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カテゴリ:レイキ
本日二度目。
レイキにおけるアチューンメントが何故「伝授」と呼ばれるのか個人的には???なのだ。 自分の感覚だと「伝授」って人から人へ伝えられてる。。人主体に思えるんだな。だから「この人から伝授を受けて大丈夫なんだろうか」なんて考えが出てくるのだと思うし、言葉から考えればその発想は的確だと思う。 「伝授」してるほうも何かをしているって感じだし。。。 ま、自分が言葉に拘っているからでしか無いのだけど。。無意識レベルでの「言葉の力」ってのもあるしねぇ。 実際アチューンメント「attunement」って言葉の元は「attune」、つまり「調和させる、調子を合わせる、(波長を)合わせる」という意味で、アチューンメントの時に起こっている(と思われる)現象をある程度正確に言葉で表現していると思う。 だってなんらかのエネルギー/波動に波長を合わせる事でそれを受け取れるようにしてる訳で、例えばレイキならそのエネルギーの本質を完全に把握する事が出来ない以上(把握したと思った時点でレイキそのものを制限していると感じるのだが)、アチューンメントという行為に「人」の意識的/認識的介入の余地など殆ど無いはず。 つまり本当にアチューンメントがしっかり出来ているならば、誰がやっても結果は同じであるはず。 でもそうならないのは何故なのだろう。(少なくとも自分の経験からだと人によって流れてくるエネルギーが全く違うのだ。) 個人的には「アチューンメント」=「調律」だと思う。 そしてティーチャー/マスターは調律師では無いってのをしっかり認識しておくのも重要だ。。と。 アチューンメントをする側ってのは、ただ調律師(宇宙)を紹介してるだけだしねぇ。 その紹介の過程をなんか小難しくし過ぎてるのはやはり人間のエゴかな。。。とも思いますわ。それが「伝授制」のティーチャーによって色々な差が出てくる原因じゃないかなぁ。。。ともね。 ま、ただの思いつきなんで深い考えは無いんですが(笑)。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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