カテゴリ:歴史あれこれ
笹子峠から仰ぐ鳥海山落陽 笹子(じねご)は笹の実か 「笹子(じねご)」という難読地名がある。 秋田県由利本荘市鳥海町上笹子 秋田県由利本荘市鳥海町下笹子 「笹子」がなぜ「じねご」なのかというと、コトバンクがヒントを与えてくれた。 同サイトの「笹の実」検索結果。 『・ササの実。じねんご。凶作の年には食料とした。(大辞林 第三版) ・ 竹の実。自然粳(じねんご)。2 酒の粕(かす)をいう女房詞。(デジタル大辞泉)』 「じねんご」が訛って「じねご」。そして笹の実だから「笹子」で、「笹子(じねご)」の由来が理解できる。 由来が様々の「次年子(じねんご)」 「次年子(じねんご)」という地がある。 山形県北村山郡大石田町次年子 大石田町立次年子小学校のHPにその由来が載っている。(概略を記載) 『1.冬は雪深く、冬季に出生した子供は翌春に出生届を出したので、次年子となった。 2・開村が大同二年(807)で、この二年から二年子といい、二が次に改められた。 3・じねんごは竹の実のことで、山地の次年子は数十年ごとに竹の実がなることが知られていた。』 など、由来は様々であるが、「じねんご」の語が先にあって、それに「次年子」を当てたとするほうが自然な気がする。 大石田町次年子はそばの産地として知られている。 じねんご地名は他にもある。 福島県伊達市霊山町石田自根子(じねご) 愛知県愛知郡東郷町和合ジ子ンゴ(じねんご) 愛知県みよし市福谷町上地念古(ぢねんご) 俳句の季語になった「笹子(ささこ)」 「笹子(ささこ・ささご)」という地名もある。 愛知県蒲郡市大塚町笹子 青森県八戸市南郷大字市野沢笹子 福島県伊達郡川俣町山木屋ササコ平山 この「笹子」も笹の実を地名の由来としているのだろうと考えたが、目からウロコの地名由来は次のように記している。 『笹子 ・山梨県大月市の笹子は、甲州街道の難所笹子峠の麓、笹子川に沿った狭い谷の集落が続く。その名の通り「さ・さ・こ」で、小さい狭い谷を意味する地名だ。「さこ」や「せこ」の仲間の地名で、細(ささめ)や佐々木(ささき)も同類だ。 ・秋田県由利本庄市上笹子(じねご)は「しね・こ」からきており、よじれたようなに鄙(ひな)びた土地の意味だ。 ・島根県松江市笹子は、島根半島にある海岸のささやかな緩斜面にある集落だ。』 しかし、この説では2番目の「じねご」はいいとしても、「じねんご」のように「ん」が入る他の地名は説明できていないように思える。 他の「笹子」地名が、すべてここに掲げた由来に属するかは調査していない。 コトバンクで「笹子(ささこ)」を調べると、 『《「ささご」とも》まだ整わない鳴き方をしている冬のウグイス。冬うぐいす。(出典:デジタル大辞泉)』などとあり、なんと俳句の季語となっている。 飢饉を救った笹の実 笹の実は、かつて飢饉の際の救荒食として利用されていた歴史がある。 胆江地区(岩手県奥州市)の飢饉の歴史によると、 『第1期・初期段階 豊作の年の備蓄などで食いのばしができる状況 第2期・中期段階 草の根、笹の実などの自然の食物を主に食べる状況 第3期・末期段階 食べられるものなら何でも食べる状況』などとあり、笹の実は飢饉の糧になっている。 笹子にまつわる悲劇 また、戦時中、笹の実を食べたことによる集団流産事件が発生した。 昭和18年、岩手県の山間部で笹の実が特異に結実し、大豊作となった。 食糧不足時代でもあり、さっそく学徒動員で大量に収穫され、食糧営団手でパンに加工して各戸に配給となった。 はからずも、これを食べた妊婦の多くが翌日から流産、早産の中毒症にかかるという事件に発展した。 原因は、笹の実に有毒な「麦角(ばっかく)菌」が寄生したためだったが、国策から極秘事項として真相は公表されなかったという。 (参考HP・戦時下の盛岡中学) 女工哀史で知られる 1979年の映画「あゝ野麦峠」の野麦は笹の実であるという。 Wikipedia「クマザサ」によると、『旧飛騨国(現岐阜県北部)では隈笹の実が野麦(のむぎ)と呼ばれ、野麦峠という地名もある。凶作の年にはその実を食べて飢えをしのいだという。』とある。 近年では、2012年12月2日に中央自動車道上り線の笹子トンネル天井板落下事故はまだ記憶に生々しい。 「笹の実(じねんご)」には悲しい歴史が秘められている。 過去に当サイト「山並みが赤く染まる浅春風景」でも「笹子」に触れている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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