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埃まみれの一日だった。
私の実家には、80年前に建てられた「蔵」がある。 「蔵」と言っても北海道の田舎なので、 一般的にイメージするような瓦葺の白壁ではなくて木造のものであるけれど、 父親が誕生した時に建てられたものである。 開拓団の一員としてこの地に入植した曽祖父は、庄屋のボンボンとして育ち夢だけはでっかく、 一旗あげる積りで北海道に渡ったのだが、主に開墾を指揮したのはしっかりものの曾祖母だったようだ。 その長男の祖父は、暇さえあれば尺八や菊造りと優雅に遊ぼうとするグータラ父親に代わって、早い頃から一家の働き手にならざるを得なかったようだ。 その祖父が、私の父の誕生を記念する意味も含めて、「蔵」を建てたのだそうである。 その蔵には、開拓時代からの農機具類や本州から引き上げてきたものなどが、雑然と押し込まれていた。 市内の郷土資料館ができた時に、その中でも少しでも価値がありそうなものは寄付してしまったので、残っているものは私から見たら「ガラクタ」ばかり。 どこの家でもそうだと思うが、収蔵する場所があれば、余計なものはとりあえずソコに放り込んでしまう。 というわけで、蔵は「粗大ゴミの倉庫」となり、数十年が過ぎていった。 私たち身内は、実家の両親の死後に蔵ごと始末する積りだったのだが、 私の夫が物好きで、これに目をつけた。 建物はまだしっかりしているのだから、これを自分の「秘密基地」にすると言い、 私の両親に「蔵を譲ってくれ」とのたもうた。(男はいくつになっても秘密基地が大好きだ・・フゥ・・) 父は、自分と一緒に誕生した蔵が再活用されるのだから、嬉しがらないはずがない。 母親にしても、「あのゴミを整理してくれるのなら・・」と大歓迎。 ゴミ掃除を手伝わされることになる私だけが難色を示していたのだが、夫はそんな私を無視して「俺だけでもヤル」と言う。 となれば、いくら身勝手な私といえども、黙ってみているわけにも行かず、この数日間はその作業を少しずつ続けてきた。 今日はいよいよその最終段階、「80年のすす払い」である。 ・・・もう、半端ではなかった。 とてもその作業の一部始終をここに書く気にはなれない。 思い出しただけで、埃にむせ返りそうだ。 床に厚くこびりついた埃は、床ごと取り替えなくてははがすことができないように思えた。 悪戦苦闘の末、それでも何とか広々とした空間が蔵の中に出現した。 もうこれ以上の「掃除」は、素人の手には負えない。あとは、夫が少しずつ好きなように手を加えていくという。 年老いた両親は、このダストの中に入ったらすぐに肺炎か気管支喘息で死んでしまいそうなので、とりあえず埃が収まってから見てもらった。 当然ながら、父も母も大感激。 その喜ぶ顔を見て、ひょっとするとすごい親孝行をしたのかもしれないと思い、とんでもないことを思いついた夫に、少しばかり感謝した。 それでも、もう二度とあのような作業はしたくない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2003年10月26日 08時37分25秒
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