目的地を山と川として盛岡市を車で通り抜けたことは数えきれないほどあるが、降りたって歩いたのは4回だけである。2回は岩手県立美術館に展覧会を見に、もう2回は岩手大学での仕事だった。どれも観光というわけではないが、盛岡城址公園、大通り、高松公園には行ったことがある。
今日は、午後1時半から岩手県庁前の内丸緑地公園を始点として行なわれる脱原発デモに参加するのだが、早めの新幹線に乗って、デモ前に市内を歩いてみるのである。
Photo A JR盛岡駅。(2015/10/24 10:43)
Photo B 開運橋から北上川上流を見る。(2015/10/24 10:46)
盛岡駅から歩き出す。駅の前にバスプールがあり、そこから地下を潜って各方面に行く道に出ることができる。
地図を眺めて、市街中心部の北部、寺がたくさんあるあたりから中津川を渡り、対岸の街を歩いてから内丸緑地公園に向かう予定なのだが、寺町までの経路は未定だった。地図を眺めただけで下調べもしていないので、さしあたって大通りや中央通りという中心部を目指すことにして、地下から「開運橋、大通り方面」の案内にしたがって階段を登った。
北上川に架かる開運橋は東詰の歩道橋とともに工事中で、わずかに確保された狭い歩道部分を渡った。宮城県の人間にとって北上川は大河なのだが、さすがにここまで上流になると優しいせせらぎの川という感じである。
Photo C1 本通り西口。(2015/10/24 10:49)
Photo C2 本通り。(2015/10/24 10:53)
Photo D1(左) 本通り路地裏1。(2015/10/24 10:55)
Photo D2(右) 本通り路地裏2。(2015/10/24 10:56)
開運橋から200mほどでアーケードのある大通りの商店街の西の入口が見え出す。11時近いというのに商店への荷下ろしの車がけっこう多い。 前に大通りを歩いたとき、蕎麦とジャージャー麺が昼食だった。しかし、その店がどこかはまったく覚えていない。そんなことを考えていたら、大通りがわずかに右に折れる角に「盛岡せんべい」の店があった。妻と岩手県立美術館に「松本俊介展」を見に来たとき、ここでおみやげを買ったことを思い出した。
午後の脱原発デモコースに大通りの東半分が入っているので、重ならないように、「盛岡せんべい」を過ぎてから右手の路地に入った。飲み屋や食堂が並ぶ路地である。なかには、何の店か見当のつかない店もある。夜に賑やかになる路地なので人通りはあまりない。
Photo E1 中央通り、日影門緑地付近。(2015/10/24 10:59)
Photo E2 中央通り、県庁方向。(2015/10/24 11:02)
大通りからの路地を右、左と曲ると中央通りである。交差点の向こうに日影門緑地が見える。銀杏や欅などの大木が5、6本だけのあまり広くない緑地だが、石灯籠や大きな石塔がある。案内看板によれば、盛岡城の日影御門の外に位置するこの辺は日影門小路と呼ばれ、藩校が置かれていたという。
Photo F1 紅葉する屋敷林のある民家。(2015/10/24 11:06)
Photo F2 赤山稲荷神社。(2015/10/24 11:10)
中央通りを県庁方向に100mほど歩いて左の道に入った。ビルの間のあまり楽しくない道だが、左手の駐車場の奥に紅葉する屋敷林に囲まれた木造2階建ての日本家屋があって、その雰囲気の良さに見とれてしまった。二回の東面は全面ガラス戸で、廊下を挟んで障子が並んでいるに違いない。障子とガラス戸に挟まれた廊下に差し込む朝日、そんな懐かしいイメージが浮かぶ。
幾本かの道を横切ってまっすぐ歩くと、小さなお社が現われた。中に入ってみると「赤山稲荷社」という奉額が掛けられている。残念ながら由緒書きのようなものは見つからなかった。
Photo G1 寺町通り、東顕寺前から本誓寺方向。(2015/10/24 11:18)
Photo G2 本誓寺内。(2015/10/24 11:21)
Photo G3 龍谷寺前の大欅。(2015/10/24 11:22)
赤山稲荷神社を過ぎて、右の細道を抜けると、寺町通りに出る。この近辺には塩の道と呼ばれた旧「野田街道」があったが、この寺町通りは新しい野田街道に含まれると看板にあった。
道沿いに寺が並ぶ文字通りの寺町で、紅葉を始めた木々の向こうに寺院の大屋根が並んでいる。金色に輝く銀杏がひときわ目立つ寺に中に入ってみた。本誓寺である。本堂の横手にマイクロバスが止まっていて、葬儀か法要を終えたらしい喪服の一団がバスに向かって歩いている。
本誓寺の先の龍谷寺の塀の前に赤く色づいた欅の大木があって、目を惹いている。大欅の近くに「北山」というバス停があった。寺町のあるこの一帯を北山と呼ぶらしい。仙台の北山も寺町である。北山丘陵には北山五山と呼ばれる寺があり、山麓に多くの寺が散在する。何か「北」に仏教的な意味があるのかもしれない。
Photo H1 報恩寺手前の民家。(2015/10/24 11:27)
Photo H2 報恩寺山門。(2015/10/24 11:28)
本誓寺を過ぎた十字路の角に八角堂風の二階のある北山交番がある。黒木の柱と白壁はどことなく明治期の和風建築をイメージさせる。一階の庇のすぐ下の白壁に「やすらぎ寺まち交番」と書かれた素敵な扁額を掲げている。
交番の手前を右に曲ると、一階が板壁、二階が白壁の民家が見えてくる。窓が少なく住居とも見えないが、かといって蔵でもなさそうだ。作業場のようなものだろうか。
その民家の先に報恩寺の参道がある。タクシーがやってきて一人の婦人が降りて参道に入っていった。その参道からは二人連れの若い女性が山門を潜って降りてくる。山門は二階建ての立派なもので、両脇に阿吽像が据えられていた。
この寺には享保年間に造られた五百羅漢を収めた羅漢堂があると案内が出ていてだいぶ惹かれたが、ローカットの登山靴を脱いだり穿いたりする手間を惜しんで割愛した。
Photo I1(左) 「鬼の手形」案内板に惹かれて1。(2015/10/24 11:34)
Photo I2(右) 「鬼の手形」案内板に惹かれて2。(2015/10/24 11:36)
Photo I3 下小路中学校グランドの蔦紅葉。(2015/10/24 11:37)
報恩寺を出て左に道をとると、「鬼の手形」という案内板があってそれを目当てに歩くことにした。住宅地の道を3度ほど曲ると、私の前を野球のユニフォーム姿の少年が何かを食べながら歩いて行く。スパイクの爪が鳴らす音を追うように進むとグランド脇に出る。下小路中学校のグランドでは野球部が練習をしていた。さっきの少年はさぼって買い食いをしていたのかもしれない。 校庭を囲むフェンスに絡みつく蔦紅葉に目を奪われて何枚か写真を撮ったのだが、フェンスの向こうで何人かの野球部員が訝かしげにこちらを見ている。「人相風体卑しからざる」というわけにはいかないので、早々に立ち去る。「鬼の手形」はもうすぐだろう。
街歩きMap。
A~
Rは写真撮影ポイント。地図のベースは、「プロアトラスSV7」。
【続く】
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かわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)