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カテゴリ:鈴木藤三郎
『鈴木藤三郎と岡田良一郎』落合功 鈴木藤三郎抜粋1
『鈴木藤三郎と岡田良一郎』落合功 鈴木藤三郎抜粋2 『鈴木藤三郎と岡田良一郎』落合功 鈴木藤三郎抜粋3 p.8 その後、6年ほどかけ氷砂糖の製法を発明する。この間、砂糖が結晶化する模様を調べるために、自身の実験室の中に閉じこもり一日も外出せずに三か月ほど試行錯誤を繰り返したという。食事も外から握り飯をもらうだけで、ようやく氷砂糖法を見出した。実験室を出ると、すぐに病気となり、髪の毛は抜け、半年間寝込んだという11)。 11) 鈴木藤三郎「予が発明上苦心の経験」(井上泰岳『我半生の奮闘』1909年) その後、鈴木藤三郎は東京の村山仁兵衛商店と氷砂糖の一手販売特許を結び森町に氷砂糖工場を設立した。この時、資金援助を岡田良一郎に期待したが断られ、結局、福川泉吾(森町村の実業家)の支援を得てようやく実現した。さらに明治21年10月、小名木川南葛飾郡砂村に工場建設に着手する。これが鈴木製糖所である。砂糖工場の完成と共に砂糖事業を開始する。また、砂糖精製機械を発明し、製糖機械が一般の需要に準ずるようにしたのである。ところが、明治27年3月、氷砂糖工場が火事になる。工場は全焼するが、3か月で再建する。明治28年11月には自家経営の精製糖及び氷糖事業の一切を提供し、資本金30万円で日本精製糖株式会社を設立する。 p.9 鈴木藤三郎が明治前期の段階で国内の精製糖生産を可能とし、精製糖会社を起業したことは、砂糖の輸入防遏(ぼうあつ)を考えるうえで産業史的意味は大きいといえるだろう。 「精製糖工業発祥の地」(大日本明治製糖創業の地) 「砂糖は八世紀に伝来し、十七世紀後半までは薬として珍重されてきたといわれています。江戸時代には、八代将軍徳川吉宗が国産化を奨励、明治に入ると、日本の各地で精製糖(白砂糖)の製造が試されるようになります。しかし、いずれもうまくいかず、明治二十三(一八九〇)年、この地に建てられていた鈴木藤三郎の製糖所でようやく成功し、砂村において日本ではじめて純白の砂糖が誕生しました。鈴木藤三郎は、安政二(一八五五)年遠江国(静岡県)に生れ、明治十七(一八八四)年より氷砂糖を製造していました。同二十二年、上京し、砂村に工場を移し、同二十五年から本格的に精製糖の製造を開始しました。藤三郎が工場の移転地としてこの地を選んだ理由は、原料や製品の運搬に小名木川の水運がとても便利だったからです。また砂村は、砂糖の国産化の奨励地として、徳川吉宗が甘蔗(さとうきび)の苗を栽培させた、極めて砂糖とゆかりの深い土地であったためでもありました」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022年02月06日 18時43分34秒
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