視野を広げられ、それを基に市民への啓蒙活動を行われている点は大いに評価したいと存じます。」とお礼のはがきをいただきました。
この本は資料集という意味合いでは、I先生の「図書として永遠に存在する」(p.221)ものです。

現在、「技師青山士著述集」の準備作業に入っていますが、『技師鳥居信平著述集』の211ページに掲げたI先生の遠州報徳の流れの図にあります遠州出身の技術者三人「鳥居信平、青山士、鈴木藤三郎」について「資料で読む 〇〇著述集」として出版できれば、本プロジェクト事業は一応達成しましょうか?

そういう意味で遠州のそれぞれの地元だけでなく、遠州全体で三人を顕彰いただけることはありがたいことです。

本プロジェクト事業は鈴木藤三郎が「報徳の精神」で話した「既に受けている恩沢に報いるということをもって、生涯勤めなければならぬ。これがすなわち報徳である。」にかなうことになりましょうか。今後とも「郷里の出身人物の足跡をたどりながら歴史的視野を広げられ、それを基に市民への啓蒙活動を行われ」(O先生)るようにどうぞよろしくお願いいたします。





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最終更新日  2021年05月16日 03時43分32秒



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