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山行・水行・書筺 (小野寺秀也)

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小野寺秀也

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2017.05.21
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テーマ:街歩き(613)
カテゴリ:街歩き

 「蟹子沢遡行」などと言ってはみたが、沢登りでも沢歩きでもない。ふつうの朝の散歩である。地図を調べ、印刷し、小さなザックに飲み水と一眼レフと交換レンズを入れて出かけるので、いつもの手ぶらの散歩とはいくぶん雰囲気が異なるが、それでもただの散歩だ。
 広瀬川が仙台市の旧市街に入って牛越橋、澱橋まで下ってくると左岸から沢が合流する。蟹子沢(かにこざわ)という。100年ほど前の地図には渓谷らしい描き方で記載されているが、現在の地図にはない。つまり、全流域が暗渠となってしまったのだ。
 三年ほど前、蟹子沢跡にできたらしい歩行者専用道路をたまたま地図で見つけて、まだ元気に歩いていたイオを連れて長めの散歩に出かけたことがある。その時に歩いた道は沢跡の一部だけだったので、今日は広瀬川の合流点を起点として上流へと沢跡を辿って行くつもりだ。どこまで辿れるのかは、分からないままの出発である。


Photo A1 蟹子沢の合流点(広瀬川の対岸から)。(2017/5/21 5:37)

Photo A2 澱橋南詰から見た合流点付近。(2017/5/21 6:03)

Photo A3 水門の先に合流点がある。(2017/5/21 6:07)


 暗渠となった蟹子沢は、澱橋の200メートルほど下流の左岸に暗渠からの流れ出し口をのぞかせている。まずは、対岸の河川敷公園から合流点を眺める。ここから見ると、蟹子沢が作った渓谷の左岸(写真では右手)に宮城県知事公舎が、右岸には尚絅学院が建っている。尚絅学院は、広瀬川が作った南面の崖と蟹子沢による北面の崖に挟まれた岬のような地形の上にある。
 河川敷公園から川内澱橋通の住宅地を通って澱橋通りに出る。ややこしいが、澱橋を通る道は「澱橋通り」で、澱橋下流右岸の住宅地は「川内澱橋通」という住所である。
 澱橋の南詰に出てから橋を渡る。橋を渡り終えたところに階段があって、そこから川沿いの道に降り、下流方向へ歩いて行くと大きな桜の木の下に蟹子沢の水門が見えてくる。


Photo B1 広瀬町の中の蟹子沢跡の道。(2017/5/21 6:08)

Photo B2 蟹子沢の谷は築堤道路に突き当たる。(2017/5/21 6:09)

Photo B3(左) 谷から上がる小径。(2017/5/21 6:10)
Photo B4(右) 坂の途中で道は分かれる。(2017/5/21 6:11)


 澱橋の下を通ってくる道は急坂となって知事公舎をぐるりと廻って北上する新坂通りとなる。その急坂は、蟹子沢の流れが削ってできた崖を上る道である。蟹子沢の跡道は水門のところでその道と別れ、知事公舎と尚絅学院の間にできた谷あいの住宅地のなかを通っている。
 この住宅地は広瀬町の一部だが、蟹子沢によって削られた谷のなかにあるので、道の左右の住宅地の奥はどちらも急な傾斜地になっている。
 道は緩やかに左に曲がって、その先は谷を埋め立てて造った澱橋通りの築堤道路に突き当たる。道の終端から築堤の斜面を上がる階段道がある。斜面の途中から草付きの小径が分かれている。階段道の方を辿ると途中に人家跡があって、柵で囲まれた花壇になっていた。
 この跡にあった人家はつい最近まで見かけていた(この小径が好きでよく散歩で通っていた)のだが、急斜面で建築規制が厳しくなり建て替えができなくなったのではなかろうか、などと想像していた(家々の諸事情は知る由もないが)。

Photo C1 下流側から見る谷あいの住宅。(2017/5/21 6:12)

Photo C2 上流側から見る谷あいの住宅。(2017/5/21 6:15)


 急坂の小径を上がると澱橋通りの車道に飛び出す。澱橋通りはこの築堤部分の道幅が狭く交通のネックになっている。築堤した両脇の谷あいにはすでに民家やマンションが建っていて、道の拡幅も容易ではなさそうだ。
 築堤道路で分断された蟹子沢の谷の先はもう少し残されているが、上流部も完全に埋め立てられていて、今では谷というよりも大きな窪地である。そこには民家、アパートばかりではなく大きなマンションも建てられている。


Photo D1(左) 国道48号線から入る道。(2017/5/21 6:18)
Photo D2(右) 八幡小学校のグランド前を通って。(2017/5/21 6:19)

Photo D3(左) 右、左と道は折れて。(2017/5/21 6:21)
Photo D4(右) 突き当りは階段と石切橋。(2017/5/21 6:23)


 澱橋通りから左に折れ、谷の上部を埋め立てた道を国道48号線(作並街道)に出る。この辺りは、蟹子沢を遡行せずにジグザグに交差しながら歩くことになるのだが、古い地図の蟹子沢にほぼ重なる道が国道48号の北側にある。その道は、たしかに谷の延長線上にあるのだ。
 国道48号を右に折れて、その道に入る。住宅地の道だが、すぐに緩やかに左に曲がっている。直角よりも広い角度で曲がっていくあたりに、川なりに作った道の自然感が残されている。
 右手の住宅の間から八幡小学校のグランドが見える。まっすぐな道と思っていたが、途中で微妙に道幅が変化している。ほんのわずかに道が狭くなった感じがした後で、道は直角に折れる。この部分は古地図では緩やかにカーブしているので、蟹子沢から部分的に外れているかもしれない。川が直角に曲がることは、ありえないわけではないが可能性は低い。
 直角に折れた後、いかにも沢跡らしく、左、右と道はうねり、突き当りに10段ほどのコンクリート階段が見えてくる。階段を上がれば、石切橋である。


Photo E1 石切橋。(2017/5/21 6:24)

Photo E2(左) 「いしきりはし」。(2017/5/21 6:24)
Photo E3(右) 石切町と覚性院丁の石標。(2017/5/21 6:25)


石切橋は、蟹子沢に架かっていた橋である。沢は埋め立てられ、橋だけが残ったのである。石切橋の上流部は、住宅地の庭の中である。
 石切町は、文字通り、藩政時代に石切り職人が住んでいた町ということだが、今でも橋のすぐそばに石材店がある。その石材店の敷地の下に蟹子沢跡が通っているらしい。


Photo F1(左) 春日神社参道。(2017/5/21 6:26)
Photo F2(右) 蟹子沢の上を通る四谷用水(昭和15年頃)。(2017/5/21 6:27)

Photo F3 蟹子沢と四谷用水はここで交差する。(2017/5/21 6:28)


 石切橋から覚性院丁通りを東に歩いて、左手の春日神社参道に入る。その参道に「昭和15年頃の春日神社周辺の様子」という大きな看板が掲げられ、「覚性院丁町内四季の図」という題の絵が表示されている。この絵は、今野喜一さんという方が、昭和15年ごろの記憶をたどって平成7年に描いたものだと記されていた。
 絵のなかには蟹子沢がしっかりと描かれており、春日神社の脇で蟹子沢の上を四谷用水が渡っている様子が描かれている。昭和15年当時には用水橋はコンクリート製になっているように見える。四谷用水は、広瀬川の上流部から水を引く藩政時代の重要な水源だった。
 春日神社の参道は四谷用水と交差する(四谷用水は春日神社のすぐ前を通っている)。この辺りでは四谷用水跡も歩道になっていて歩くことができる。その歩道を左(西)へ少し行くと、参道の絵にあった蟹子沢に架かる用水橋跡に出る。
 Photo F3の左手の柵の向こうには地面から円筒が立ち上がって、その上はマンホールになっている。暗渠になった蟹子沢のマンホールである。写真の右上から斜めの細道が四谷用水跡である。


Photo G1(左) 春日神社脇からの蟹子沢跡の歩行者専用道。(2017/5/21 6:29)
Photo G2(右) 八幡二丁目内の道(1)。(2017/5/21 6:30)

Photo G3(左) 八幡二丁目内の道(2)。(2017/5/21 6:30)
Photo G4(右) 八幡二丁目内の道(3)。(2017/5/21 6:32)


 四谷用水が交差する春日神社脇から、蟹子沢跡の歩行者専用道路は始まる。歩行者専用といっても車は通る。その道を生活道路としている住民は、車の往来ができるようになっている。車止めフェンスは取り外しができるのである。
 道幅は、車が一台通れる幅よりやや広くて、10メートルおきぐらいに左右に小さな植木花壇が配されている。道はずっと緩やかな坂となって続いている。時おり車道を横切るが、そこにはかならず取り外し可能な車止めフェンスが設置されていた。


Photo H1(左) 子平町と国見二丁目の境道(1)。(2017/5/21 6:33)
Photo H2(右) 子平町と国見二丁目の境道(2)。(2017/5/21 6:34)

Photo H3(上) 子平町と国見二丁目の境道(2)。(2017/5/21 6:35)
Photo H4(下) バス通りが見えてきた。(2017/5/21 6:36)


 沢跡の歩行者専用道はけっこう長く続くが、左右が個人住宅という景色にはほとんど変化がない。道と同じ高さに建てられている民家も多いが、土留め擁壁の上に民家が建てられている区間もあって、ここを沢が流れていた雰囲気が残っている。
 その擁壁の高さが、上流に行くにつれて次第に低くなっていくのも、沢形成の自然を反映していて、そんなことに納得しながら歩いて行くのである。
 道の傾斜が少しきつくなった先にバス通りが見えてきた。仙台駅から八幡町を通って国道48号線から大崎八幡宮の西の坂を上がり、東北福祉大学方面へ向かうバスが通っている。


Photo I1 突き当りは国見小学校。(2017/5/21 6:38)


 バス通りを越えて蟹子沢跡の道は続いているが、すぐに国見小学校に突き当たって右に直角に折れる。私の古地図でも蟹子沢はこの辺で消えていて、この先の上流についての詳細は分からない。
 一応、直角に曲がるのは不自然だと考えて、国見小学校の向こう、沢の延長線のあたりを探して見ようと、国見小学校から右の道を半子町通りまで出て、国見台病院過ぎの交差点から国見小の西に行ってみた。
 何本か、高みに上る道があったが、どれも斜面の中腹を上る道で、谷底に相当する道ではなかった。たとえ、かつてはこの辺りまではっきりした沢筋があったとしても、そこは住宅地で埋まっていてアプローチできそうにない、そう判断して蟹子沢遡行を終えることにした。


散歩コースと撮影場所(地図のベースは、「プロアトラスSV7」)。




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かわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)

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Last updated  2017.05.24 12:22:35
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