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カテゴリ:鈴木藤三郎
親日国「台湾」の歴史 中村 清隆
の中で「報徳産業革命の人」が参考文献の一つにあげられている。 製糖王 鈴木藤三郎 明治の時代、砂糖は高級品で日本は海外の粗悪品まで全て輸入に頼っていた。 藤三郎は遠州森町(現静岡県森町)で菓子屋を営む鈴木家に4才の時養子入りした。 21 才の頃、報徳の教えを知り、その信奉者となった。 家業で報徳の「荒地の力を以て荒地を開く」を実践して、計画経営で5年後に売上げを 10 倍にのばす。 発明家で、160 もの特許を取っている。 1890 年(明治 23)日本で初めて純白の精製糖の製造に成功する。 1900 年(明治 33)国策会社である台湾精糖株式会社が設立し、精糖業に精通した藤三郎に白羽の矢が立ち社長に就任する。 台湾の精糖業殖産は、サトウキビの育つ気候と広大な土地とを有する台湾の主力産業になり得る事業と大いに期待されていた。 推進役を果たしたのは、井上馨蔵相 — 児玉源太郎総督 — 後藤新平民政長官 —新渡戸稲造殖産局長 — 三井物産 — 鈴木藤三郎社長のライン。 台湾の砂糖生産高は、1900 年3万 t、1905 年6万 t、1940 年 160 万 t、台湾の主力産業となった。現在も遺構を見ることができる。 鈴木社長は、農民に利益を与え、同時に会社も利益をあげてさとうきび農業を進歩させる「両得農業法」を考え出し、実践した。 実は、今市二宮神社に鈴木藤三郎から歴史に残る贈り物が残されている。 1905 年(明治 38)二宮尊徳翁没後 50 周年祭の時、尊徳翁の遺著1万巻が戊申戦争の際相馬に避難して残されていることを知り、翌 39 年1月から 41 年 11 月までの3年間、筆生 20 人を雇い総数9014 巻の原本を報徳全書 2500 冊に筆写させ、石蔵・鳥居とともに 1909 年(明治 42)報徳二宮神社に奉納した。 これにより、二宮尊徳が各地で行った仕法や日記・書簡類が散逸せずに現代に残されている。 現在、今市報徳二宮神社宝物館2階に保存されている。 さらに、昭和になって故佐々井信太郎先生により「二宮尊徳全集」(全 36 巻)として刊行された。日光市二宮尊徳記念館にその初版本が展示されている。 参考図書 「台湾人と日本精神」 蔡焜燦(さい・こんさん) 「武士道解題」 李登輝 「台湾を見ると世界が見える」 藤井厳喜+林建良 「報徳産業革命の人」報徳社徒鈴木藤三郎の一生 「台湾論」 小林よしのり 「台湾紀行」 司馬遼太郎 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022年01月07日 21時36分46秒
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