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山行・水行・書筺 (小野寺秀也)

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小野寺秀也

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2020.04.09
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テーマ:街歩き(613)
カテゴリ:街歩き

​【ホームページを閉じるにあたり、2011年2月21日に掲載したものを転載した】


​【続き】​


 須藤公園からの狭い坂道から出た高台の住宅地には「千駄木三丁目7」の表示がある。角を二つほど曲がって南の方に歩くと次第に道は下って、マンションが多くなる。突き当たったT字路は、坂の途中のように見えるが、「団子坂上」交差点である。



Photo S 団子坂の途中から不忍通りの方を見おろす。


Photo T 団子坂下交差点からみる不忍通り(南方向)。


 団子坂を下る。下りた道は、さきほど須藤公園に向かう途中で横切った不忍通りである。
 不忍通りを根津神社まで行くつもりなのだが、大通りを歩くのはあまり楽しくないので横道に入ると、汐見小学校に出る。東側の道を歩いて南へ。ここにもソメイヨシノがあって、日本の義務教育制度は、ソメイヨシノを共生菌のように抱え込んでいるかのようである。
 汐見小学校の南端を左折し、細い道を不忍通りに戻る。また南に下り、「千駄木2丁目」交差点を左折して根津神社に向かう。



Photo U 不忍通りから西に入った汐見小学校前の道。


Photo V Photo U の道を右折してふたたび不忍通りに戻る道。


Photo W 不忍通りから根津神社北門に向かう道(千駄木本通り)。


​ 根津神社は、シイの木のたぐいの大きな広葉常緑樹に包まれている。「根津神社」の大きな石塔、立派な鳥居をくぐるが、そこは正面ではないらしい。見通しの悪い道を折れて本殿の側面に出ると、スダジイの大木がある。この木は仙台には生えていない。暖地の広葉常緑樹である。スダジイをスダジイと認識して眺めるのはこれが初めてである。​



Photo X 根津神社境内のスダジイの古木。


​ 知らない土地を歩いて、そこが旅先だと実感するような契機は色々だろうが、私の場合は花とか木、植生の場合が多いような気がする。職を得てすぐの頃、学会が開催される横浜国立大学へ向かう途中の坂道で、草むらの中にクサボケの花を見つけたことがある。横浜は仙台よりずっと暖かいのだと思った瞬間で、今でもはっきりと覚えている。​

​​
しどめの花を家へもって行くと
火事になると子供の時分聞いていたが
いかにも本当らしく
いい花だったけれど取ってこなかった
               八木重吉「無題」全文 [12]​​


​ 「しどめ」 とはクサボケのことである。クサボケが自生しない仙台にこのような言い伝えはないが、園芸用としては入手できる。小物盆栽の素材として貴重で、ずいぶん前に育てていたが、いつの頃か消えてしまった。​



Photo Y 根津神社境内。


 根津神社本殿前には二人の参拝者がいるだけだったが、楼門のある広い境内にはおそらく団体で来たものだろう、年配のグループが三々五々休んでいた(Photo Y)。12時30分を回ったところで、昼食弁当の時間だったのかもしれない。
 楼門のある方向が正面の参道だろうと、南東端の鳥居をくぐってふり返ると、その鳥居も「根津神社」の石塔も、北入口のそれとほとんど同じなのであった。表とか裏とか、ないのかもしれない。

 根津神社を出て、ふたたび不忍通りへ向かう。その道の途中、「根津の名の由来には、ねずみのいわれ、台地の根にあって舟の泊まるところなどの各説がある」という旧地名由来の看板があった。民間伝承、単純な国語学、などいろんな人がいろんなことを言い、どうにもならんという風情である。



Photo Z 根津神社南門から不忍通りへ向かう道。


 不忍通りに出ると、そこの交差点は「根津神社入口」である。つまり、いま出て来た方が表の参道ということだろう。少なくとも東京都公安委員会は公然とそうだと教えてくれているわけだ(このような道路標識は公安委員会の管轄だったと思う)。
 その「根津神社入口」交差点脇に日本そばの店があって、そこで昼食とした。



Photo ZA Photo Z の道を出てすぐ、不忍通りにあるそば屋さん。ここで昼食。


 昼食を終えて、そば屋さんの脇の道を北東に歩くことにする。街灯に「八重垣謝恩会」と「文豪の街」という看板がぶら下がっている根津神社から続く通りである。謝恩会というのはなんだろう。街灯には商店会の看板が普通のように思うが、同じようなものか。根津神社の神恩に感謝している商店会、というのがもっともらし想像だが、確かではない。
 「文豪の街」というのもすぐにはピンと来なかった。日本で文豪といえば漱石か鴎外である。地図で「本郷図書館鴎外記念室」とあるのを見つけ、森鴎外のことだろうと思った。
 これは後日のことだが、鴎外が千駄木で暮らしていたのだと知ったが、これはこれで悩ましいのである。当の通りがあるところは根津である。千駄木と一緒にして良いのか。私のような地方人には東京といえばみんな一緒のようなものだが、東京人の郷土意識の広さはどの程度に及ぶのだろう。
 さらにあとで知ったのだが、夏目漱石も千駄木に居を構えていたのである。どちらの千駄木がより根津に近いかは知らない。この「文豪」が複数形であって、漱石と鴎外ともに指しているのなら、なんと豪華なことだろうとは思う。

 この「文豪の街」通りの舗道にはたくさんの鉢植えが並べられていて、なかでもランタナの花が多く目を引いた(Photo ZB)。隣も、そのまた隣もランタナで、中には低い垣根のように直に植えられたものもある。秋遅いためか、花も実も一緒に見ることが出来る。
 この数年、このランタナと似た種類の「コバノランタナ・七変化」という種類が欲しくているが、毎年思い出す時期が悪くて(苗木売り出しとタイミングが合わなくて)入手できないでいる。このランタナも良い花だが、私の望みはもう少し小型の灌木なのである。

 

Photo ZB 舗道のうえにたくさんあったランタナの鉢植え。


 「文豪の街」通りを4ブロック(右手の細道で数えて)ほど進み、右折する(Photo ZC)。古い木造建築も見える住宅地のまっすぐな道である。この道を直進して、言問通りに出る。
 言問通りを南西に進み、ふたたび不忍通りを横切って、東京大学へ向かう弥生坂を上る。



Photo ZC 不忍通り、「根津神社入口」交差点を北東に入り、4ブロック歩いて
右折した道。不忍通りと平行に走る。



Photo ZD 言問通り。東大工学部9号館付近の坂(弥生坂または鉄砲坂)。


Photo ZE 言問通りを右折した道(東大裏の道)。


 弥生坂を上りきるあたり、「弥生式土器発掘ゆかりの地」の石碑の前を通りすぎ、東大工学部裏の道(Photo ZE)に右折する。
 ゆるやかな坂を下り、東大工学部の裏門にさしかかる。工学部8号館で開かれた研究会で講演したことがあって、裏門から覗いてみたが、どれが8号館か皆目見当がつかないのであった。見たら記憶が甦る、などと期待するのは甘いということである。
 その裏門の前、道の左手に立原道造記念館がある。10代のころ、立原道造の詩を読んだ。ついこの間、納戸の奥から探し出し、40年ぶりくらいに詩集を読んでみた。立原道造は10代の私の中で終わっていた。それに、私には詩を読む以外に詩人と関わることに関心がないということもあって、黙って前を通りすぎるのである。
 その先には「弥生美術館・竹久夢二美術館」がある。弥生美術館は挿絵を主とする展示を行っているということである。竹久夢二は、私の中では宝塚歌劇団や少女雑誌「マーガレット」や「花とゆめ」と同じ審級に属している。ここも、その前を黙々と歩くのみである。



Photo ZF Photo ZE の道を左折し、2ブロック歩いて右折した細道。


 右手の東大構内が工学部から理学部の敷地に代わったころ、道を左折して住宅地の細道を歩く。崖下の住宅の突き当たりなどを曲がっていくと、七倉稲荷神社に出る。
 神社から大きなマンションビルの脇を通って不忍通りに出る。目の前は上野動物園である。不忍通りを不忍池まで歩いて、今日の街歩き・東京の前半とする。結局、千駄木からここまでは不忍通りから右に入り、左に入りしたものの、ずっと不忍通りから離れずに来たのである。



Photo ZG 「ルネッサンスタワー上野池之端」脇の道を、不忍通り動物園前に出る。


Photo ZH 上野動物園両生爬虫類館前の不忍通り。



[1] 長田弘「詩集 記憶のつくり方」(晶文社 1998年) p. 79。
[2] 「季語別 秋本不死男全句集」鷹羽狩行編(角川書店 平成13年) p. 270。
[3] 石川啄木「一握の砂 他」(日本文学館 2003年) p. 63。
[4] 「佐藤佐太郎秀歌」(角川書店 平成9年) p. 230。
[5] 正岡子規「子規歌集」(岩波文庫 昭和3年) p. 59。
[6] 「現代詩文庫501 塚本邦雄歌集」(思潮社 2007年) p. 35。
[7] 「現代詩文庫38 中桐雅夫詩集」(思潮社 1971年) p. 33。
[8] 「尾崎放哉句集(一)」(春陽堂 平成2年) p. 15。
[9] 「世界名詩集大成17 日本II」(平凡社 昭和34年) p. 142。
[10] 「わが愛する俳人 第二集」(有斐閣 1978年) p. 109。
[11] 正岡子規「子規歌集」(岩波文庫 昭和3年) p. 49。
[12] 「定本 八木重吉詩集」(彌生書房 昭和33年) p. 235。


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Last updated  2020.04.09 11:43:00
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