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2022年01月13日
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カテゴリ:鈴木藤三郎
森町のYさんから「NHKの大河ドラマ鎌倉殿……の1回のロケ地の一つが、裾野市の不二聖心学院だったそうです。」と情報提供をいただいた。
5人、立っている人、馬、アウトドアの画像のようです
初回の大河ドラマを見ていたのだが、そのときはちっとも気づかなかった。
改めて見直すと、確かにもとは鈴木農場だった裾野市の不二聖心学院ののっぱらだ。


不二聖心学院の土地は元は鈴木藤三郎がつくった鈴木農場である。
おそらくは日本国内では藤三郎由来の風景を一番とどめているところであろう。
私は都合3回訪問した。
不二聖心学院の学校の図書室には鈴木藤三郎関係の書籍がアーカイブとして保管されている。
思う、いつの日か、森町の観音像、台湾高雄の製糖工場と黒銅観音像、そして鈴木農場の面影をとどめる不二農園が世界遺産として登録されないものかと。

鈴木藤三郎氏は明治10年、21歳のとき、氷砂糖の製造法の研究を始め、明治16年製造法を発見、17年森町に工場を建設、21年工場を東京に移した。後に製糖事業を兼ね、大日本製糖会社に発展、更に台湾製糖会社を設立、製糖業の第一人者であった。
明治32年「鈴木農場」となったこの農場の主体は、茶園と果樹林で、山林の手入れ育成にも工夫をこらし(*)、乳牛を導入して酪農経営も行うなど、地方の営農に改善をもたらした。


* 「駿河土産上」で鈴木藤三郎が山林経営について意見を述べている箇所がある。「遠くを諮る者は富み、近くを諮る者は貧す」という尊徳先生の言葉を想起するような山林経営方法論であり、とても興味深い。
「鈴木氏まず『平生造林の事につきて常に考えつつあれど』と、極めて遠慮深く口を切りつゝ『造林事業をなさんには、伐採期となりて、全体を皆伐するは然るべからず。皆伐すれば、その跡はもとの赭山(あかやま)、されば伐木の跡には、必ず補植をなし、一区一区と漸次に伐るべきものと覚ゆ』(中川氏の手帳による)
◎『植継ぎさえなしおかば、永代にわたりて立派なる財産たるべし。この村の山林にも、伐採期となりて、悉皆伐り出し、それを金にして、各戸に分かつをやめ、その幾分を補植費に残しておかば万全の策ならん』と。鈴木氏の所見、皆同感なりしが如し。中川望氏も、西个谷氏に勧めて『今のうちに村人に説き勧め、鈴木氏の意見にあるごとき仕組とし、方法を変更してはいかん』と説く。西个谷氏うながいつ、さなりさなりという。」






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最終更新日  2022年01月13日 05時33分54秒



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