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山行・水行・書筺 (小野寺秀也)

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小野寺秀也

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2015.10.24
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テーマ:街歩き(613)
カテゴリ:街歩き

【続き】


 下小路中学校の校庭に沿って道を左に曲る鳥居が見えてくる。私の地図の表記は「三ツ石神社」なのだが、鳥居脇の石柱の表記は「三ッ石神社」とあるのでそれに従うことにする。

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Photo J1(上)三ッ石神社。(2015/10/24 11:40)
Photo J2(下)「鬼の手形」のある三ッ石。(2015/10/24 11:42)

 神社の境内には三人の家族連れが居て、彼らを写真フレームに収めると石の大きさがよくわかってありがたい。
 昔、この地で悪行を働く羅刹という鬼を三ッ石の神様が捕まえてこの石に縛り付けたところ、鬼は二度とこの地にはやってこないという約束をしてその証文としてこの岩に手形を残したのだという。これが「岩手」や「不来方」の地名の由来だというのである。
 特別な理由があるわけではないが、私は「不来方(こずかた)」という地名がとても好きである。この地名は、子どもの頃、石川啄木の「不来方のお城の草に寝ころびて/空に吸はれし/十五の心」という短歌で初めて目にしたのだったが、少年期の感傷へ共鳴した周波数で今も振動し続けているような気がする。

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Photo K 大泉寺の小菊。(2015/10/24 11:50)

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Photo L 本町通り1丁目、中津川近くの商店。(2015/10/24 11:55)

 三ッ石神社を出て中津川に向かおうと思っていのだが、見当をつけていた道が見つからず、寺町通りに戻る羽目になった。いったん寺町通りに出て、すぐに大泉寺の墓地か山門を抜けて、中津川へ向かう道に出た。
 道の左手に、箒やバケツなどの日常品を売っている商店がある。古い木造の商家で、近づくと果物なども店先に並べられている。まるで小さなスーパーマーケットである。
 もともと、地域に根ざす商店というのは、この店のように地域の人びとが必要とするものを商うものだったに違いない。それが今では「ニーズを開拓する」などと称して、資本が売りたいものを売るようになってしまった。消費傾向も好みも資本が作り出すのである。
 「個性的なあなたに」などというCMに乗せられて、みんなで同じものを非個性的に消費するのである。こういう状況をスティグレールは「象徴の貧困」と呼び、精神性の貧しさを批判的に哲学するのである。

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Photo M 欄干擬宝珠のある上の橋から上の橋町方向。(2015/10/24 12:00)

 どうにか中津川に架かる橋に辿りついた。「上の橋」である。木製の欄干に擬宝珠が被せられている。京都の三条大橋に倣ったものだと、橋の西詰の碑文に書いてあった。

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Photo N1 上の橋町の蔵造りの建物。(2015/10/24 12:01)

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Photo N2 骨董品店のショーウィンドー。(2015/10/24 12:02)

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Photo N3 「菊の司」造り酒屋。(2015/10/24 12:03)

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Photo N4 紺屋町番屋。(2015/10/24 12:05)

 上の橋を渡った先は「上の橋町」で、伝統的な和風建築の店や蔵造りの家が所々に現われる。最初の交差点を右に曲って紺屋町の通りを歩く。
 ここにも古風な風情のある建物が並ぶ。和風建築の店ながら大きなガラス窓があって、骨董品らしい置物や装飾品が並べられている。その隣は造り酒屋の白壁である。
 その先の十字路の角には「盛岡市消防団第五分団」とシャッターに大書された明治期の木造洋風建築がある。もともと消防の番屋として建てられたもので「紺屋町番屋」と呼ばれている(これはネット情報
)。

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Photo N5 シックな日本家屋。(2015/10/24 12:06)

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Photo N6 盛岡信用金庫。(2015/10/24 12:09)

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Photo N7 岩手銀行中の橋支店。(2015/10/24 12:11)

 紺谷町番屋の十字路を過ぎると、道はわずかに左に折れている。その角に日本家屋がくの字型に並んでいる。道はその先でふたたびわずかに右に折れて、元の道に平行に戻る。
 左手に石造りの重厚な建物が現われる。「盛岡信用金庫」の看板が掲げられている。さらにその先の交差点の角には煉瓦造りの「岩手銀行中の橋支点」がある。東京駅に似ていなくもないなどと思っていたら、東京駅と同じ設計者によるものだという。

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Photo O 中の橋から中津川下流を見る。(2015/10/24 12:12)

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Photo P1 盛岡城跡公園入口。(2015/10/24 12:16)

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Photo P2 盛岡城内堀跡。(2015/10/24 12:17)

 中の橋を渡れば、もう盛岡城跡公園である。広い公園を歩きまわる時間はないので案内看板を横目にまっすぐに歩く。道の左右に盛岡城の内堀跡と思われる水辺が現われ、右手には柳の大木が緑陰を作っていて、左手にはモミジなどの広葉樹が枝を垂らしていた。

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Photo Q1(左) 櫻山神社。(2015/10/24 12:18)
Photo Q2(右) 烏帽子岩。(2015/10/24 12:19)

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Photo R 大通り東口。(2015/10/24 12:21)

 左手に盛岡城跡の一部を占めるように櫻山神社がある。この神社は江戸時代中期に初代盛岡藩主南部信直を祀って建立されたものだという。神社横には「烏帽子岩」なる大岩が鎮座している。盛岡城築城時にこの一帯を掘り下げたときに現われたものだという。
 カップルが烏帽子岩への階段を登っているのを見上げただけで道に戻り、大通りの東の入口まで行って、街歩きを終了とした。この辺で昼食をとってから内丸緑地公園のデモに向かうのである。

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街歩きMap。ARは写真撮影ポイント。地図のベースは、「プロアトラスSV7」。


        

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Last updated  2015.10.29 11:48:30
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