先々週の金デモは、荒天予報のため集会だけでデモは取りやめになった。先週は、個人的なことで金デモを休んだ。
先週の金曜日は、東京で会議があったのだ。午後からの会議で、午前中は東京都美術館で開かれている『プーシキン美術館展』に行った。絵を見て回るだけで疲れるはずなんてないのだが、会議が始まる前に何人かと挨拶をしたとき、声がうまく出なくなっていた。
50代後半からストレスで声が出なくなるということが起きるようになった。精神的なストレスによるものだと思っていたが、肉体的なストレスの方が主要な原因らしいというのを最近知った。パソコンに1時間ほど集中してもそんな症状が出るし、会議などで2時間ほど拘束されても声がかすれるのである。
会議が始まる前に声がかすれていたが、その日は会議が休息になったらしく会議が終わった頃にはすっかり正常になっていた。予想より早く終わったので、急いで新幹線に乗り、いったん自宅に帰り、衣服を会議バージョンからデモバージョンに替えて玄関を出ようとしたところで足が止まった。
疲労感がじわっと全身に湧き出してくる感じがした。なんとなく不安になったので、金デモは休むことにしたのだった。東京への出張帰りに時間が間に合えば金デモに参加していたのだが、いよいよそんなこともできなくなったのかと、いくぶん憂鬱になった。
それからの一週間は、いくつかの会議と書類づくりで過ごした。パソコンに向かって声がかすれるという症状も、パソコンに向かう頻度が多くなると体が慣れてくるらしく、それほどでもなくなった。パソコンに向かうばかりの仕事から退職してパソコン向き仕様の身体から解放されたのだが、たまにパソコンに向かうとそれがストレスになるというのは、開放が過ぎただけということらしい。要するに、すっかりだらけてしまったのである。
そういう結論にがっかりしながらも、今日は元気に肴町公園に向かったのである。
肴町公園から一番町へ。(2018/6/1 18:39~19:07)
すっかり日が長くなって、集会はかなり明るいうちに始まるようになった。集会が終わることに、ようやく昏さを感じるようになる。デモが一番町に向こう細道で昏さが急に増し始め、昼と夜の境界を過ぎていくような雰囲気になる。
一番町に入れば、店々のイルミネーションや街灯がまだ暮れ残る夕暮れの光を一挙に闇の方に押しやってしまう。一番町では、夕暮れの実感がいっぺんに消えてしまうのだ。
肴町公園からデモが出発するはずの先々週のデモが体リやめになったので、しばらくぶりの一番町北上コースになった。一番町を南下するいつものデモに比べて、通行人の注目度が増しているような気がする。何度かデモを見かけた人も逆コースなのでびっくりしているのかもしれない。
それに、デモ人の方にも、しばらくぶりのコースでいくぶんかリフレッシュ感が生まれてコールの声の張りが微妙に違っているのかもしれない。
一番町で。(2018/6/1 19:09~19:17)
福島県大熊町生まれの佐藤禎祐という歌人がいる。2011年の東電1F事故で大熊町からいわき市に避難して、その地で83歳の生涯を閉じた。彼の歌集『青白き光』[1] に次のような三首が収められている。
原発依存の町に手力すでになし原子炉増設たはやすく決めむ
原発に縋りて無為の二十年ぢり貧の町増設もとむ
サッカーのトレセン建設を撒餌とし原発二基の増設図る
原発建設を認め、原発をめぐる交付金や税金、原発関連企業の雇用に依存してしまった自治体が、抜き差しならないほどの原発依存性からさらなる原発の増設を自ら求めるようになってしまったことを痛切な思いで詠んでいる。
佐藤禎祐の歌を思い出したのは、5月26日付け朝日新聞デジタルのつぎのようなニュースを読んで、奇妙な感じがしたためだ。
四国電力は伊方原発敷地内に使用済み核燃料を保管する「乾式貯蔵施設」を新設するとして、愛媛県知事や伊方町長に説明した。その際、知事も町長も乾式キャスクでの保管が原子炉建屋内のプールに保管するより安全だと理解を示したが、あくまで一時的な保管施設であることを主張したという。
施設が原発敷地内で恒久的に使用済み核燃料を保管することに懸念をしているのだという。一方で、伊方原発の再稼働を容認している。それは、原発はほぼ恒久的に運転してもよいと認めていることだろう。
かつての大熊町のように、継続的な交付金や税金を目当てに原発増設を望んでいるのかどうかは分からないが、危険な原発の運転を認め、それに比べれば格段に安全な乾式貯蔵施設に否定的であることにとても奇妙な感じを受けるのだ。それはまるで、導火線に火のついたダイナマイトは恐れず、火のついた線香花火を恐れているようにしか思えないのである。
このような自家撞着した思考は、原発による交付金・税金がなければ生きながらえることができなくなった原発立地自治体が抱える大いなる矛盾なのだろう。政治がばらまく金が生み出した悲劇である。
佐藤禎祐には、次のような歌もある。
原発が来りて富めるわが町に心貧しくなりたる多し
原発に自治体などは眼にあらず国との癒着あからさまにて
原発に縋りて生くる町となり燻る声も育つことなし
繁栄の後は思はず束の間の富に酔ひ痴るる原発の町
定禅寺通りから晩翠通りへ。(2018/6/1 19:29~19:40)
デモは、肴町公園から日銀裏通りを一番町に出る。一番町を広瀬通りを越えて定禅寺通りまで歩き、定禅寺通りを西進してから晩翠通りを南下して再び肴町公園まで戻ってくる。
一番町では、30人のデモはところどころで雑踏に紛れるような雰囲気になるが、暗く人通りも少ない定禅寺通りや晩翠通りではかえってよく目立ち、コールの声も鮮明に遠くまで届くようだった。
雑踏の中での脱原発の訴えは効果的だろうし、遠く響くコールもまた気持ちがいいものだ。
[1] 佐藤禎祐歌集『青白き光』(いりの舎、平成23年)。
小野寺秀也のホームページ