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2013年12月07日
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きょうは、「国立国際美術館」の特別展とコレクション展をのんびり見て来ました。
 
 
国立国際美術館(1)_2013_12_7
 
 
「のんびり」というのは、結果的にそうなった部分があるのです。
まず、特に調べもせずに美術館に行くと、エントランスに「本日、コレクション展は無料」と書かれているのを見て、‘何となく’軽くがっかりしました。
せっかく入館料を払って入るときに、コレクション展の分が‘損’になるような気がしました。(^-^;)
それと、地下3階の特別展から見ようと思ってエスカレーターで降りて行くと、「間もなく学芸員によるギャラリー・トークが始まりますが、いかがですか」と言われて、時間が読めなくなるので迷ったのですが、「1時間ほどです」ということばを信じて、参加することにしました。
ここのギャラリー・トークは初めてでしたが、学芸員が話す声をマイクで拾い、イヤホンで聞くようになっていました。
 
ギャラリー・トークは‘案の定’、90分かかり、本来なら見終わっている時間にもう1度入り口のほうに戻り、確認したい作品を見て回って、結局、特別展に2時間15分も費やしてしまいました。
今回も展示作品には一切の解説がなかったので、作品を理解するにはよかったのですが、ちょっと詳しすぎるような気がしました。
 
工藤哲巳は、1935年に大阪で生まれ、その後、青森や岡山で過ごし、1990年に55歳で東京で亡くなった前衛芸術家です。
作品は、この美術館のコレクション展で何度か見たことがあるし、「高松市美術館」や「倉敷市立美術館」でも、大型のオブジェを見た記憶がしっかり残っています。
 
「I.1956‐1962・『反芸術』から『インポ哲学』まで」は、チケットもぎりの前にある『インポ哲学』から‘意味不明’でした。
現代美術は、見る人が感じるままに受け取ればいいと言いますが、作品を作った人は見る人の解釈を気にしないのでしょうか。
4つの黒い円柱状のものがあり、そのうちの2つは上部から半透明の白い液体のようなものが噴出しています。
これが「男性器」と「セイ液」に受け取れなければ、作品の解釈が崩れてしまうのではないでしょうか。(注:「セイ液」の「セイ」は「性」です。公序良俗に反するらしく、投稿できませんでした。)
ここでの男性器はかなり抽象的というか、単なるイメージ程度のものでしたが、だんだん‘実物’に近い形状になっていきます。
 
林武の影響を受けたという作品もあるし、制作過程を公開した作品もありました。
布の上を、手や足の裏に絵の具を塗って這い回ったのだそうです。
 
手袋を使った、一応、平面として発表された『平面循環体に於ける融合反応』は、今回は床から立ち上げる形で置いてあった(=オブジェとして設置)し、たわしを使った『X形基本体に於ける増殖性連鎖反応』などがありました。
工藤はこの「増殖」という言葉と現象に敏感に反応したようです。
 
『増殖性連鎖反応』は木の株に釘を打ちつけたもので、今見ても何も面白くありませんが、制作していた頃には木の腐った部分に蛆が湧いて、まさにそれが「増殖」したのを‘喜んだ’ということでした。
 
他には、マチエールに紐が頻繁に登場し、特に、それが結んであることに何か意味がありそうでした。
 
「II.1962‐1969・『あなたの肖像』から『放射能による養殖』まで」は、パリへ留学した時代の作品群でしたが、工藤はパリへ芸術の勉強をしに行ったわけではなく、パリなら奨学金がもらえるということで選んだ地だったそうです。
そのパリで、いかに有名になるかに腐心したようです。
 
当時は、「ハプニング」と呼んでいた、今で言う「パフォーマンス」を公衆の面前で行い、それも、ダリ以上に奇抜なことをしたようです。
1メートルほどある男性器状のオブジェを抱えて、大きく揺らしたり、ときには舐めたりして、日本なら公安にしょっ引かれるような行動をしていました。(当時の様子を紹介した動画のモニターあり)
 
ジャムの空き瓶に赤ちゃんの人形を押し込んでアルコール付けにして封をした『モルモット関係』などは、人形とわかってはいるものの、赤ちゃんのような人形が押し込まれて頭などが醜く変形しているのがちょっとしたグロでした。
 
「倉敷市立美術館」で見て記憶に残っている『愛』は、頭に唇と退化した耳ぐらいしか付いておらず、その口で「愛」をささやくというものでした。
実際、電気でフランス語の「Je t'aime.」をモールス信号で発することができるようになっているのだそうです。
 
その次に、小さい暗室がありました
このあたりから、工藤らしい蛍光塗料を使用したオブジェが出始めました。
蛍光塗料はブラックライトの元では、‘怪しく’光り、真っ白のものは発光したような白さに光ります。
この展示のしかたは、今回初めてだということでした。
この頃から、作品に使われている男性器(ペニス)は、‘実物’とほぼ同じ形状で、色だけが蛍光色をメインとしたグリーンやオレンジに着色されていました。
 
変なことを書きますが、私は美術鑑賞のほかに水泳を趣味としていて、プールの更衣室では男はたいてい“フルチン”で着替えるので、自分の‘モノ’を見られるのも、他人のを見る(?)のも慣れてしまっていますが、落ち着いて考えると、女は男性器をそんなにいろいろと見ることはないだろうし、男でも‘通常’の状態のものをたまに見る程度ではないでしょうか。
特に、‘本来の目的’で使用する状態を見ることは、男でもそうはないはずです。
それがいろいろなサイズや‘個性的’な形でそこここにある光景は、人によっては落ち着かないだろうと思いました。
 
暗室を出ると、「III.1969‐1970・一時帰国、《脱皮の記念碑》の制作」で、日本の学生運動に関心を示し、1969年に一時帰国したときの作品群でした。
 
岩手県に1つだけ、崖を利用して、削って作った作品があるということで、その作品の写真パネルがありました。
その形は、男性器にも蝶のさなぎにも見えました。
実際、工藤はどちらかに決めたわけではないらしく、さなぎは一旦固まり、その後、立派な成虫となって羽ばたいていく、エネルギーが閉じ込められたところとして捉えていたのだそうです。
 
ここまで、いくつかの作品に人間の象徴として、男性器は数多く出てきましたが、女性器のほうは1つも見かけませんでした。
わずかに「母性」を象徴した作品にその象徴として用いられていたのは、女性器ではなく乳房でした。
男性器は、普段の使用しないときでも‘存在’し、‘本来の目的’で使用する場合は、さなぎと同じように、その中に秘められたエネルギーを閉じ込めて持っています。
さなぎも、男性器も、計り知れぬエネルギーを秘めているという点で共通であるのに対して、女性器はその存在を具体的な形で表しにくく、イメージとして扱いにくいということでした。
・・・男性器(ペニス)って、考えてみれば、‘本来の目的’で使用することって、ほとんどありませんよね。。。
 
「IV.1970‐1975・『イヨネスコの肖像』から『環境汚染-養殖-新しいエコロジー』まで」では、「1970年にデュッセルドルフで工藤は演出家のイヨネスコと出会い、彼の映画の監督を務めたほど親しくなったようです。しかし、2人は既存の人間像の解体を目指したという点で共通していたはずが、工藤は保守化していくイヨネスコに相容れないものを感じた」という、イヨネスコと親しくして作品を協力して作った時代のものから、作品の中に批判の対象として取り入れられたものへと変化していき、やがて、作品から姿を消していました。
 
壁に掲示されていたモノクロの大きい工藤の肖像写真は、鼻から下が、その前に置かれているもやしを育てている箱に隠れて見えません。
「もやしも芸術家も芽は出やすく、初めのうちは成長も速い。でも、大きくなると、飽きられ、見向きもされなくなり、中には早々と腐るものも現れる」というイメージの重なりがあるのだそうです。
 
『危機の中の芸術家の肖像』という作品が数点ありました。
 
「V.1975‐1979・『危機の中の芸術家の肖像』から『遺伝染色体の雨の中で啓示を待つ』まで」では、1970年代半ばから、攻撃の矛先が芸術家自身に向かった時代だそうです。
 
工藤哲巳の代表作と言えば、鳥かごにカラフルな男性器が入ったオブジェになると思うのですが、次の部屋にそれがずらっと並んでいて圧巻でした。
「鳥かご」は、‘ごく限られた範囲での自由’を象徴するものだそうで、「鳥はその中でなら好きなところへ行くことができる。でも、外へ出ることはできない。人間も、性を選んで生まれてくることはできず、生まれたときから親が決まっていて、かなりの部分において生涯が既に決まっている。鳥かごはそういう悲しい生活の場所、ひいては人生の範囲を象徴するものとして使われている」ということでした。
 
『マザーコンプレックス・パラダイス』という作品では、1つの乳房を何本もの男性器が取り囲んでいました。
 
また、この後のオブジェにはイヨネスコの顔に取って代わって、パスカルの顔が使用されていました。 
 
最後の「VI.1980‐1990・『パラダイス』から『天皇制の構造』、そして『前衛芸術家の魂』まで」では、1980年、工藤はアルコール依存症のために入院し、退院後に制作した作品が展示されていました。
 
作品の具象性が弱まって抽象性が強まり、焼物のような形状のオブジェでは、皿や壷のようなものの中央部分に「ブラックホール」が作られていました。
そこに吸い寄せられているのはヨーロッパ(のもの)で、その周りを取り囲んでいるのがアジアやアフリカといった、いわゆる周辺国を意味しているのだそうです。
どちらも単独では成り立たない、かといって、その存在する位置は自由でいいというわけでもなく、何かの中心を動かすためには、その周りに何かが存在しなければならないのが、宇宙というものだということでした。
・・・金持ちが存在すると認識するのは、貧乏人がいるから、という考えかたのようなものでしょうか?
 
最後が近づくにつれ、作品は単純で複雑な構造はなくなり、いくつかには頭蓋骨が用いられていました。
これは「死」を象徴しているということでした。
 
卵の形をしたもので、大きさはまちまちのものがあり、これは「魂」なのだそうです。
 
55歳で亡くなる、最後の3年弱は、「東京藝術大学」の教授として、後進の指導に当たったということですが、その学生たちに魂を込めて「頑張れ!」という気持ちを表した『若き芸大生の魂のために』という作品で、会場は終わっていました。
 
2回りして2時間15分、価値があったような、少し無駄だったような時間でした。
 
図録の厚みが前代未聞の‘5.5cm’あるということで、ショップでは見本を立てて置いてありましたが、あまりの分厚さで、読み通すことは絶対にないだろうと思って、購入しませんでした。
 
この展覧会は珍しく大阪会場が最初で、このあと、東京、青森と巡回するようです。
 
このあとは、地下2階に上がって、工藤哲巳と同時代に活躍した作家たちの作品を見ました。
 
P.S.今回、この文章を投稿しようとしたら、「わいせつ、もしくは公序良俗に反すると判断された表現が含まれています」という赤文字の警告が出て、投稿できませんでした。当該の本文中に書きましたが、「性」を「セイ」と表記して、投稿し直しました。
・・・「楽天」さん、芸術を否定していませんか?





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最終更新日  2013年12月11日 17時09分34秒
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